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シングルファーザーを生きる~妻との死別の先に見えた新たなアクション(後編)~

吉田大樹労働・子育てジャーナリスト/グリーンパパプロジェクト代表
2020年2月に下妻市立図書館で開催された絵本ライブの様子(木村さん提供)

【シリーズ】シングルファーザーを生きる

第6回 妻との死別の先に見えた新たなアクション(後編)

シングルファーザーを生きる――。男イコール仕事とみられがちな環境の中で、世のシングルファーザーたちはどう生き抜いてきたのか。各地で奮闘するシングルファーザーにクローズアップし、その実録を伝えていく。

今回は、茨城・水戸市在住で父親支援などに取り組む3児のシングルファーザーの木村隆弘さん(51)の後編。妻との死別後、父親支援などにも積極的に取り組みながら、転職も経験。さらには、自分自身の病にも向き合いながら、人生の分岐点をどう乗り越えようとしているのかを伺った。

父子家庭でも働きやすい仕事を模索

吉田 妻の佳代子さんを2011年に亡くされたあと、仕事はどうしたんですか。

木村 元々は、車のディーラーで17年くらい勤めていました。そこを辞めたきっかけは、当時長男が小学校でサッカー少年団入っていたんですが、練習や試合は土日がメインなので、車も土日が稼ぎ時なのでなかなか休めなかったんです。けど、ちょっとだけ抜け出して試合を観に行ったりしていたんですが、他のお母さんやお父さんたちが応援・・・だけじゃなくって素人なのに指導しちゃっている姿を見ていたら、自分は経験者だったのでもっとうまく指導できると思って「俺がコーチになる」と言って会社を辞めたんです。

そうしたら、たまたま地元の総合商社から「うちに来ないか」と言ってもらって、ホントすごいタイミングだし、その職場には理解してもらって土日も適度に休ませてもらいました。その過程でシングルファーザーになったんです。

吉田 シングルファーザーになって仕事に変化はありましたか。

木村 ある部門の責任者になっていたのですが、2014年から15年にかけて業績が悪くなってしまって。会社トップから、「やっぱ木村くんじゃ、家庭環境が特殊だからかな」って言われたんです。「だから、俺言ったじゃん。任命したときに言いましたよね?3回断ってますよね?それでも責任者をやってくれと言ったんじゃないですか?」って。その一言が出た時点で辞めると決めて転職をしました。

その後、2017年9月から個人事業主として登録して、会社に縛られない道を選びました。

吉田 自分でいろいろと試行錯誤する中で、シングルファーザーとしてどのような働き方がいいのか。仕事の選び方も重要ですよね。

木村 競合が少ない業種を探しました。それまで特別なスキルがあったわけじゃないので、どうせゼロからの出発だったらと思って探していたら、たまたま知り合いから紹介されたのが石材クリーニングの仕事でした。専用の薬品を使って、石材のコケを落としたり、光沢を戻したり、というレベルから、あと温泉施設の浴槽の水垢の除去なんかもやっています。

吉田 営業先を見つけるのも大変だったんじゃないですか。

木村 だから自分で開拓していくしかないですよね。いろんなところに営業をかけたり、建築関係でもその技術を応用したりして、新しい取引先を増やしていきました。

最初は金銭面で大変でした。当時、娘が専門学校へ行きたいと言っていたので、その費用をねん出するために必死でした。持ち家でローンを抱えていますしね。個人事業主だから収入を安定させるのが難しい。けど、自分が選んだ道です。

吉田 自分もそうでしたが、ひとり親だと無理したくても無理できないところがありますよね。そんな中で仕事と並行して子育て支援や父親支援の活動をするのも大変だったと思いますが、どのような活動に取り組みましたか。

木村 茨城キリスト教大学の先生が2014年頃から大学で特別ゲストとして呼んでくれて、自分の経験を幼児教育の現場に出ようとする学生さんに話しています。その先生が推薦してくれて、2018年4月から茨城県少子化対策審議会の委員をしています。

あとは、2013年くらいから「smile bank」という絵本バンドを作って絵本ライブ活動をしています。年に3、4回程度です。例えば、下妻市立図書館を拠点にして活動しているママサークルがあるのですが、そこには2年に1回ほど呼ばれています。水戸市の公立の幼稚園や小学校でも絵本ライブをやったことがありました。小学校でも絵本の読み聞かせに2012年から参加しています。次男が小学校に入った年に地元の方々にお世話になったので恩返しをしたいと思って小学校にお願いをしました。先生からは「ホントですか?これまでお父さんで参加された方がいないので」と驚かれました(笑)。「何か問題でも?」と切り返しましたけどね(笑)。学年に合わせて伝えたいテーマを設定したりして、高学年には絵本だけはなく自分の経験も伝えるようにしています。

