あまりにも若すぎるじゃないか、53歳だなんて。

 1992年のバルセロナオリンピック・柔道71kg級金メダリスト、古賀稔彦さんが亡くなったという。ふだん野球などを取材しているから畑違いなのだが、一度だけお話を聞いたことがある。2004年のアテネ五輪で、女子柔道のコーチをしていたとき。

 アテネ本番、女子63kg級決勝。オーストリアのクラウディア・ハイル選手に合わせ技一本で勝った谷本歩美が、いきなり古賀コーチに抱きついたシーンが印象的だったものだから、そのときのことをたずねてみた。

「いやあ……彼女のコーチを引き受けてから、”いつかは世界一になって抱き合おう“といい続けてきたんですけど、世界の何億もの人が見ているあの舞台、さすがに腰が引けたんです。だけど彼女はそれを覚えていて……。あんなオーバーな喜びの表現は、日本人としてはいっぱいいっぱいでしたね(笑)」

”平成の三四郎“。92年バルセロナ五輪では、大会直前の練習中に大ケガを負いながら、金メダルを獲得した瞬間目をうるませた。両手を広げての雄叫びは、いまでも目に焼きついている。ほかにも世界選手権で3回の優勝、96年アトランタ五輪の銀メダルがある。00年に引退後は、全日本女子強化コーチのほか、次世代の子どもたちの育成を図る町道場「古賀塾」を、川崎市で開いていた。そこを、訪ねたのだ。

 古賀さんは、谷本の金メダルをこう、振り返った。

「選手としての金メダルと谷本のとは、喜びがまるで別です。92年のバルセロナでは、ケガをして、まるでふつうではない自分がいた。自分さえも体験したことのない領域で戦っていたんです。それが指導者となった今回は、自分の経験を踏まえて極力冷静にならなければいけないわけですから、未経験の領域にいるのとは180度違いますよね」

ハメを外すなら思い切り外せ

 指導者として会った古賀さんからは、現役時代の求道者のイメージはなかった。むしろ、”道“につきまとうストイックなイメージとはまるで逆で、親しみやすい。聞くと現役時代も、ハメを外すときは意識的にとことん遊んだという。日常、妥協しない練習をこなしていたからこそ、リラックスするときも徹底したのだ、と。

 その指導理論も、”オレについてこい“式の根性論とはかけ離れていた。

「ことにオリンピック前などは、いろんな先輩がアドバイスをくれます。体育会系というのは、どうしてもタテ社会ですから、それはありがたく拝聴しなければいけません。そうすれば先輩も、ある程度満足します。ですが本人にとって、果たして実のある忠告かとなると、そうばかりでもないでしょう。私は選手時代、そういう経験をしてきました。だから指導者になってからは、押しつけるのではなく、いかに本人に考えさせ、いかに自立させるかに気を配っています。試合になったらコーチは助けてくれないんですから、自力で問題を解決する能力を育てるわけです。それができれば、あとは選手の立場になってサポートし、力を出させるように気持ちを楽にしてやればいい」

 そのころの女子選手は、小さいころから英才教育を受けるケースが多く、コーチはまるで自分の娘のように過保護に育てていた。すると選手の側もいつの間にか、コーチにいわれないとウォームアップひとつできないほど、頼りきってしまう。谷本の場合も、その傾向があったという。だから古賀さんは、谷本のフォームからまず、変えた。谷本はもともと、襟をつかむ釣り手の位置が低く、それだと、相手の動きは封じやすいが、自分の持ち味である技の多彩さも半減する。その釣り手の位置を、上げさせたのだ。

 口にこそ出さないが谷本は、反発を示した。自分の柔道に対するプライドもあれば、相手の動きを自由にしてしまう恐怖もある。そこを古賀さんはなだめ、すかし、徐々に自信を持たせていった。同時に、自立の心得を説く。03年9月に谷本は、大阪で行われた世界選手権3回戦で敗退し、オリンピックが絶望視されたが、「大丈夫だ。負けはしたけれど、オマエは少しずつ自立できている」と、弟子の成長を信頼し続けた。その敗退からはい上がって出場を果たし、10カ月後のアテネ金メダルだった。

 古賀さんはこういった。

「犬を散歩するとき、自分の行きたい方向に綱を引っぱる飼い主がいます。そうじゃなくて、犬の歩きたいままに歩かせ、それを後ろから見守り、間違った方向に行きそうになったときだけ綱をちょっと引く。そんな指導者がいいと考えています。無理やり首輪を引っぱられては、犬もついて行きたくないじゃないですか」

 だが……柔道界はその後、パワハラやジェンダー問題、行き過ぎた指導など、さまざまな不祥事が続いた。若くして逝った古賀さんはいま、忸怩たる思いでいるはずだ。合掌。