ドーピング違反から復帰。古賀淳也の水泳人生第2章が始まった

2018年日本選手権で泳ぐ古賀淳也(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 競泳の第96回日本選手権が12月3日から6日まで、東京五輪の競泳会場となる東京アクアティクスセンター(東京都江東区)で行われる。10月に完成した同会場のこけら落としとなる大会。来年に延期された東京五輪を目指す実力者たちが競い合う中で、ひときわフレッシュな気持ちでこの大会に挑むのが、リオデジャネイロ五輪代表の33歳・古賀淳也(スウィンSS)だ。

 2018年4月にドーピング検査の陽性反応が出て4年間の資格停止処分を受けたが、その後、処分が2年に短縮され、今年8月に競技に復帰した。

 今回の日本選手権で古賀がエントリーしている種目は12月4日に行われる男子100m背泳ぎ。第一目標は日本水泳連盟インターナショナル選手標準記録である53秒94を切ることだ。

■8月29日、復帰初戦にいきなり優勝

 古賀の復帰初戦は8月29日に東京辰巳国際水泳場で行われた東京都特別大会だった。白血病から立ち上がった池江璃花子の復帰レースとして大きな注目を集めた大会で、もう一人、万感の思いでスタート台に立ったのが古賀だった。

 最初のレースは50m背泳ぎ。2017年世界選手権で銀メダルを獲った種目で、古賀は2年4カ月のブランクがあったとは思えないような泳ぎを見せ、いきなり優勝を飾った。タイムは25秒04。目標としていた24秒台には届かなかったが、無観客のプールで選手仲間やコーチ陣を驚かせた。

 翌8月30日には2009年世界選手権で金メダルを獲得している“勝負種目”の100m背泳ぎに出た。同じ組の4コースに金子雅紀、5コースに入江陵介、6コースに古賀と、リオ五輪代表3人が並ぶ豪華な顔ぶれのレース。古賀は最初の50mを25秒97で入り、後半を29秒02でまとめ、54秒99で3位。目標としていた54秒台で泳ぎ切り、笑顔を見せた。

■2年間の資格停止処分中には練習を一切していなかった

 古賀は2018年3月に受けたドーピング検査で禁止物質が検出され、国際水泳連盟から同年4月に4年間の資格停止処分を言い渡された。その後、摂取が意図的ではないものであるという訴えが認められ、処分が2年間に短縮。今年5月に停止期間が明けていた。

 資格停止中は大会に出ることはもちろん、水泳のトレーニングもできない。実際、古賀は2年の間、プールに行くこともなく、大会観戦に足を運ぶこともなく、ひたすら耐える日々を過ごしてきた。

 ドーピング違反の理由は、摂取した国産サプリメントの中に成分表示のない禁止薬物が混入していたことによる陽性反応。多大な労力を払ってそれ自体は認められたが、「ドーピング違反をした選手」という目で見られることを制御する術はなく、苦しみの中で「死」が脳裏をよぎることもあった。

 だからこそ、2019年8月に処分が2年に短縮されることが決定したときは喜びに包まれ、希望が湧いた。父の生まれ故郷である福岡で2021年に開催される世界選手権へ向けて現役を続行することを決めた。

 2020年が明けてからは新型コロナウイルス問題が勃発したため東京五輪が1年延期され、世界選手権も1年延びたが、これによりまったく期していなかったところから東京五輪に出場できる可能性も生まれた。

 処分期間が解除となった5月はちょうど緊急事態宣言の最中。しばらくは練習環境の面でその影響を受けたが、水を得た魚となった古賀はプールで泳げる幸せをかみしめながら綿密なプログラムをつくり、精いっぱいのトレーニングを開始した。

 8月の復帰レースは本格的にトレーニングを開始してから3カ月もたっていないようなタイミングでの出場だったが、やってきたことがすべて良い方向に出たことで優勝につながった。

