誰よりもラーメンに愛された男、逝く。

在りし日の北島秀一さん。誰よりも丼が似合う男だった。

ラーメン評論家の草分け的存在

元新横浜ラーメン博物館広報、ラーメン評論家の北島秀一さんが、9月1日午前0時8分、胆管癌のため横浜市内の病院にて逝去された。享年51歳。2012年秋に腫瘍が見つかり摘出手術を受け、退院後も2年近く闘病生活を続けてきたが病魔に打ち勝つ事は出来なかった。ラーメン界では、北島さんが敬愛するラーメン店『支那そばや』店主、佐野実さんが今年4月に急逝されたばかり。作り手と食べ手の偉大な星を相次いで失ったラーメン界は今、深い哀しみに包まれている。

1963年広島県に生まれた北島さんは、広島市内の高校を卒業後、大学入学と共に上京。熊本ラーメンの人気店『桂花ラーメン』に衝撃を受け、ラーメンの食べ歩きに開眼。多い時は一年間に300杯も桂花ラーメンを食べるほど魅せられていった。大学卒業後、大手電機メーカーに就職してからも精力的に食べ歩きを続けた。その後、パソコン通信やインターネット黎明期にラーメン情報の発信にいち早く取り組み、1997年にはウェブサイト『電脳麺記』を開設し、多くのラーメンマニアがその情報を元にラーメンを食べ歩いた。同年、『TVチャンピオン』(テレビ東京系)の「第4回ラーメン王選手権」に出場し、石神秀幸さん(現ラーメン評論家)に惜敗し準優勝。これを機に数々の雑誌やテレビなどでも独自のラーメン評論を展開し、ラーメン評論家の草分け的存在になった。

1999年には新横浜ラーメン博物館に転職し広報として活動するかたわら、日本全国のラーメンを食べ歩き精力的な評論執筆活動も行った。しかし2003年に急性骨髄性白血病を患い同博物館を退職。療養生活を経て奇跡の復活を遂げたのちは、フリーランスとして多くのメディアで幅広い評論活動を続けていた。また、2008年からは日本ラーメン協会の顧問として、ラーメン界の発展にも尽力されていた。

「ラーメンはこんなに楽しいんだよ」

私がラーメンの食べ歩きを始めた時には、もうすでにプロのラーメン評論家として活躍されていた北島さん。その後、私もラーメン評論家としての活動を始めることになるが、北島さんや石神さん、大崎裕史さん(株式会社ラーメンデータバンク取締役会長)、武内伸さん(故人)などの諸先輩方がレールを敷いて下さっていなければ、ラーメン評論家という職業は存在しなかっただろうし、今の私は無かったといっても過言ではない。

そんな北島さんと初めて会ったのは、2000年の夏、新横浜ラーメン博物館でのレセプションに呼ばれた時の事だった。まだ食べ歩きを始めて間もない私のことを知って下さっていて、声を掛けて下さった時の笑顔は今も脳裏に焼き付いている。それ以来、十数年ものあいだ色々と可愛がって頂いたのは、何事にも代え難い私の宝物だ。

北島さんは、ラーメン評論家の中でも格段に文章の上手な方だった。そして己の知見と考察をもって、自分の言葉でラーメンを語れる唯一の方だった。私も北島さんに負けない文章を書いてやろう、彼が読んで参ったと唸るような文章を書いてやろうという気持ちで、いつも原稿に向かっていた。安易な表現や浅い考察に流されてしまいそうな時は、いつも北島さんの顔が頭に浮かんだ。

ラーメン評論家として活動していく中で、ラーメンを評論するということはどういうことなのだろうと、自問自答することが多々あった。大先輩である北島さんはどう考えて評論家としての活動をされているのか尋ねたところ、『ラーメンはこんなに楽しいんだよ』ということを伝えたい、という思いでやっているという答えを聞き、もやもやとしていた思いがスッと晴れた記憶がある。

ラーメンブームが加熱していく中で、杯数争いのようになっているラーメン好きの行動についても憂いていた。北島さんは必ず食べる前に「いただきます」と言い、食べ終わったら「ごちそうさま」と手を合わせる人だった。目の前にある一杯のラーメンに対して、いつも愛を持って真剣に向き合ってきた北島さんだからこそ、昨今の風潮に思うところがあったのだろう。

「僕の病気とラーメンはまったく関係無い」

入院する直前の17日夜、北島さんの家の近くのレストランで同じくラーメン評論家の山本剛志さんと3人だけで1時間ほど色々なお話をすることが出来た。8月の頭に癌の再発告知と余命宣告を受け、その数日後に大切なお母様がお亡くなりになり、北島さんの気持ちは想像もつかないほどに落ち込まれていただろうことは想像に難くなかった。

その時に北島さんは「正直、もう心が折れちゃったんだよね。戦う気力がなくなっちゃった」と言った。そんな憔悴しきった北島さんを目の前にして、私は「頑張れ」とか「負けるな」などという無責任な言葉は言えず、ただ「僕らに出来ることはありますか?」としか聞けなかった。北島さんはしばらく考えたあと、静かにこう言った。

「これで僕が死んだら、北島はラーメンのせいで死んだと言われてしまうだろうけれど、僕の病気とラーメンはまったく関係無いということを、僕が死んだ後に必ず伝えて欲しい。」最後の最後までラーメン愛を貫く人であった。

最後にお会いしたのは亡くなる3日前の8月29日金曜日、入院されている病院に見舞いに行った時のことだった。十日前に会った時よりは確かに元気は無かったが、それでも目には力があり手もしっかり握り返してくれたし、冗談も言えるほど言葉もしっかりしていた。

その時に「日々の検査などで疲労も溜まっているので、土日の二日間はお見舞いを遠慮して欲しいと友人たちに伝えてくれないか」と頼まれた。ではお見舞いは月曜以降にお願いしますと伝えれば良いですね?と尋ねたところ、「まぁそれまで持つかどうか分からないけれどね」と言って、いたずらっ子のようにニヤリと笑った。それが北島さんと交わした最後の言葉になってしまった。

後にも先にも北島さんほどラーメンに愛を持って文章を書き続けてきた評論家はいないであろうし、多くのラーメン屋さんに慕われ愛された評論家もいないと思う。その穴を埋めることは容易いことではないことは重々承知だが、天国にいる北島さんに笑われないよう、これからも真剣にラーメンを愛して、自分の言葉で『ラーメンはこんなに楽しいんだよ』ということを伝え続けていきたい。それが残された私たちに課せられた使命だと思っている。

北島さんの「お別れ会」は以下の予定で行われる。ラーメンを誰よりも愛し、ラーメンに誰よりも愛された男を皆で賑やかに見送りたいので、ラーメン好きの皆さんはぜひ足を運んで頂きたい。

【北島秀一さんお別れ会】

日時:平成26年9月5日(金)18:00~19:00

会場:新横浜総合斎場

神奈川県横浜市港北区新横浜1-7-5

TEL:045-472-5550

喪主:北島竜二(弟)