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30年前の10月14日、近鉄優勝! その1年前のドラマを覚えていますか?【4】

楊順行スポーツライター
のちMLBで32勝する吉井理人も「10・19」の登場人物だ(写真:ロイター/アフロ)

 1988年10月19日。ロッテとのダブルヘッダーに連勝すれば優勝という近鉄は、その第1試合、しびれるような勝ち方でVへの可能性をつなげた。その時点で、ゲーム差なしと首位・西武に肉薄している。

1 西武 73勝51敗6分け 勝率.588

2 近鉄 74勝52敗3分け 勝率.587

「次や、次!」

 勝てば優勝の第2試合に向けて、中西太コーチが気合いを入れる。わずか23分のインターバルの間に、両軍とも軽食をかっこんだ。なにしろ、15時に始まった第1試合が終わったのは、18時21分。エネルギーを補給しないと、第2試合はもたない。一方、第1試合で負け投手となった牛島和彦のもとには、そのインターバルの間に「急きょテレビ放映が決まり、放映権料が入ってきます。ありがとうございました」と、ロッテの営業担当が奇妙な挨拶にきた。さらには、同じパ・リーグの阪急ブレーブスが身売りするというニュースまで飛び込んでくる。なんとも、あわただしい。

 ハリウッド映画では、2種類の結末を用意することがあるという話をどこかで聞いた。ハッピーエンドか、その逆か。試写会で反応のよかったほうを、本採用するのだとか。真偽は定かじゃないが、川崎劇場での野球劇の結末は、まだわからない。

 2試合、ロッテは、園川一美を先発に立てた。近鉄から2勝をあげており、つまり第1試合の小川博と合わせると、このシーズン近鉄からのすべての勝ち星を記録している2人が、10・19の先発だった。スタメンはもちろん、ベストメンバーである。近鉄の先発は高柳出己。ここまで4連勝と、好調のルーキーだ。

すし詰めの川崎劇場

 第1試合を担当し、お役ご免のパ・リーグ記録部・千葉功は、めずらしくすし詰め満員の川崎球場で座る席が見つからず、球場での観戦をあきらめた。外に出ると、札止めで入りきらないファンが外周をとりまき、近隣のマンション屋上にも人だかりが見える。千葉の長い記録部生活の中でも、ついぞ記憶のない光景だった。18時44分、第2試合のプレーボールだ。ロッテが2回に先制するが、近鉄は5回、オグリビーのヒットで追いつく。そして7回に伏兵の吹石徳一、真喜志康永に一発が出ると、梨田昌孝は優勝を確信した。ふだん打たない選手がホームランを打つ、この流れはいける! 79、80年の連覇を経験しているベテランの嗅覚だ。だが、ロッテもその裏、すぐさま同点に追いつく。3対3。登板予定がなく、ベンチから観戦を決め込んだ牛島は、ぞくぞくしていた。

「野球ファンにとっては、たまらん試合でしょう。それほど両チームとも1球に集中していて、やっぱり、神様がおもしろくしてくれてんのやな……そう思いましたね」

 川崎球場で、なにかとんでもないことが起こっているらしいぞ……繁華街の飲み屋では、近鉄の感動的な戦いに、入ってくる客の第一声は決まって”いま、どうなってる?“。テレビ朝日は、通常の番組をすっ飛ばして生中継を始め、ニュースステーションの枠でもそのまま放送を続けた。

 8回。近鉄の躍進を支えた主砲・ブライアントに一発が出る。これで4対3となり、第1試合に続いて、8回裏から阿波野秀幸がリリーフに立った。ハッピーエンドか、それとも……8回裏1死、ロッテの攻撃。打席には首位打者争いを繰り広げている高沢秀昭が入った。第2打席でこの日初ヒットを放っており、チームは1点負けているから、打率キープのために引っ込むわけにはいかない。なにしろ、パ・リーグの優勝の行方を左右する一番だ。いかにチームが最下位とはいえ、首位打者争いを優先するのはファンへの冒涜だろう。その打席を、高沢ははっきり覚えている。

捕手からのサインは「まっすぐ」

「阿波野は第1試合も投げていましたが、一番信頼できるエースですから、出てくるのは意外でもなんでもなかった。まず初球ボールのあと、スクリューを2球空振りしてツー(ストライク)ワン(ボール)。そこから外にストレート、内にスライダーが外れてフルカウントです。次はインコースにまっすぐか、それとも阿波野の一番いいスクリューか……どちらがくるかはわからないですけど、頭のなかにはスクリューを引っかけないように、という気持ちがありました」

 梨田は、ベンチで祈っていた。ここは、ストレートだ。2ストライク1ボールとか、早いカウントで勝負したかったが、高沢は外のまっすぐにも、スライダーにも、どちらもタイミングが合っていないじゃないか。まっすぐでいけ。事実、マスクをかぶる山下和彦も、まっすぐのシグナルを送っていた。ただ……それを受けた阿波野には、一瞬のためらいがあった。高沢のような器用な打者には、高打率を残されている。だけど、ここで一番警戒するのはホームランだろう。完投から中1日で、しかも第1試合にも投げているから、自分のストレートの走りがどれだけか実感がない。もし思ったほどキレがないと、まっすぐは長打のリスクが高いのではないか……そうはじいた阿波野は、山下の出したまっすぐのサインに首を振ることになる。

1989年10月19日 川崎球場 第2試合

近 鉄 000 001 21

ロッテ 010 000 2

(続く)

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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