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【平成日本サッカー史ななめ読み】見た人すべてが生き証人。”急成長”の意外な功労者は「グッズ」だった!

マフラー、旗、帽子、ミサンガ。そういったグッズ文化が発展を支えた(写真:岡沢克郎/アフロ)

サッカー界の出来事はおよそ西暦で、「90年代、00年代」といった風に10年区切りで語られることが多い。じつのところ、時代を平成で区切ることは見慣れない感じがする。

しかしいずれにせよ、この時代に、日本のサッカーシーンで大きな変化が起きたことは確かだ。改号ブームに乗って、以前からやってみたかった話におつきあいを。

平成の時代のなかでも、5年(1993年)から14年(2002年)までの間に日本国内サッカーシーンで起きた出来事は、サッカーやスポーツの枠を飛び越え、日本社会の特性のひとつを表している。

”急成長”

そこまでプロリーグすら存在しなかったW杯未出場国が10年でW杯を開催し、ベスト16に入る。その後もすべての大会で出場を続ける。

そんな変化を遂げた国は、世界サッカー史上にもない。しいて言えば、1990年イタリアワールドカップで40年ぶりの本大会出場を果たしたアメリカが近い。その後94年大会でベスト16入りし、そのままプロリーグも定着していった。

急成長、という点だけを抽出すれば、明治維新や高度経済成長と似た特性だ。ことサッカーに関しては平成を生きた人は全てが歴史の証人なのだ。

日本は終戦後、世界2位の経済大国となった。全盛期の1985年にはGDPが世界の12%を占めた。これは超大国アメリカの35%に次ぐ数字で、3位だったドイツは5%だったのだという。

この時代に”西洋に追いつけ、追い越せ”というロマンはどこかでは成就したのではないか。1979年(昭和54年)には、ハーバード大教授が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という著書を記し、翻訳版が日本で70万部売れるなどのヒットを記録したりもした。

続いて訪れた平成(1989年にスタート)の時代には、サッカーがこのロマンの追求を担う部分もあった。じつに分かりやすい。ピッチ上でぶつかって、結果が出るのだ。サッカーはまた、日本社会のなかで、欧州社会と比べ「近代化」が進んでいない分野でもあった。

言い換えれば、人工的に改革しなければならなかった。サッカー伝統国とは違う。ストリートで多くの子どもたちがボールを蹴っているような国とは違うのだ。ブームをつくり、持続させていく必要があった。日本はこの点を、世界に類を見ないスピードで成し遂げたのだ。

ではなぜ93年前後から、日本国内でサッカーというジャンルが、歴史的な急成長を見せたのか。

本題の前の背景にも、日本のスゴいところがある

この3点が同時に起きたからだ。

代表チームの活躍

プロリーグのスタート

サッカー関連商品の多様な開発

プロリーグができる(活性化する)。その結果、代表チームが強くなる。そういう流れなら想像がつく。先のアジアカップで優勝したカタールなどもその実例だ。

しかし日本の場合は、プロリーグ開幕前に代表が活躍したという点がすごかった。

92年のダイナスティカップ(現E-1選手権)、アジアカップ優勝だ。

ダイナスティカップ決勝 1992年8月29日※平成4年

アジアカップ優勝 1992年11月8日

ナビスコカップ開幕(Jリーグに先立ち前年に行われた) 9月5日―11月23日

Jリーグ開幕 1993年5月15日※平成5年

”外の世界(アジア)での熱気を、国内に持ち込む”というかたちに成功した。先に代表が勝つ、それもプロリーグ開幕と近い時期に勝つという点はなかなか成し遂げにくい点ではないか。先に例を出したカタールは、08年9月にプロリーグが発足し、代表が今年のアジアカップを獲るまで10年かかった。中国はもともとサッカーの土台がある国だが、02年のW杯初出場から04年のリーグのプレミア化まで2年のタイムダグがある。

なぜ、日本にこれが可能だったかは別の機会に譲る。ここで重要なのは、そういう現象が起きた、という事実だ。

韓国も”2つめ”までは起こしていた!

じつはここまでなら、歴史上似た状態を作った国がもう一つある。韓国だ。

Jリーグに先立つこと10年、1983年にアジア初のプロリーグ(実態は5チーム中2チームのみがプロ)を開幕させた。この時期に代表チームの活躍があった。

1983年5月8日 Kリーグスタート

1983年6月下旬 メキシコワールドユースベスト4

あまり知られていないが、この年、韓国は突如メキシコで行われたこの大会でベスト4入りを果たした。エポックメイキング、といえる事象だった。アジアと世界の距離がもっと遠かった時代。何より韓国は1954年のスイスW杯に出場して以降、一度も世界の舞台に立った経験がなかった(86年メキシコW杯で32年ぶりに出場)。先日、ACLで鹿島アントラーズと対戦した慶南FCのキム・ジョンブ監督は当時のエースだ。1965年生まれの54歳だから、現FC東京監督の長谷川健太監督と同世代だ。

92年当時の日本が、一度もW杯予選を突破したことがない状態で突如アジアカップに優勝したことに近いといえば、近い。

当時の韓国ユース代表メンバー帰国後は、大パレードが行われ大いに賑わった。「若い選手たちにもっとよい練習インフラを」という世論が盛り上がった。フル代表の参加が予定されていた国内の親善大会に「替わりにユース代表を」との話も挙がったのだという。当時韓国は、88年に自国開催のオリンピックを控えていたため、その主軸メンバーとなっていくという大きな期待もかけられた。

