現在、パ・リーグで打率トップの松本剛。8日のDeNA戦でも3安打と活躍を見せた。帝京高からプロ入り11年目だが、過去2017年に規定打席に達したことがある程度。突然のブレイクといっていい。

 高校時代、何度か取材したうち、度肝を抜かれた話がある。

 東京都板橋区にある、帝京のグラウンド。レフトは90メートルとコンパクトだから防球ネットが張られ、さらにその後方に5階建ての校舎がある。

 で、松本が3年だったある日。その打球が4階まであるネットを越え、たまたま開いていた校舎5階の窓に飛び込んだというのだ。

 さらに、もうひとつ。

「左翼線の何メートルかは校舎が途切れているんですが、その向こうにある駐車場を飛び越え、学校敷地前の道路まで達したことがありました」

 という松本によると、その推定飛距離、140メートル。

3年夏の甲子園では、大谷翔平から決勝打

 川口リトルでは、谷田成吾(のちJX-ENEOSほか)らとともに、投手兼遊撃手として世界大会で準優勝。リトルリーグの聖地であるウィリアムスポートの大観衆を体験し、「将来はMLBで」と夢はふくらんだ。

 帝京に進むと前田三夫監督は、ピッチャーをやらせたかったという。陸上部にも属した中学時代には、400メートルで埼玉県大会優勝という抜群の身体能力があったからだ。

 だが松本は、野手を選択した。

「投手という選択肢もあったんですが、なんとしても1年からレギュラーになりたかったんです。同学年には(伊藤)拓郎がいて、ピッチャーでは厳しいかな、と。それなら守備に自信があるから、野手に専念しようと考えました」

 その青写真どおり、1年の夏にショートの定位置を獲得し、九番・ショートとして甲子園デビューも果たした。

 帝京の1年生ショートというと、古くは森本稀哲(元日本ハムほか)、そして現在はチームメイトの杉谷拳士くらいのものだ。その甲子園では、同じ1年生の伊藤拓郎が最速147キロをマークしたためあまり目立たなかったが、松本も安定した守備を見せ、九州国際大付戦では9回、サヨナラ勝ちを呼ぶヒットと、ベスト8進出に貢献している。

 2年秋の公式戦終了後。

「自分はもともとホームラン打者じゃないですが、それにしても長打が少ないし、体も細い。もともとプロ野球選手が夢でしたが、肉体改造をしたのは、このままじゃプロには行けないという危機感があった」

 と、徹底してフォームと肉体改造に取り組んだ。トレーニングの量を倍にし、増えにくかった体重を増やすためにプロテインも服用した。その結果、体重は5キロ増の80キロに。さらにフォームは、

「すごくシンプルなんですが、無意識に右手で傘を差すような自然体で、左手を添える感じですね。そして股関節を少しひねり、軸足に軽く重心を置く感じで上下動を抑える」

 この相乗効果で、飛距離が格段に変わる。松本は、高校通算では最終的に33本塁打しているが、そのうち23本が3年になってからのものだ。

「フォームと肉体改造で下半身の粘りが増し、まっすぐでも変化球でも呼び込んで打てるようになりました。下半身で力強く回転できているので、飛距離が出るんだと思います」

 と松本はいう。前田監督が目を丸くしたのは、

「春先、桐光学園とやった練習試合では、ダブルで4発。それも目の覚めるようなライナーだった」

 という「対応力のすごさ」だ。

 たとえば夏の大会前の帝京は、速いストレート対策として、フリー打撃で打撃投手が10メートルほどの距離から投げたのだが、その“超速球”を苦もなく打ち返したのは、強力打線のうちでも松本のみだったという。

 その3年夏の甲子園、帝京が初戦で当たったのが花巻東だった。

 四番に座った松本は、7対7の7回、救援登板した当時2年の大谷翔平(現エンゼルス)から決勝打を放っている。ただし、続く八幡商戦では、自らのエラーもからみ9回に逆転負け。

「試合には悔いが残りますが、最後を甲子園で終われたことはよかった」

 と話してくれたものだ。さてさて、ビッグボスのもとで好調な今季。帝京出身者として初めての首位打者獲得? という想像はちょっと気が早いか。