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高校野球の雑談④プラカード"パーソン"も誕生?

楊順行スポーツライター
写真は2019年夏・甲子園の閉会式(写真:岡沢克郎/アフロ)

 夏の甲子園で、代表校のプラカードを持って入場行進を先導する式典誘導係。これまでは、西宮市立西宮高校の女子生徒が務めてきたが、この夏からは男子生徒の応募も認めることになったのだとか。「時代性を踏まえ、主催者と同行が協議した結果、応募は性別を問わず可能とすることとした」のだ。2022年の夏からは、試合中にボールを手渡したりする役が女子野球部員にも認められたのを機に、ボールボーイという呼称がボールパーソンと改められたが、それに倣えば、いわゆるプラカードガールもプラカード"パーソン"になる?

 もともとプラカードガールは、1949年に始まった。前年には、学制改革があったばかり。なじみの薄い新制高校も多く、プラカードによって新しい校名を印象づけよう、また男女共学校も多く生まれており、女性にも大会に参加してもらおうという意図だったという。入場行進の先頭を行く国旗、大会旗を持つのも市西宮の生徒だった。参加希望の女子生徒によるオーディションによって決め、競争率は2倍程度。どのチームのプラカードを持つか、あるいは国旗や大会旗を持つかは、合格した生徒のくじ引きで決められる。

プラカードガールと球児の結婚も

 市西宮には、プラカードを持ちたい、という動機で入学する生徒も多く、なかには祖母・母・娘と3代続いたケースもあるらしい。49年の制度導入時には「身長155センチ以上、身体強健、運動選手、容姿端麗」という選考基準があったが、現在は時代に合わせて運動選手にこだわらず、「歩く姿勢とリズム感」が重視される。むろん、容姿端麗の条件も削除されている。

 02年からは、閉会式の優勝、準優勝のプラカードを、開会式と同じ生徒が持つことになった。当初は3年生によるものだったが、担当チームが勝ち上がると受験勉強に支障があるため、現在は2年生。かつては、先導したチームの主将とプラカードガールが結婚したことがあり、開会式後には、甲子園近くのホテルでプラカードOG会が開かれるという。

 センバツでは、夏よりも早い39年から校名プラカードの先導が始まり、国旗、大会旗、校名プラカードを持つのは、07年まではボーイスカウト日本連盟所属の高校生だった。それが、08年の第80回大会から、校名プラカードは各出場校の生徒が持つように。08~10年は閉会式でも、優勝・準優勝したチームのプラカードは生徒が持った(11年からはボーイスカウトに)。またその08年から、プラカードの校名は「国際高校生選抜書展」で地区優勝した学校が、地域ごとに書いたものを用いる。18年のセンバツでは、原本を転写したシールを貼る際にミスがあり、「慶応義塾」の「応」の字の「点」が1つ抜けているという珍事があった。

 西宮市立西宮高等学校のホームページによると、昨年度の生徒数は女子がやや多いが、ほぼ半数ずつ。いずれにしてもジェンダーレスの時代、男子生徒のプラカード"パーソン"応募もあるでしょうね。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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