天性のスプリント力を持つ古賀淳也
天性のスプリント力を持つ古賀淳也写真:長田洋平/アフロスポーツ

■レースを振り返れる喜び

 古賀は復帰初戦のレースを、「目標タイムはあったが優勝を狙おうという気持ちはなかったので、緊張はなかった」と振り返っている。

 そもそも、コロナ禍での大会形式はどの選手にとっても初めてだった。ソーシャルディスタンスを取ることやマスクを直前まで着用するなど、今までと異なる大会運営に対応するのに必死なのは誰もが一緒で、古賀自身は復帰戦という緊張感にたどり着かなかったようだ。

 実際に泳いでみて感じたフィーリングの良さもさらなるパワーを生み出した。

「50mのレースでは、ドルフィンキックの回数が1回少なかったので、あと1回入れれば24秒台が出ただろうという手ごたえがあった」(8月29日)

「100mに関しては日本選手権の標準タイムである55秒5を切れれば良いという思いがあった。このタイムを切れるかどうかが、今後のプランに影響するから。泳いでみたら54秒台という予想よりはるかに早いタイムでうれしかったし、驚いた。その後の勢い、次の大会につながるレースができた」(8月30日)

 2日間を通じて修正すべき点も多く見つかったが、レースを振り返れること自体が古賀にとっては幸せなことだった。

■「もっと練習できればおのずとタイムは上がる」

 8月の復帰戦で古賀が特にうれしいと感じたのは、2年間のブランクがあってもレース勘が失われていなかったことだ。長年にわたって積み重ねてきた経験が体の隅々に染み込んでいるという感覚は、これまでの水泳人生の肯定につながる。

 古賀は100mの泳ぎをこのように評価している。

「前半を速いタイムで入って、後半もそこそこ頑張るという理想的な展開で泳げたのがよかった。復帰初戦でそれをできたことで、離れていても繰り返しやってきたことはなかなか忘れないのだと再確認できましたし、じゃあもっと練習を頑張ろうという気持ちになりました。もっと練習できればおのずとタイムが上がるという確信を持てたレースでした」

2020年11月の取材では終始さわやかな表情を見せていたる古賀淳也(撮影:矢内由美子)
2020年11月の取材では終始さわやかな表情を見せていたる古賀淳也(撮影:矢内由美子)

■10月の日本短水路選手権でも好タイムと表彰台

 古賀は10月17、18日に行われた日本選手権(25m)=日本短水路選手権=でもハイパフォーマンスを見せた。8月の東京都特別大会はタイム決勝方式だったため1種目につき1本のレースだったが、この大会では予選と決勝の2本を泳ぐ必要があり、体力面は未知数だった。

 しかし、ここでも古賀は不安を一掃する泳ぎを見せている。

 初日の50m背泳ぎでは予選で全体トップの23秒14をマークし、決勝では23秒38とタイムを落としてしまったが見事に優勝を飾った。(このレースでも古賀の両隣りはいずれもリオ五輪メンバーの入江と長谷川純矢という豪華布陣だった)

 実は50mの決勝レースの後、日本代表の関係者に「1日2回(のレース)は、まだ、きついか?」と聞かれたというが、「きつかったのではなく、予選を泳いでみたら楽に23秒1が出たので、決勝は欲張ったら力んでしまってタイムを落としたんですよ」という。

 その言葉通り、2日目に行われた100m背泳ぎでは、一日に予選と決勝の2本を泳ぎ切る体力も戻っていることを示してみせた。

 午前の予選は51秒51で全体の3番。午後の決勝では50秒74とタイムを上げた。75mまで先頭で泳ぎ、最後は入江にかわされたがこれまた見事に2位になった。

「ここに戻ってこられて本当にうれしい。目標を達成するだけの技術や体力はほぼ取り戻している。今後は来年の東京五輪、その次の年の福岡での世界選手権、中国・杭州のアジア大会が目標。100mでは金メダル、50mで世界記録を出すのが目標です」

 古賀は今、第2の水泳人生をスタートさせたところにいる。「33歳ですが、新入社員のような気持ちです」と話す表情は、若々しく輝いている。