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渡辺元智監督勇退。そこで「厳選・横浜名勝負」 その4

楊順行スポーツライター

1998年4月7日 第70回選抜高校野球大会 準決勝

横  浜 000 000 021=3

PL学園 000 002 000=2

5回まで両者無得点も、横浜が押し気味。松坂大輔に5回まで1安打に封じられていたPLは6回、田中一徳の内野安打から好機をつかみ、四番・古畑和彦の二塁打で2点を先取。しかし横浜は8回一死二、三塁から三塁手古畑の本塁悪送球で幸運な2点を得ると、9回表に加藤重之の勝ち越しスクイズでPLを振り切った。

横浜・渡辺元智監督によると、

「松坂たちの98年は、パーフェクトなチームでした」

ということになる。97年秋の関東大会、神宮大会を優勝すると、翌年のセンバツでも報徳学園、東福岡、郡山を下しての準決勝に進出。松坂はそこまでわずか2失点。2回戦と準々決勝は連続完封である。そして、準決勝で当たったのがPL学園だった。

「関東の強豪とは関東大会で対戦しますから、西の名門、強豪と対戦するのは、チームにとってすごい肥やしになるんです。そこまでの甲子園では中京商(現中京大中京)、東邦、広島商、高知、徳島商、県岐阜商、高松商、箕島、天理、報徳学園、上宮、智弁和歌山、福井商……などという並みいる強豪、常連と対戦してきましたが、不思議とPLとは初対戦だったんです。

この時代まで、PLといえば特別の存在だったじゃないですか。なにしろ、80年代だけで春夏6回優勝しているわけですから。われわれにしても、PLにどこまで近づけるかを目標にやってきた。しかも、この大会後にあとを受けた河野(有道)さんには申し訳ないですが、中村(順司)さんにとって最後の甲子園、ということで、ぜひとも監督として対戦したかったんです。両者とも4強まで勝ち上がって、ついに念願がかなうことになりました」

そして、舞台は夏へ……

「それにしてもPLは、やはりレベルが高かったですね。9回、加藤のスクイズで勝ち越すんですが、カウントはいくつだったか、上重(聡)君と石橋(勇一郎)君のバッテリーはおそらく、三塁走者のスタートを見てウエストしたと思います。三塁走者のスタートがちょっと早かったのか……それにしても、この外すタイミングというのが絶妙でした。キャッチャーがあまりに早く立ち上がると、ランナーは自重できるでしょう。その間を見切って、石橋君がアウトハイに構えているんです。

ただこのとき、ウエストした相手バッテリーも見事なら、打席の加藤の反応もすばらしい。飛びついて、バットを放り出すように見事にセカンド前に転がしました。加藤というのは、このときの夏もすばらしいバントを決めることになります」

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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