絵本ライブに取り組むためにギターも覚えたという木村さん(筆者提供)
絵本ライブに取り組むためにギターも覚えたという木村さん(筆者提供)

吉田 そうした機会を重ねる中で木村さんなりの蓄積ができてきたんですね。

木村 だから行き着いたところは、いろいろ恵まれている点ももちろんあります。だけどそれって、その会社の理解はもちろんあるけど、自分からアクションを起こした結果、得たものだと思っているんです。運動会の日に朝早くから並んで動画回したからって、良いパパになれるわけじゃない。場所取りも、お弁当も、それから、動画も。さらには、運動会の片付けにも協力しています、って。それが大事だと思います。

吉田 PTAとかにはどんな感じで関わりましたか。

木村 娘が中学時代に2年間PTAの副会長をやりましたし、それと並行して小学校でも委員会の委員長をやっていました。次男の卒業式のときには、保護者代表としてスピーチをやりましたね。内容は忘れてしまいましたが、卒業しても苦しいときとか、行き詰まったときに、いつでも戻ってきていいという学校であってほしいと伝えました。先生も自分も泣いていましたね。

吉田 木村さんの背景もわかっているからこそ、なおさらですよね。

木村 そのときに、それ以上に嬉しかったのがちょうど専門学校を卒業した長男から、「父ちゃん、弟の卒業式で出たいんだけど」と言って出てくれたことです。

吉田 兄弟の年齢が離れているので、お父さんと一緒に弟さんを育ててきた感覚があったのかもですね。子どもとの向き合い方や子育てで悩んだことはありましたか。

木村 末っ子の次男との関係は悩んでいましたね。正直手を出してしまったこともありました。勉強は苦手でしたが、中学時代は部活を頑張っていました。自分に似て、余計なことを考えちゃうようで、友達関係もすごく仲の良い子もいるのですが、ちょっと苦手なタイプの友達もいるようで、ストレスで学校に行きたくないときはありました。だから、先生とも連携を取り合いながら乗り越えましたね。

吉田 親子のコミュニケーションも大事ですよね。

木村 と思いますけどね。娘が出ていったときはさみしくって泣いてしまいましたね。長男は一度専門学校に行った際に出ていきましたが、また戻ってきてくれました。嬉しかったですよね。たぶん長男も気を遣ったのではないかと思います。娘は絶対戻ってこないと言っています(笑)。次男は高校受験で思い悩んでいたこともありましたが、高校生になって自分なりにエンジョイしていると思います。

自分に襲い掛かった病

吉田 それはお子さんたちが自立しているからこそじゃないですかね。お子さんたちも大きくなってきて心強いんじゃないですか。

木村 頼りにする場面が増えてきましたね。実は、2021年3月に突然めまいの症状が出て、すぐに耳鼻科に行ったんですが特に異常はなし。それでも症状が改善しないので、何日か後に長男がリハビリトレーナーとして働いているクリニックでも検査をしたのですが、それでも異常なし。今度は、脳神経外科でMRI検査をしようということになりましたが、検査の予約は1カ月先。その間も、常に目が回っているような状態で、地にも足がついていない感じでした。そんな中でも次男の高校の入学式に駆けつけて出席はできました。

5月の連休明けにようやくMRIの検査結果が出て、脳に「硬膜動静脈瘻(こうまくどうじょうみゃくろう)」という病気があることがわかったんです。

吉田 それはどういう病気なんですか。

木村 脳の硬膜部分にある動脈と静脈って本来は直接つながってないんですが、何らかの原因で新たな血管ができてしまい、つながってしまう病気で、それが原因でめまいが起きていたんです。最悪の場合は血管が破裂したりして、脳梗塞などで命を落とすこともあります。

吉田 それはショックですよね。

木村 ただ、落ち込んだのは2日間だけでした(笑)。改めて人間いつ何があるかわからないと思いました。症状は、コレステロールを下げる薬や、適度な運動などで改善していきました。手術が難しい場所なので、うまいこと付き合っていかなければなりません。

