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ドラフト会議まで1か月——落合博満はなぜプロ入りできたのか

横尾弘一野球ジャーナリスト
1982年に初めての三冠王が確定した時の落合博満。一軍に定着して2年目の偉業だ。

 プロ野球ドラフト会議は、今年も10月20日に実施される。どんな選手が指名されるかファンやメディアも注目し始めているが、プロ入りするような選手は実力の高さはもちろん、独特な運や巡り合わせにも恵まれていると言われる。そのひとつが、スカウトとの出会いではないか。3度の三冠王をはじめ、球史に残る実績を築いた落合博満にも、プロの世界に誘い、プロ入り後も影響を与えたスカウトがいる。

 その名は、田丸 仁。

 秋田工高で入退部を繰り返し、東洋大は入学から間もなく退学してしまった落合は、1974年に入社した東芝府中でようやく腰を落ち着けて野球と向き合う。そして、3年目の1976年に四番を打って都市対抗に出場したことで、プロのスカウトからも注目されるようになる。

 はじめに目をつけたのは阪神だったようだが、1976年のドラフトでは落合と同い年の峯本達雄を4位で指名する。峯本は新日本製鐵堺でファーストや外野を守る右打ちのスラッガーで、この年の都市対抗前夜祭で行なわれたホームラン競争に優勝していた。落合を含めた何名かの候補から、最終的には峯本が選ばれたということだろう。

「クラブチームのような実力で、選手をプロへ送り出した経験もない東芝府中では、プロ入りするのも難しいのかな」

 そんなふうに感じていた落合のもとに、1977年に足を運ぶようになったのが田丸だった。

 田丸のキャリアはユニークだ。法大で内野手として活躍していたが、アキレス腱断裂という重症を負い、現役を諦めて法政二高監督に就任。1960年に柴田 勲(元・巨人)を擁して夏の甲子園で優勝すると、法大で監督を務め、1965年には千葉ロッテの前身・東京オリオンズで二軍監督に就く。さらに、翌1966年には一軍でも指揮を任される。その後、1977年に阪神でスカウトとなり、落合と出会ったのだ。

 落合は田丸から夕食に誘われ、ふぐ鍋を囲みながらこう言われる。

「バッティングはそこそこやっていけるだろうが、守備と走塁にはあまり期待ができない。つまり、プロで通用するかどうかの評価は、真っ二つに分かれるタイプの選手だろう」

 ただ、そこから始まった田丸の打撃論に、落合は急速に引き込まれたという。

「田丸さんは、バットのヘッドには重みがあるから、力一杯に振ろうとしなくてもスイングはできると強調した。そして、その原理を金槌で釘を打ち込む動作で具体的に説明してくれた。確かに、金槌は釘をしっかりと叩ける高さから真っ直ぐに振り下ろす。この時、金槌を握る掌に力を入れ過ぎるよりも、握る力を適度に抜き、金槌の重みを利用したほうが効率よく釘を叩くことができる。それに、振り下ろす位置が高過ぎると金槌が釘に命中しにくくなるし、近過ぎれば力が十分に伝わらない。この原理は、餅つきの杵や丸太を割る際のマサカリにも共通していて、それを水平にしたものがバットスイングだと理解できた」

スカウトから教えられた考え方でプロの世界を生き抜く

 落合は、それまでは潜在能力に任せて野球に取り組んでいたが、「プロはここまで野球を突き詰めるのか」と実感するのと同時に、「野球の動作について考えていく時でも、ヒントをつかむ対象は野球に限定しなくてもいい」ということを知る。

 結局、田丸が担当しても阪神は落合をドラフト指名しなかったが、1978年には日本代表にも選ばれた落合の評価は急上昇。巨人の長嶋茂雄監督も「将来は四番を打てる」と、落合の獲得を熱望したと言われる中、ロッテが3位で指名する。当時、ドラフト指名は各球団4名までとされており、ロッテは指名した選手にことごとく入団を拒否されていたため、入団を確約してくれる選手を指名せよという方針だった。落合も事前に「指名したら来てくれるか」という城之内邦雄スカウトの問いかけに、「喜んでいきます」と答えたという。ちなみに、この年もロッテは4名中2名に入団拒否されている。

「入団してすぐ、私は山内一弘監督の指導を拒否したでしょう。自分の思い通りにやって打てなかったら、クビでも結構ですと言ってしまえたのは、田丸さんの話を聞いたことで野球に対する自主性が芽生えていたからではないかと思う。そして、考え抜いた内容の練習を誰よりも反復することで大成できたのは、田丸さんとの出会いがきっかけになっている」

 三冠王3度の大打者は、個性的なスカウトとの出会いで誕生したのである。

(写真=K.D.ARCHIVE)

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

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