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日本ウェルネス長野は4強止まり。甲子園準Vの中原英孝監督が勇退

楊順行スポーツライター
(写真:岡沢克郎/アフロ)

 第105回全国高校野球選手権は地方大会がクライマックス。長野の決勝は、上田西と松商学園の組み合わせとなった。準決勝で上田西に敗れたのは、日本ウェルネス長野。2016年の創部以来指揮を執った中原英孝監督(78歳)が、この夏限りで勇退したという。

 初めてお会いしたのは、長野日大を率いて8強に進んだ08年のセンバツ前。2度目は長野日大を勇退後の14年秋だ。そして3度目は、日本ウェルネス筑北(当時)の監督となった16年夏前。1968〜72年、88〜04年は母校・松商学園の監督を務めたから、長野県内で3校の監督を務めたわけだ。松商時代の91年センバツでは準優勝。甲子園通算14勝は、長野のチームを率いた監督としては最多だ。長野日大の監督を退いたのち、

「しばらくはのんびりします。でも、まだまだ元気ですし、いつかは14勝から上積みするかもしれませんよ」

 と聞いたが、すぐにウェルネスの監督に。8年間の最高成績はこの夏の4強で、甲子園での上積みはならなかったわけだ。

 日本ウェルネスは、全国に拠点を持つ通信制の学校。筑北校は、過疎に悩む筑北村が、村おこしにと誘致した。

「私の出身は、隣の池田町です。過疎に悩む筑北村ですが、もともとこのあたりは野球が盛んだし、私の母校である松商学園のOBも多いんです。村長や教育長も、野球部じゃないが松商OB。ですから、なんとか期待に応えられればと引き受けました。なにより野球が好きですし、体も元気ですからね」

 というのが、自身の語る監督就任当時の経緯だ。村も、この新しい学校をバックアップした。JR西条駅近くの校舎は統合した小学校を再利用したものだし、筑北村は3村による合併のため、グラウンドや体育館は3カ所ずつある。中原も、持ち前の人脈で大学野球部の合宿を誘致。夏は涼しいうえグラウンドにも恵まれ、宿泊施設も複数そろっている。一チーム30人が10日間の合宿を張れば、地元には大きな経済効果となるだろう。もともと中原は、若くして就任した松商学園の監督を一度離れたあと、大手自動車メーカーの敏腕セールスマンだったのだ。

 自身3校目となる甲子園出場はならなかったが、勇退にあたり中原監督は、

「県の代表があの舞台で堂々とやれるように、勝てるようになってくれれば非常にうれしい」

 と語っている。指導者生活は、およそ40年に及んだ。お疲れ様でした。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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