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落合博満の知られざる名勝負――若き三冠王が放った起死回生の3ラン本塁打

横尾弘一野球ジャーナリスト
1979年5月31日の南海戦で、プロ初本塁打を放った落合博満。

 落合博満が放った510本塁打の中で、最も印象深いのはどれか。自身の通算500、1000、1500、2000安打はすべて本塁打で決めており、通算1000、2000試合出場をクリアした際にもアーチを描いている。また、1989年8月12日の巨人戦では、9回裏一死までノーヒット投球だった斎藤雅樹に逆転サヨナラ3ラン本塁打を見舞うなど、ミラクルな活躍でもファンを沸かせた。そんな中で、当時のプロ野球界、あるいは落合の足跡を知る者にとっては「最高にドラマチックな一発」という本塁打がある。

 1983年8月31日、日中は強い陽射し照りつける西宮球場。阪急がロッテを迎えた20回戦は、プレイボールが近づくと独特の緊張感に包まれた。ペナントレースは西武が独走し、16ゲーム差で3位の阪急と、実に29.5ゲーム差で最下位を“ひとり旅”するロッテの対戦だが、“世界の盗塁王”福本 豊が通算2000安打まで1本に迫っており、その瞬間を目に焼きつけようと1万2000人の観客が足を運んでいた。

 前年に史上最年少の28歳(当時)で三冠王を手にした落合は、この年はどっしりと四番に座り、最終的には自身最高の打率.332で3年連続の首位打者に輝く。それでも、契約更改では「三冠王がタイトルをひとつしか獲れなかったのだから、基本的には減俸だ」と言われた時代。まだ5年目で20代の落合は、現在なら村上宗隆(東京ヤクルト)のような勢いのある若きスラッガーだった。

 そんな落合も、2年目まではファーム暮らしが長かったこともあり、後輩の面倒見はよかった。この試合の先発を任された中居謹蔵は1979年にドラフト4位で入団し、ようやく一軍のマウンドに立った22歳。4月23日に仙台で行なわれた日本ハム戦に初先発で白星を挙げ、チームとしても近い将来に先発ローテーション入りを期待する存在だ。

「私が1失点完投で初勝利を挙げた仙台シリーズは自動車メーカーがスポンサーになっていて、2試合で3安打4打点の落合さんがMVPに選ばれた。でも、賞品の軽自動車は落合さんが『初勝利の中居にやってくれ』と言ってくれて、私がいただきました。嬉しかったですね」

 ただ、2勝目をなかなか手にすることができず、1勝5敗と負けが込んでいた。中居にとっては、一軍に残るためにも負けられない試合である。阪急の先発も2年目で24歳の山沖之彦と、若い先発のぶつかり合いで午後6時16分、劇的なドラマは幕を開ける。

緊迫した投手戦を打ち破る会心の3ラン本塁打

 ここまで8勝7敗と苦戦していたが、最終的に15勝をマークする山沖は、テンポのいい投球でロッテ打線を寄せつけない。四番の落合も「打てないイメージはなく、決して感触は悪くなかった」と言うものの、3打席続けてセンターフライに倒れる。ロッテの安打は、五番の有藤通世が4回表に中前へ弾き返した1本だけだ。一方の阪急も、「福本さんに2000本目を打たれて記録に残るのだけは避けたかった」という中居の力投の前に、4回裏一死一、二塁、5回裏一死二塁、7回裏には二死満塁、8回裏にも一死二塁のチャンスにタイムリーが出ない。こうして、福本の快挙も見られぬまま、あっという間に9回表を迎える。

 先頭の弘田澄男は三塁ゴロに倒れ、高沢秀昭も山沖の速球にバットを折られる。だが、打球はフラフラとセンター前に上がって野手の間に落ちる。ここでキャッチボールをしようとベンチ前に出た中居は、ネスクト・バッターズサークルにいる落合に声をかける。

「オチさん、お願いします。1点でいいから取ってください」

 その刹那、レロン・リーが痛烈なライト前ヒット。俊足の高沢は三塁を陥れ、一死一、三塁で落合というビッグチャンスになる。

「犠牲フライでも1点ですから、絶対に9回裏を抑えてやるという気持ちで、キャッチボールにも力が入った。それに、落合さんは僕が登板するとよく打ってくれたので、もう勝った気分になっていたかもしれません(笑)」

 落合は1球目をファウル。そして、2球目を振り抜くと、打球は左中間の夜空へ一直線に飛ぶ。先制であり、決勝になるだろう会心の3ラン本塁打。大騒ぎの三塁側ベンチに戻ってきた落合に、中居はすかさず駆け寄って「ありがとうございます」と帽子を取る。

 落合も笑顔でこう返す。

「3点あれば余るだろう」

 だが、このドラマには続きがある。

(写真=K.D.ARCHIVE)

※後編は12月20日13:00にリリースします。

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

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