落合博満のホームラン論その7――通算500、1000、1500、2000安打はなぜすべて本塁打なのか
「全打席でバックスクリーンだけを狙っていた」
ホームラン論を語る手始めとして、落合博満は現役時代をそう振り返った。
落合博満のホームラン論その1「全打席でバックスクリーンだけを狙っていた」
そう明言するだけあって、落合は大きな節目となる通算500、1000、1500、2000安打のすべてを本塁打で飾っている。また、通算1000試合、2000試合出場という区切りでも会心のアーチで花を添えた。ただ、「どうやって本塁打を狙うのか」と問うと、落合は笑みを浮かべながら、こう返す。
「私がすべての打席でホームランを狙っていたというのは、決勝本塁打を放つ活躍をした若手がお立ち台で『あの打席は一発を狙っていました』と言うのとは、まったく異質なものだよ」
経験の浅い打者の多くは、ここへ来たら外野スタンドまで運べるという“ツボ”を持っていて、勝敗を決する場面でそのコースに投げ込まれるボールだけを待っていたら、本当にそのボールが来て、しかもミスショットをしなかった。それが、若い選手が「狙っていた一発」だと落合は言う。
データ野球が全盛の現在では、どんな打者でもデータ上では丸裸にされており、高い確率で打ち返せる“ツボ”、反対に討ち取られやすいコースや球種、つまり“穴”のデータはほぼ揃っている。そして、若い選手には“穴”が多いから、肝心な場面で手痛い一発を打たれることは回避できるものだ。ところが、プロでも絶対的な制球力を備えた投手は減少傾向にあり、確実に“穴”を攻められなくなったこと、また、冒険心を持った投手の増加が、若手に一発を許す原因になっている。落合が定義する冒険心とは何か。
「私のように、データ上で投げてはいけないコースを突くと、ほぼ確実にやられる打者には、ある程度データに従って攻める。けれど、確実性の低い打者に対しては、あえて“ツボ”を突いて勝負することがある。私との勝負は一種の逃げだと解釈しているから、若手とは真っ向勝負したいという投手のプライドのようなものかな。私に言わせれば、プロは生活がかかっているのだから、プライドよりも結果を重視しなければいけない。それはわかっているのに、その通りにできないのが投手という人間の不思議なところだし、魅力でもあるんだろうね」
ちなみに、この見方を落合にぶつけられた江夏 豊は、「投手という生き物は、マウンドを降りるまでロマンを求めているからな」と苦笑していた。ともあれ、こうした背景から生まれるのが、伏兵の思わぬ一発なのだ。落合が続ける。
「私がすべてホームランを狙っているというのは、スラッガーを担う人間の使命感のようなもの。私は数多くの対戦、その一回ごとの結果から、投手との戦い方を熟知している。18.44m向こうから投げ込まれるボールをいかにとらえるかは、体がしっかりと覚えている。あとは、どんなボールでも確実に打ち返せるようスイングの精度を高め、少しでもとらえやすいボールを投げさせるための構え、呼吸、間の取り方などを探求してきた。その結果、ホームランにできるスイングのバリエーションを多く持つことができたから、すべての打席でホームランを狙い、その打ち損ね、すなわち自分の形で打てなかった打球がヒットになるというバッティングをするんだ」
節目の記録を前に足踏みすることがなかったのは……
また、落合は通算2000安打など節目の記録が目前に迫っても、足踏みをしてしまうことがほとんどなかった。
「そういう時にバットから快音が消えてしまう選手は、節目のヒットをきれいに決めたいと考えるからでしょう。私は3つ獲る(三冠王)ことには徹底してこだわったけど、通算記録にはあまり関心がなかったので、節目の記録もあっさりと達成していたね。ただ、ホームラン29本から30本、39本から40本の時は強く意識したし、足踏みした記憶もあるかな。29と30、39と40、49と50……スラッガーにとっては、その1本は雲泥の差だから」
そうして落合が本塁打にこだわったのは、自身がアーチストではなく、スラッガーだからだという。
「身長180cm超のアーチストなら、素質やセンスだけでもホームランを量産できる。田淵幸一さんのようにね。あんなに美しい弾道のホームランなんて、私は1本も打てなかった。私たちのようなスラッガーは、体格という自分の努力ではどうにもならない要素を練習で補っていく。だからこそ、ホームランを狙えるスイングも身につけられたんだろうね」
落合は、こんな話をできるスラッガーの出現を心待ちにしているようだ。
(写真=K.D. Archive)