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2019年高校野球10大ニュース【8】11月/懐かしのユニでVの中京大中京・高橋宏斗はドラ1候補

楊順行スポーツライター
オールドファンには愛着のある中京大中京の立て襟ユニ。写真は野中徹博(写真:岡沢克郎/アフロ)

 スキのない頂点だった。11月20日。明治神宮大会の決勝は、中京大中京(愛知)が健大高崎(群馬)を4対3で下して優勝。甲子園春夏通算で最多の11回優勝を誇る古豪は、計15回を投げて3失点のエース・高橋宏斗と、3試合22得点の打線、それに無失策の堅守で初めて秋の頂点に立った。

「このチームで勝てなかったらどうしようと思いました」

 と笑わせるのは中京大中京・高橋源一郎監督だが、確かにこのところの中京は"らしくない"戦いが続いていた。16年秋の東海大会では、センバツ当確まであと1死から至学館(愛知)に逆転サヨナラ負け。18年の秋も、勝てばセンバツ出場が確定的な東海大会準決勝で津田学園(三重)に5回コールド負け。この夏も、愛知の準決勝で誉に敗退……。18年秋とこの夏はいずれも、現エースの高橋宏が打ち込まれていた。新チームになっても、そう。秋の愛知県大会、愛知との3回戦では、あと1球で勝利、という場面から2ランを浴びて追いつかれる。だが、「あれが転機になりました」とショートの中山礼都がいうように、そこから高橋宏がひと皮むけた。

馬淵監督も「どこまで伸びるか楽しみ」

 東海大会、県岐阜商との決勝は8回裏、6回から救援した高橋宏が、4点リードをイッキに追いつかれた。失礼を承知でいえば、これまでの負けパターンである。だが高橋宏は、なおも2死満塁のピンチをゼロで踏ん張り、9回の勝ち越し、そして優勝を呼び込んでいる。高橋監督はいう。

「それまでなら、もっと点を取られていたと思います。大会を通して成長した部分ですね」

 そして、東海大会優勝から2週間後の神宮大会。明徳義塾(高知)との一戦で見せた高橋宏の投球は圧巻だった。7回コールドながら、毎回の10三振を奪って4安打完封だ。初回に1死三塁のピンチを招くと、明徳の三番に対して自己最速タイの148キロまっすぐで三振。以後は三塁すら踏ませていない。高橋宏はいう。

「初回の先頭に二塁打を打たれて、逆に力が抜けました」

 死球こそあるが無四球という制球のよさには、敵将・馬淵史郎監督も脱帽だ。「甲子園で対戦した上級生も含めて、今年やったなかではナンバーワンやね。なによりボールが低くてタマ筋がいいし、シュート回転しないし、たまに高めにきたと思うたら威力がある。ストレートでカウントを取れるのは、いいピッチャーの証よ。これまで対戦したなかでは、山岡(泰輔・瀬戸内、現オリックス)にも匹敵する。どこまで伸びるか楽しみ」。

 高橋宏は、健大高崎との決勝でも6回から救援して4回を無安打無失点。「今日は、スピードも球の走りもいまひとつだったので、打たせて取る投球をしました」と、12アウト中ゴロアウトが9と、連投での対応力も見せている。天理(奈良)との準決勝こそ9回に同点の一発を浴びたものの、合計15回を8安打16三振、3失点と安定していた。

「新チームの目標は、神宮大会優勝。そう書いた貼り紙を貼るなど、具体的に掲げたチームは過去にありませんでした」

 その目標を達成した高橋監督が、「年配の方が愛着、プライドを持っている」という伝統の立て襟のユニフォームに戻したのは、この夏のことだ。高橋監督が現役として準優勝した1997年センバツでは、すでにモデルチェンジしていた。当時の指揮官は、大藤敏行・現享栄監督。「ユニフォームが代わったら、OBの方からの反発がすごくてね。家に抗議の電話がひっきりなしだったので、コードを抜きましたよ(笑)。代えたのは私じゃないのに……」と苦笑していたことを思い出す。

 ともあれ、だ。平成の時代には、甲子園で一度も見られなかった中京伝統の立て襟が、令和最初のセンバツで戻ってくることになる。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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