その6月にカテーテルで精密検査をするために入院していたんですが、ちょうど妻が亡くなってから10年が経つタイミングでした。しかも、退院する当日に飼っていた犬が亡くなってしまったんです。1週間くらい前から突然体調が悪くなってしまって。自分の身代わりになってくれたのかと思いました。

そういった意味では再びもらった命。だから、会いたい人に会っておこうと思って、行動もアクティブに動くように気持ちを切り替えました。もちろん無理のない範囲で。症状自体は半年くらいしてようやく治まって、まともに日常生活を送ることができるようになりました。

子育てや家事はカッコつけるもんじゃない

吉田 ひとり親なのに働きすぎで無理して倒れちゃったら、残された子どもたちはどうなるのと思うと、ホント無理できないですよね。子どもたちもいろいろとフォローしてくれたんじゃないですか。

木村 そうですね。もう上2人も20歳を超えて働いているので、金銭的には以前ほどがんばりすぎなくてもよくなりました。あと、今年に入ってから、新型コロナウイルスに罹ったんです。病気の影響もあってワクチン接種を控えていたので、40度の体温が3日続いたときは死ぬかと思いましたね。そんなときも長男が食事を用意してくれたりして助かりました。

で、熱が下がり始めたときにまた生きながらえて気持ちにも変化があったんです(笑)。自分の経験をもっと伝えていきたいと思いました。死なない程度に痛めつけられたタイミングでこういう思いになったのだと思います。

2016年4月1日。長男が都内の専門学校進学のために上京した日に自宅で撮影。(木村さん提供)
2016年4月1日。長男が都内の専門学校進学のために上京した日に自宅で撮影。(木村さん提供)

吉田 それは大事だと思います。いま子育てに積極的なパパたちが増えて、環境もだいぶ依然と比べて整いつつあるかなとは思うんですけど、木村さんは何を伝えていきたいですか。

木村 自分自身の反省も踏まえて言うと、子育てってまだまだ母親のやることだと思われがちだと思います。母親ではなく、親の仕事なんです。そこに父親だの母親だのと言うのは、その中で役割分担することはあると思いますが、母親じゃなきゃできないことって出産と母乳だけだと思うんです。おむつ交換するのは母親だとか、「男は外で稼いでこい」という時代じゃない。長男が生まれた1997年頃に、産後うつのことってまだ言われていませんでした。それ考えると、なんでこんなに「少子化対策が必要」とか「社会に子どもが足りなくなって、日本が衰退していく」って言っているわりには、「なんでこんな子育てしにくくなっちゃったのかな」という矛盾を感じています。当然、その中には経済的な事情だったりとか、家庭環境だったりとかあるとは思いますが、子育てって流行り廃りではない、っていうのは強く言いたいですね。だからイクメンどうのこうのとか言っている場合じゃないってことです(笑)

家に帰って、妻や子どもが待っていてくれて、いい悪いは別にして、「ご飯を作ってもらい、風呂に入って晩酌する」だけの環境が与えられて・・・。けど、それは当たり前じゃない。一方、シングルファーザーであれば、帰って洗い物がたまっていればそこからやっつけて、お風呂洗って、夕飯の支度をして、子どもたちにご飯を食べさせて、なんぼ頑張っても飲み始められるのは20時半から21時です(笑)

自分の経験をたくさんの人たちに伝えたい

吉田 これまでの経験も加味して、これから具体的にやりたいことはありますか。

木村 イクメンを育てるんじゃなくて、もうそこは当たり前になってほしくて、これからはどっちかというと、いつ何が起きて、自分がシングルファーザーの当事者になるかわからないので、そういった受け皿的な部分と、離婚も増加していて、それは権利である以上ダメとは言えませんが、離婚が頭をよぎったときに、もう一度向き合うことができるような啓発をしたいと思っています。

最終的な決断を出す前に、そのお子さんのためというよりも、あなた方夫婦2人のために、そのパートナーが目の前にいることがどういうことなのか。離婚だったら、お互いが完全に存在するわけです。けど、死別だったら、それまでいくら憎しみあっていたとしても、やっぱり違うんです。

