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2020年の高校野球を回顧する(7) 島田直也と芝草宇宙の監督対決

楊順行スポーツライター
1987年夏の甲子園・島田直也(常総学院)(写真:岡沢克郎/アフロ)

 木内幸男氏の逝去に触れた前回、島田直也(元日本ハムなど)が文中に登場した。そういえば1987年、島田とともに日本ハムに同期で入団した芝草宇宙。両者の頭文字を取ってSSコンビと呼ばれた2人はいま、高校野球の監督だ。島田はこの7月から母校・常総学院(茨城)を、芝草は4月から母校・帝京(東京)と同じグループの、帝京長岡(新潟)を率いる。8月には、練習試合を行った。

 むろん2人は顔なじみだが、お互い電話では話すものの、対面するのは10年ぶりとか。「まさか同じ時期に高校野球の監督とは……。これも運命なんだな。お互い野球界を盛り上げていけるよう頑張りたい」とは島田監督だ。プロ入りが同時だから、学年も同じ。いずれも87年春夏の甲子園に出場し、島田の常総は準優勝、芝草の帝京はベスト4ながら、本人はノーヒット・ノーランを達成している。つまり、甲子園のアイドルだったわけだ。僕は当時、どちらも取材している。懐かしいなあ。

まるで"大富豪"だった島田 

 ちょっと87年夏を振り返ってみる。

 島田は、投げるたびに調子を上げていった。まずは、福井商を6安打10三振で2失点完投。2回戦は沖縄水産を3安打10三振で完封し、3回戦は尽誠学園(香川)を4安打8三振でやはり完封。準々決勝は中京(現中京大中京・愛知)に7対4ながら、自責は1だ。そして準決勝は東亜学園(西東京)に延長10回、2対1とサヨナラ勝ち。決勝はPL学園(大阪)に敗れたが、島田は準決勝までの5試合、46回を投げて自責3、防御率0.59という完璧な内容だった。

「センバツで初戦負けしたのがひとつの転機でした。あの悔しさで、変わったんです」

 と、初戦を突破したあとの島田。だけど沖縄水産との2回戦に向けては、「1回勝っただけで十分です。だって向こう(上原晃)は、1年のときから甲子園で投げていた全国区でしょう」と、本心はともかく表面上は弱気だったものだ。

 唐突だが……大貧民というカードゲームをご存じだろうか。数人に手札を配り、ジョーカー、2、A、K……の順に強く、相手が出した札より強い札だけを場に出せる。早く手札がなくなれば勝ち。そして勝者は"大富豪"になり、次のゲームでは望みの札2枚をビリの"大貧民"と交換できる。一度"大富豪"になると、次からは強力な手札がそろいやすいわけだが、勝つためには勝負カンと読み、大胆さが必要だ。

 さて、この87年夏の島田。投手成績も、投げ勝った相手もまた、すごい。沖縄水産は上原晃(元中日など)、尽誠学園は伊良部秀輝(元ロッテなど)。しかもこの2試合は、第9日第3試合と第10日第1試合という、いまでは考えられないほどの過酷な連戦。当時は試合順などに配慮しないクジ引きだったからで、それにしてもまるでダブルヘッダーだ。さらに中京の投手は1学年下ながら木村龍治(元巨人)で、東亜学園は川島堅(元広島)……。難敵をなぎ倒すごとにそのパワーを吸収したかのような島田は、次の試合ではさらに大きな力を発揮していった。つまり、大富豪さながら。

 当時僕は、宿舎で島田と同室だった1年生の仁志敏久から、こんな話を聞いている。

「島田さん、(大貧民が)ものすごく強いんですよ。カンが鋭いっていうのか……」

 いくらなんでもできすぎだろう、と思われるかもしれないが、ホントウなのだ。

芝草宇宙は1987年夏の甲子園でノーヒット・ノーランを達成
芝草宇宙は1987年夏の甲子園でノーヒット・ノーランを達成写真:岡沢克郎/アフロ

 一方の芝草は、その夏の東東京大会前に取材した。実は当時の帝京、センバツ出場時のチーム防御率は32校中ブービー。弱投、といわれていた。だがフタを開けてみれば、センバツ1回戦の芝草は2失点完投、2回戦は完封、準々決勝はPLに敗れたものの延長13回を3失点と粘ったのだ。

「試合の半分以上はピッチャーが握っていると思います。だからエースは、一番しっかりしなくてはいけない」

 と、前年秋までは頼りなかったエースがすっかり自信をつけていた。6月に背筋を痛め、夏の東東京大会では10イニングしか投げなかったが、甲子園本番に仕上げてくるのがさすがエース。初戦は6回1失点でお役御免だったが、2回戦では、東北(宮城)を相手に史上20人目のノーヒット・ノーラン達成だ。ただ四死球8には本人、「70、80点のデキ。1球1球丁寧に投げただけです」とやや不満顔。それでも、翌18日の18歳の誕生日に向け、自分で贈った大きなプレゼントだった。この芝草の帝京も、常総と同じくPLに敗れて夏を終えたが、そこまでの芝草の成績は33回を自責点1と、これも見事の一言だ。

 このときの夏から、30年以上がたった。8月の練習試合は、ダブルヘッダー2試合とも常総の勝利に終わったが、今度は監督としてSSコンビが甲子園に立つ日を楽しみにしたい。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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