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いまさらながら……2017年夏の甲子園、名采配をプレーバック。(その6・天理)

楊順行スポーツライター
ピンぼけだが1986年当時の中村良二(中)。左は近藤真一(元中日)/著者撮影

▼第10日第1試合 3回戦

天    理 010 000 000 01=2

神戸国際大付 010 000 000 00=1

「打たせて下さい」

 11回表、天理(奈良)の攻撃だ。横手投げのエース・碓井涼太は、シュートを打たせて10回まで7安打1失点の好投。だが、初戦で6得点した打線も神戸国際大付の岡野佑大、花村凌の継投に10回まで6安打1得点だ。それでも11回は1死から城下力也が二塁打で出、2死後七番の安原健人が敬遠されて2死一、三塁のチャンスだ。打席には八番・山口乃義が入る。

 二塁手で八番だからまあ、「守備の人」(中村良二監督)で、この日もここまで3打数2三振だ。しかも、内容がよくない。7回の1死一、三塁では三塁ゴロに凡退。9回表には、やはり前の打者・安原が敬遠された2死一、二塁で、空振り三振に倒れている。神戸の再度の敬遠策は、当然といえばいえた。山口も内心、「ここは代打かなぁ……」。それなら、と代打を告げられる前に、思い切って中村監督に直訴した。打たせて下さい、と。中村監督、その気持ちを買った。

「ずっと、"今日はお前の日やな"というてたんです。チャンスが回ってくるし、唯一の失点は山口の野選。もともと逆方向にいい打球を飛ばす子なので、"右を狙いなさい"と送り出しました」

 打席に入った山口は、花村の1球目を空振り。ひとつ、ひらめいた。このままだと、9回の三振と同じになる。目線がぶれないように、一か八かノーステップで打ってみよう……。モーションの小さい先発・岡野対策として、ここ数日間練習していた打法である。当たった。132キロの直球をコンパクトにミートすると、打球は中村監督の指示どおりライトの左へ。三走の城下がホームインし、天理はそのまま逃げ切りベスト8進出を決めた。

さすが元プロ、の野球カン

「まさか8強とはねぇ……」

 とは中村監督だ。1986年夏、主将にして主砲で天理の初優勝に貢献すると、高校通算41ホーマーの長打力をひっさげ、近鉄に入団。二軍で通算100本塁打を記録するなどしたが、一軍ではなかなか結果を残せず、移籍先の阪神で97年に現役を引退している。その後シニアリーグの指導者、天理大野球部の監督などを経て、2014年2月には天理高のコーチ、そして15年秋に監督に就任。阪神に所属していた元プロ野球選手が、高校野球の監督として甲子園に"戻る"のは史上初めてのことだという。

 初戦(2回戦)で大垣日大(岐阜)に快勝したあとは、

「まさか僕が、母校のユニフォームを着て甲子園に戻ってきて、しかも初戦を勝つなんて」

 と目を潤ませたものだ。

 そしてこの3回戦、元プロならではの勝負カンは、山口を打席に送ったほかに、9回の守りでも見られた。2死三塁のピンチに送られた代打に対し、敬遠を指示。次打者は投手の花村で、

「たぶん、花村君への代打はないだろうと読んでの敬遠でした。そしてもしここをしのげば、勝機がくる、と」

 実際に碓井涼は、花村をショートゴロに打ち取り、サヨナラのピンチを脱している。ここでの敬遠策が功を奏した天理が、相手の敬遠をきっかけに延長勝ちするのだから、勝負の機微というのはおもしろい。

 実は私、中村監督には少々思い入れがある。86年夏の甲子園後、中村らが選ばれた日本選抜チームの韓国遠征に帯同しているのだ。気さくによく話してくれる少年で、いっしょにソウルの町を散歩したっけ。もっとも、30年以上前のことだ。今回の甲子園で当時の話をしても、さすがに記憶はあいまいだったが。

 この試合を快勝した天理は、明豊(大分)との準々決勝も13対9と大勝。ベスト4まで進んでいる。その明豊戦、大会新記録の61号、おまけに62号まで放ったのが、すっかり打撃開眼した八番・山口である。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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