吉田 死別だともうそれ以上先には進めないですよね。離別の場合は自分に折り合いをつけて進めることはできる。

木村 だから、どっかでやっぱり我慢しなきゃいけないのも事実だと思うんですよね。夫婦のどっちかが弱すぎても強すぎてもダメ。それが我慢できないんだったら、せっかく人間は喋れるという能力があるんだから、コミュニケーション取ったらいいと思うんですよ。どっかで落としどころを見つけてってなれば、それが離婚の抑制に繋がればいいし、例えば、人の死っていうのは、病気もあるし、事故もあるし、事件に巻き込まれることもあるし、自ら命を絶ってしまうこともあるけれども、現実としてはそういう人たちがいるわけであって、残された人たちのことを考えたときに、じゃあ妻だけが家事を一切合切できたほうがいいのか、それとも夫婦で一通りできて、助け合うほうがいいのか。そういった啓発みたいなのができればと。結果として、夫婦の仲が良くなれば子どもたちにもいい影響を及ぼすはずです。例えば、子どものお弁当が必要であったら、夫婦が交代交代で作るとか。自分は10年以上ずっと1人で作り続けてきましたから、半分担ってくれる人がいたら大助かりです。

吉田 お金のことも考えるとお弁当を止めるわけにいかないですよね。けど、まずは自分でやってみようという姿勢は大事だと思います。

木村 何でもかんでも安易に外に責任を求めすぎているような気がするんですよね。まずは自分たちで解決しようとする努力が大事。自分たちでここまではやったんだけど、この先は結果が出なかったら、別な手段を考えてみようってなる。

吉田 最初から誰かに責任を押し付けるのではなくって、多少の労苦は知っておいたほうがいいような気がします。その上でしっかりとヘルプできる仕組みがあればいいですよね。

木村 だから一度は1から10まで自分でやってみて、全部責任を自分で持つつもりで物事を進めていくような癖がつけば、もうちょっと違った面白さは生きていく上で見えてくると思うし、何かつまんない夫婦間の摩擦とかも少なくなってくるような気がするんですよね(笑)

吉田 結果論で言うと、1つ1つのもめ事はあまり大したことじゃないことが多い。結局その小さなことの積み重ねが、結果として大きな亀裂になっちゃったっていう感じですよね。

木村 離婚は最たるものだと思います。離別の人の話を聞いているとね。

吉田 それもやっぱりタラレバなんだと思います。もうちょっとコミュニケーションを取っていればよかったとか、いろいろ思うところあるんですけど、別の道を歩むことでお互いが幸せになる場合もあるし、それぞれ家族を新たに作ってという場合もあるわけなんで、それがどういう結果になるにしろ、それぞれ納得しながら進んでいければ一番いいかなとは思います。

木村 家事や子育てはカッコつけなくってもいいんですよね。別にできないことやわからないことがカッコ悪いとも思わない。そのままにしておくほうがその人にとって良くない。何かともっともっとシンプルでいいような気がするんですけどね。

吉田 多くのパパたちがいまアクションを起こせることがあると思います。アクションを起こさざるを得ないという立場から見るんじゃなくて、いつなんどきそういう状況になるんだっていう思いが少しでもあれば、もうちょっと自分の行動が変化したりもするのだと思います。

木村 先ほど紹介した「smile bank」という絵本ライブの活動は自分の中での大きなアクションです。子どもだけに楽しんでほしいんじゃなくって、子育てに主体的にがんばっているママたちにもエールになればと思っています。肩の力を抜いて、楽しむ余裕を作ってほしい。今度、絵本ライブとヨガを組み合わせたイベントも開催する予定です。パパたちに向けた講座も積極的にやろうと思っています。自分が経験したものをもっと伝えていきたいですね。

吉田 そういう木村さんの思いが伝わるといいですね。今日はありがとうございました。

木村さん(写真右)と筆者(筆者提供)
木村さん(写真右)と筆者(筆者提供)

(了)

労働・子育てジャーナリスト/グリーンパパプロジェクト代表

1977年7月東京生まれ。2003年3月日本大学大学院法学研究科修士課程修了(政治学修士)。労働専門誌の記者を経て、12年7月から2年間ファザーリング・ジャパン代表。これまで内閣府「子ども・子育て会議」委員、厚労省「イクメンプロジェクト推進委員会」委員を歴任。現在、内閣官房「「就学前のこどもの育ちに係る基本的な指針」に関する有識者懇談会」委員、厚生労働省「子どもの預かりサービスの在り方に関する専門委員会」委員、東京都「子供・子育て会議」委員などを務める。3児のシングルファーザーで、小・中・高のPTA会長を経験し、現在は鴻巣市PTA連合会会長。著書「パパの働き方が社会を変える!」(労働調査会)。

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