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30年前の10月14日、近鉄優勝! その1年前のドラマを覚えていますか?【3】

楊順行スポーツライター
浪商(現大体大浪商)時代、甲子園をわかせた牛島和彦も「10・19」の出演者(写真:岡沢克郎/アフロ)

 1988年10月19日。ロッテとのダブルヘッダーに連勝すれば優勝の近鉄は、引き分け目前の第1試合9回、代打・梨田昌孝が勝ち越し打を放ったが、9回裏、吉井理人をリリーフした阿波野秀幸が2死満塁のピンチを招いてしまう。だが、一打サヨナラ負けのこのピンチに、森田芳彦を外へ逃げるスクリュー(いまならばチェンジアップと呼ぶだろうか)で空振り三振。貴重な1点を守り切り、近鉄が優勝まであと1勝とした。梨田に勝ち越し打を許したロッテ・牛島和彦が、「神様がおもしろくした試合」というのは、このあたりにもある。

 最後の打者になった森田は、本来内野手であると前回に触れた。それがなぜ、外野を守っていたのか。中堅を守るのは本来、高沢秀昭だった。落合博満が中日に移籍してからは四番に座り、この88年はずっと打率1位をキープしていた。ただ終盤になり、阪急・松永浩美が猛追。チーム成績がふるわないロッテだから、せめて個人タイトルを取らせたいという心情から、もし高沢にヒットが出なければ、相手の動向をにらみつつ、試合の途中で交代することが多くなっていた。打率の低下を最低限に抑えるためだ。

神様がおもしろくした試合

 この近鉄とのダブルヘッダーでは、高沢欠場という選択肢も考えられたが、そう簡単にはいかない。なにしろ、消化試合のはずが、リーグ優勝のカギを握ることになったのだ。「どっちが優勝するかはウチ次第だ。西武にも近鉄にも失礼のないように、とにかく全力で戦おう……有藤(道世監督)さんは試合前、そんなふうにいっていました」と高沢が回想するように、このシーズン、ロッテの勝敗がもっとも注目される試合、といってもいい。だから「失礼のないように」、高沢はスタメン四番に名を連ねた。だがこの試合の高沢は、3打席目までヒットが出ない。松永との打率の差はわずか3厘……同点で回ってきた8回の4打席目には、有藤監督もたまらずに高沢を下げ、上川誠二を代打に立てた。その上川に代わって9回表から守備についたのが、森田というわけだ。もし高沢が首位打者争いの渦中にいなければ……内野が本職の森田がセンターに回ることはなかったかもしれない。その森田が梨田のヒットを処理したわけだが、本職の外野手だったら……牛島にいわせれば、そのあたりも神の配剤なのだ。

 第1試合の9回を締めくくったサウスポー・阿波野は、この年が2年目ながら、文字通り近鉄の大黒柱だった。前年15勝をあげ、防御率もリーグ4位で新人王を獲得すると、88年もフル回転でここまで14勝。1年目、夏場にばてた反省からコンディショニングを重視し、安定した力を見せている。ストレートのキレと、右打者の外に逃げ落ちるスクリューが絶品だった。10月17日の阪急戦は、石嶺の2ランを浴びて2失点完投ながら負け投手。それでも中1日のこの日も、当然のようにベンチに入っていた。30年以上前の投手起用は、それが当たり前だった。

最後はスクリューで

 さて、梨田のヒットで勝ち越した9回表。ブルペンにいた阿波野は、登板に備えて肩を作った。権藤博投手コーチが「いけるか」と声をかけてきたのは9回裏、吉井が先頭打者を歩かせ、次の打者にも2球ボールを続けたときだ。「いけます」。阿波野にとって、初めてのリリーフである。無死一塁。山本功児、セカンドゴロ。西村徳文、三振。2死にこぎ着けた。だが佐藤健一に二塁打を浴び、2死二、三塁。さらに愛甲猛、死球。2死満塁と一打サヨナラのピンチだ。それでも、阿波野にかけたシーズン、ここぞという場面では阿波野でいく……策士・仰木彬監督も、最後はどっしりかまえた。マスクをかぶるのは、9回の表に勝ち越し打を放った梨田である。阿波野の話を聞こう。

「梨田さんがマスクをかぶってくれたら、よけいなことはなにも考えなくていい。サイン通りに投げればいいんです。1年目は僕も生意気だったから、サインに首を振ったこともありました。そういうときも、ベンチに戻るとなぜ首を振ったか、理由を聞いてくれたうえで、”でもな、これこれこうだから、あの場面ではこうだよ“と、納得させてくれる。なかなか勝てないときには、僕が怖くて使わなかったカーブを”ボールでいいんだ、バッターの目線を上げる効果があるんだから“と要求してくれて、それが立ち直るきっかけになったこともあります。最後の9回……2死満塁で、打席には途中から出ている森田さんでしょう。そういう選手って、えてしてラッキーボーイになるからイヤな感じはしたんですよ。だけど、梨田さんは冷静でしたね。リードは任せっきり。最後のボールは、スクリューでした」

 2ストライクノーボール。最後は、外に落ちるスクリューに、森田のバットが空を切った。3球勝負だった。このことを、記憶しておいてほしい。試合終了、6時21分。近鉄優勝まで、マジック1……。

1988年10月19日 川崎球場 第1試合

近 鉄 000 010 021=4

ロッテ 200 000 100=3

(続く)

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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