日本にも"すごくさりげなく"触れていた 尹錫悦新大統領就任スピーチ
原稿は本人がすべて書いたのだという。
過去の大統領は30分~40分話すこともあったが、事前にメディアに配られた当日の進行表で「12分の予定」ということが分かっていた。
10日に就任式に臨んだ韓国の尹錫悦新大統領の式典でのスピーチのことだ。
多くの日本メディアは「日本のことには触れず」と報じた。確かに式典中、表面上は「日本」と言及されたのは一度だけだった。海外からの来客紹介で最後に「日本の林芳正外相」と読み上げられた。大統領も来韓した国があるなかで、一番最後の紹介となったのだ。
しかしいっぽうで、スピーチを韓国語で直接聞き取り、そしてその後にテキストを読み解くと、さりげなく日本のことにも触れていたように思うのだ。
それは起承転結の「承」に該当する、前半部分に登場した。
様々な危機が複合的に、人間社会に暗い影を落としています。また、我が国を含む多くの国では、超低成長、大規模失業、二極化の深化、様々な社会紛争などにより、国内において共同体の結束が揺らぎ、混乱しています。
我が国を含む多くの国、と言っている。つまり多くの国、とぼかしつつ、我が国(韓国)と言っている。
なぜ、ぼかす必要があったのか。この日の式典には、朴槿恵と文在寅、2人の前大統領も招かれていたからだ。スピーチ後には「2人の見送り」が式次第に含まれるほどの敬意が払われているのだ。
では国内の「共同体の結束が揺らぎ」とは何を言っているのか。左右分裂は確実にここに含まれる。これ、朴槿恵政権の末期に火が着き、文在寅政権ではこれが大爆発するような事態になった。
話はこう続く。
一方、これらの問題を解決しなければならない(すべき役割の)政治は、いわゆる民主主義の危機のために機能不全に陥っています。
最大の原因は反知性主義です。異なる見解を持つ人々が互いの立場を調整し、妥協するためには、科学と真実が前提とされなければなりません。
これ、まずはアメリカの保守政権(つまりトランプ)がやったようなポピュリズムとは違うという点を伝えたいようにも思える。自分たちも保守政権だが、あの反知性主義とは違うのだ。心配しないでくださいと。
そして韓国のことも言っている。なぜなら先にも言った通り、尹新大統領のこの話の主語は「我が国を含む多くの国」なのだ。
ということは…国内にも「異なる見解を持つ人々」の問題が存在してきたのだ。ほかでもない韓国の左右分裂のこと。先の大統領選挙もそうだった。右派の尹錫悦大統領が勝ったが、左派の李在明大統領との差は「0.7ポイント」だった。
この左右分裂に度々「日本」が登場してきた。
左派の文在寅政権が進めてきた「親日派狩り」だ。
現在の韓国社会の右派を「親日派の子孫」と決めつける。そして社会の要職から追い出したり財産没収などの罰を与えようという動きだ。
親日積弊清算とも呼ばれた。積弊とは「積もったちり」のこと。
親日派とは、1910年から45年までの日本統治下において、日本側と結託、これによって当時の朝鮮人から土地を奪ったり、暴力を振るうなどして苦しめた層のことだ。1945年の解放後もそのまま韓国社会の権力層に居座り、既得権益の甘い汁を吸いまくったとするのだ。左派からすれば朴槿恵前大統領などはその典型だ。
文在寅政権下では、この親日派を批判する際にとても「知性的」とは言い難い状況があった。「立場の調整」もなく、「妥協」もなかった。この先鋒に立ったキム・ウォヌン氏は抗日闘争遺族会会長(当時)の立場から度々文在寅政権下での公式行事に登場。スピーチではとてもTPOをわきまえていないと思える表現で「親日派」を攻撃し続けた。「国立墓地に親日派が眠っている。墓を掘り起こせ」とさえも口にした。
"日本"は韓国左右対立の「アイコン」。韓国の左派は右派を「日本と結託しているあいつらよりマシ」となじる。じつのところ、これが近年の韓国での"日本"の大きな存在感だ。
いっぽうで韓国内の右派の対日観は、一般的に「日本からの多大な経済協力の功績を認める」とされる。これが尹錫悦大統領のいう「科学と真実」の一つとも理解できる。
つまりもう「親日派狩り」のような左右対立はやめましょうと。その中には「社会の中に潜む『悪の残骸』のような扱いで日本を捉えるのもやめよう」という意味が付帯的にある。韓国内の問題に日本が含まれてしまっているのだ。
尹大統領はさらにこう続けた。
それが民主主義を支える合理主義と知性主義です。国家間および国家内の過度の集団紛争によって真実が歪められ、各人が見聞きしたいことだけを選択したり、多数派の力で相手の意見を抑圧したりする反知性主義が民主主義を危機に陥れ、民主主義への信仰を弱体化させています。これらの状況は、私たちが直面している問題の解決をより困難にしています。
そこまでの内容を別表現で反復するものだ。
「見聞きしたいことだけを選択」「多数派の力で制圧」というのはウクライナを巡るロシアの状況にも聞こえる。いっぽうでこれを「国内(韓国内)」に当てはめるなら、2020年4月15日の韓国総選挙で過半数を獲得した「ともに民主党」のことを言っている(他には思いつかない)。保守野党を制圧し、より左右分裂が深まった。この反動もあり、今回政権交代が起きたのだが…もう対立はやめましょうとしているのだ。
まあ仮に新大統領本人にこのことを聞く機会があったとしても、前政権のことを言っているのではなく「あくまで世界全体の一般論を話しているだけ」と答えそうだが。
この日の就任スピーチ内容を伝えるいくつかの韓国メディアも「反知性主義」の言葉を見出しに使い、報じている。
「尹の就任スピーチ、『自由』を35回・『統合』0回…反知性主義は害」(毎日経済)
「【全文】 尹大統領就任辞..."反知性主義を克服し、両極化克服"」(newspim)
「尹大統領就任時"民主主義の危機、最も大きな原因は非知性主義」(京郷新聞)
新政権のスタート、よき日。前政権をまたチクリとやっているとは多くは報じないが。日本については「韓国の事情を話すなかで含まれていた」というところだ。日韓関係はどう変わっていくだろうか。
(了)