ちょうどこの頃、「スーパーリーグ」が開幕している。これは当初、大きな賑わいを見せた。初年度に1試合平均20,924人の観客を集めている。2018年の平均が5,371人だから、かなりのものだ。全斗煥の軍事独裁政権下の話。もともとサッカー経験者だったという時の大統領は、民衆の不満をそらす意味もあり、プロサッカーリーグがスタートしたという。そこに国際大会での若き選手の活躍が華を添えた。サッカーブームが起きたのだ。

日本は「グッズ天国」。韓国との違い

しかし、82年以降の韓国と93年以降の日本は大きく違う姿を見せている。

その後、日韓両国は代表チームは全てのW杯に出場し続けるものの、プロリーグを中心としたサッカー文化の発展関しては少し違いが出た。韓国は「日本から必要なことは学ぼう」というスタンスを取る。現にプレーヤーの移籍も、日本から韓国に流れるという点が主流だ。

何に違いがあるのか。もちろん時代背景が違う。バブル直後の日本と、独裁政権下の韓国では土壌が違う。

いっぽう、時代を経ても大きな違いがあるのが消費文化だ。日本のグッズ文化。これは韓国と比べても際立っている。

Jリーグブームの折、本当にたくさんの商品が出回った。旗、マフラー、Tシャツやユニフォームなど応援グッズはもちろんのこと、レトルトカレー、乾電池まで出た。複数あるサッカー専門誌は月刊から隔週、週刊へと変わっていった。

ありましたよね! こういうグッズ。Jリーグは昨年の開幕25週年を記念して往年のグッズを復刻させたりした。公式サイトよりキャプチャー。
ありましたよね! こういうグッズ。Jリーグは昨年の開幕25週年を記念して往年のグッズを復刻させたりした。公式サイトよりキャプチャー。

これ、当たり前のことではない。韓国では紙で出版されるサッカー専門誌が伝統的に1誌しか存在してこなかった。90年代から多くの韓国のサッカー関係者を東京で迎えてきたが、彼らの多くはサッカーグッズショップに行きたがった。国内には売っていないからだ。スポーツの卸売業者が「日本には、キャプテンマークすら複数売っていることに本当に驚く」という話をしてくれたことがある。

日本では1992年ごろ、韓国では1997年ごろからサポーター文化が活発化した。応援で使う旗、Tシャツ、マフラーといったグッズについて、韓国では配布されるものが多かった。

日本では、購入して当然、と考えなかったか? ちなみに、今や定着した感のある「タオルマフラー」は日本発祥のものだ。それほどにグッズに関する文化が発展している。

日本がグッズ天国だ、という点は日本のK-POPシーンを取材していても感じるところがある。

その多くはBTSなど男性グループを応援する女性ファンの市場だ。しかし小規模な男性ファンのみを魅了する女性グループの来日が後を絶たない。なぜなら日本ではグッズが売れるからだ。韓国にはない現象だ。じつは世界で一番多くの韓流グッズが売られている場所は東京の新大久保であり、ソウルではない。韓国側に言わせると「実用性のあるコップやクリアケースならわかるが、そうでないものも日本では本当によく売れる」という。

グッズはブームを維持する。「快楽を引き出す」もの

この点の何が重要なのか。

グッズはじつは、サッカーへの関心の維持にすごく役立っている。これがあったから、92年・93年の大変化を維持できた。そういった側面もあるのではないかと見ている。

ポピュラーカルチャー研究者で著名な、J.フィスク(英国)は著書「テレビジョン・カルチャー」でこんな定義をしている。ちょっとおカタい話だから、噛み砕きながら説明していこう。

「金融経済とは別に、文化商品の流通によって支えられているもう1つの経済システム、文化経済(the cultural economy)が存在する」

つまり、サッカー文化の文脈で読むと「グッズがたくさん流通する点を侮るなかれ」ということ。それは文化を生むということ。

「文化商品が提供する社会的出来事の意味づけや消費から得られる快楽を、生産者(制作者)が完全にコントロールすることは困難である」

グッズの制作側が思っている以上に、グッズ購入者はその商品に愛着を感じる。

「消費者(読者・視聴者)は、文化商品から生産者が予期できない意味・快楽を引き出すことがある」

グッズを通じて試合の楽しかった思い出を反芻したり、チームに愛着が生まれるということ。マフラーや旗のほか、キーホルダーや携帯ストラップまで。そこから愛が生まれている。

ちなみに韓国のサッカーシーンでは、2019年の現在、グッズの重要性を証明するような出来事が起きている。大韓サッカー協会から関連グッズが発売され、これがはじめて売り切れになっている。なぜ売れ始めたのかというと、女性がこれをスタジアムで身に着けてインスタグラムにアップするのだ。モノとともに刻んだ記憶がSNSとともに維持され、「そこに行きたい」と思う気持ちを喚起しているのだ。ロシアW杯後、市場初めて6試合連続国内での国際Aマッチのチケットが完売となっている。

平成最後の時は、大連休となった。タンスの中の昔のサッカーグッズを探し出し、思いに浸るのもまたよしだ。もちろん急成長の一番大事な要素、選手の活躍を改めてリスペクトしながら。

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吉崎エイジーニョ ニュースコラム&ノンフィクション。専門は「朝鮮半島地域研究」。よって時事問題からK-POP、スポーツまで幅広く書きます。大阪外大(現阪大外国語学部)地域文化学科朝鮮語専攻卒。20代より日韓両国の媒体で「日韓サッカーニュースコラム」を執筆。「どのジャンルよりも正面衝突する日韓関係」を見てきました。サッカー専門のつもりが人生ままならず。ペンネームはそのままでやっています。本名英治。「Yahoo! 個人」月間MVAを2度受賞。北九州市小倉北区出身。仕事ご依頼はXのDMまでお願いいたします。

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