「まっすぐのコントロールがよかったです」

 東海大相模のエース・石田隼都が完璧だった。14三振で福岡大大濠を3安打完封した準々決勝に続き、この日は天理から15三振を奪いまたも3安打で無四球完封。救援した1、2回戦との合計では26回無失点、しかも42三振だから脱帽だ。140キロ級のまっすぐと、「中1で最初に覚えた変化球」という右打者の外へのチェンジアップ。ことに天理のキーマン・四番を打つ瀬千皓には、内へのまっすぐを意識させてギアを上げ、3打数2三振だ。これで相模は、春は6回目の準決勝を勝ち、決勝進出は5回目。敗れたのは2018年(対智弁和歌山)のみ、つまり準決勝の勝率は5勝1敗と驚異的だ。準決勝に強いのは夏も同様で、こちらは3戦全勝。つまり相模の甲子園準決勝は、合計で8勝1敗ということになる。

元プロ監督、初の決勝進出なるか

 この試合、相模の勝率のほかにもうひとつ注目は、中村良二監督率いる天理の決勝進出なるかどうかだった。学生野球構成員資格を回復(いわゆる資格回復)した元プロ野球選手が、監督として決勝に進出したら、センバツ史上初めてとなるからだ(夏は08年、常葉菊川[現常葉大菊川]の佐野心監督がある)。むろんさかのぼれば、池田の蔦文也監督を代表に、元プロ監督の優勝や決勝進出例はいくらもある。だが、資格回復から決勝進出となると、センバツではかつて例がないのだ。

 そもそも、資格回復とはどういうことか。 学生野球憲章第12条には、「プロ野球選手、プロ野球関係者、元プロ野球選手および元プロ野球関係者は、学生野球資格を持たない」とある。学生野球資格(正式には学生野球構成員資格)がないと野球部員、クラブチーム参加者、指導者、審判員または学生野球団体の役員となることができない、という規定だ。古くはプロ野球経験者でも、退団後1年間を経るなどすれば、指導者になることに制限はなかった。ところが1961年、お互いの選手獲得を巡って社会人野球界とプロ球界が断絶。その夏には、プロ球団が規定を破って高校生と交渉していることが明るみに出ると、日本学生野球協会も社会人に同調し、日本球界ではそこから、長きにわたってプロアマの確執が続くことになる。このとき、プロ野球経験者がアマチュア野球の監督となるには、かなり厳しい条件が設定されていた。

 それでも高校野球では84年、プロ経験者が指導者としてアマ球界に復帰することが可能となった。ただし、高野連加盟の同一高校で最低10年以上教職員として教鞭をとったうえ、日本学生野球協会の審査で高校野球指導者としての認定を受ける必要がある狭き門。そのため、00年までは元プロの高校野球監督自体が少なく、新たな規定のもとで甲子園に出場するのは91年春、瀬戸内を率いた後原富(元東映)が第1号かつ、00年までの唯一の例だ。

 その後、求められる教師経験年数が94年には5年、97年には2年と短縮されると、徐々に元プロの指導者も増えていく。さらに13年には、学生野球協会と日本野球機構が実施する学生野球資格回復研修会を修了し、学生野球協会の認定を得れば、プロ野球経験者でも高校生の指導が可能となった。阪神などでプレーした天理の中村監督もこの一人で、今大会ではほかにも常総学院・島田直也、東海大菅生・若林弘泰(就任はそれ以前の09年)が元プロ監督だ。

達の先発回避は球数ではない

 実は中村監督には思い入れがある。天理の主将として優勝した86年夏のあと、日本代表の韓国遠征に帯同取材したのだが、そこで気さくに話してくれた選手の一人なのだ。以後しばらくは会う機会もなかったが、ほぼ30年ぶりに甲子園で出会うと、「ああ、あのときの……」と懐かしがってくれた。その中村監督率いる天理、ここまで3試合で先発しているエース・達孝太ではなく、仲川一平。達が過去5日間で298球を投げており、500球の球数制限を考慮しての判断かとも思われたが、「いや、球数ではありません。もともと私は、先のことを考えずにエースを登板させるという考え。ただ仙台育英戦のバント処理の際だと思いますが、実は達が左のわき腹を痛めたようで……」と中村監督はいう。

 その相模戦は、仲川が期待以上の好投を見せ、試合はロースコアの接戦となったが、石田の好投の前に0対2。資格回復監督の、センバツ初の決勝進出はならなかった。さあ、明日は決勝だ。東海大相模の決勝での勝率は、さすがに準決勝並みとはいかずに4勝3敗。

「勝ってうれしい気持ちもありますが、日本一を目ざしているので明日勝たないと意味がない。今日は力みなく腕が振れたので、(連投の)明日もまだ投げられます」

 と石田は決意を新たにする。初めて決勝に進んだ明豊との決勝は、明日12時30分開始予定である。