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UAE10番 オマル・アブドゥルラフマンの衝撃~サッカー・アジア杯

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
アジア杯大会ポスターは空港や主要駅に数多く掲示されていた

UAEの“王様”

サッカーのアジア杯はホスト国のオーストラリアが熱戦の末に初優勝を飾り、韓国が準優勝。日本は19年ぶりにベスト8で姿を消した。

妥当な結果あり、大番狂わせありだった今大会。ここで最大のインパクトを残したのは、ディフェンディングチャンピオンの日本を準々決勝で破るアップセットを演じ、3位で大会を終えたUAE(アラブ首長国連邦)の背番号10、オマル・アブドゥルラフマンだ。

公式プログラムで紹介されたオマル・アブドゥルラフマン
公式プログラムで紹介されたオマル・アブドゥルラフマン

大会前から注目選手の一人として取り上げられてはいたが、オーストラリア代表FWティム・ケーヒル、日本代表MF香川真司らに比べれば認知度は低かった。大会前の負傷も不安要素となっていた。

ところが開幕後は試合を重ねる毎にコンディションをアップさせ、それにともなって存在感をグイグイと上げていった。日本は準々決勝でUAEと対戦することが決まると、「UAEは10番が王様」(長谷部誠)「中東の中でもテクニックがある印象」(酒井高徳)と大いに警戒したが、それでも対応には苦慮した。

日本戦では4-4-2の右サイドハーフに入って自在なボールさばきを見せ、アンカー長谷部らを翻弄。延長戦1-1で決着がつかずに持ち込まれたPK戦では一番手として登場し、実にふてぶてしいループキックを成功させた。

UAEのマフディ・アリ監督は「オマルのPKは素晴らしかった。その後、GK川島のモチベーションが下がって、次のPKでは動けなくなった」と強心臓を称え、PK戦の勝因として先鋒オマルの技ありの一撃を挙げた。

アフロヘアのレフティー

オマルは1991年9月20日生まれの23歳。日本代表MF柴崎岳やFW武藤嘉紀より1つ年上だ。173センチメートル、62キログラムときゃしゃな体つきながら、圧倒的な左足の技術、多彩なアイデア、広い視野、そして技術に裏付けされた自信を兼ね備えており、UAEでは「史上最高の司令塔」「最高傑作」と呼ばれている。

ベルギー代表MFマルアン・フェライニ(マンチェスター・ユナイテッド)を彷彿させるアフロヘアと、真夏のオーストラリアで長袖のアンダーシャツを親指の付け根まで伸ばしている姿は、中東サッカー選手のファッションアイコン的な様相も醸している。

16歳からUAEリーグのアル・アイン(当時はユースチーム、17歳からトップチーム)に所属。UAE代表としては32試合に出場し、5得点を挙げている。2010年のアジア競技大会(中国)では、決勝でU―21日本代表・関塚ジャパンと対戦して0-1で敗れて準優勝。2012年にはUAE初の五輪出場となったロンドン五輪で中心選手としてプレーし、存在感を示した。

欧州でのプレーに意欲を燃やしており、ロンドン五輪後にはマンチェスター・シティの練習に参加。移籍はかなわなかったが、現在もアーセナルやバルセロナ、ボルシア・ドルトムントが興味を示していると報じられている。

日本戦以上のインパクトを残したのはイラクとの3位決定戦だった。2013年Uー20W杯トルコ大会で4位と大躍進したメンバーをそろえる相手に対し、ゲーム全体を掌握。2アシストという結果はもちろんのこと、その中身で数字以上の印象をアジアに示した。

まずは前半16分の先制の場面。自陣左サイドからのボールをセンターサークル手前で受け、軽やかなタッチでマブフートにパス。リターンをもらいつつしっかりとタメを作り、左サイドを駆け上がってきた同い年のFWアハマド・ハリルに見事なラストパスを送った。

さらに圧巻だったのは、後半6分の場面だ。前半のうちに逆転され、後半もイラクの厳しいプレスに苦しんでいた時間帯。オマルは文字通りパス一本ですべての流れを変えてしまった。

パス一本ですべてを変えた

ハリルとのあうんの呼吸から、敵9人が作る守備ブロックの頭上を越す浮き球のパスを供給。イラクDFの裏を取ったハリルが2-2とする同点ゴールを決めると、動揺したイラクはその4分後にペナルティーエリア内でDFがファウルを犯して一発退場となり、UAEはここで得たPKをマブフートが決めて3-2と勝ち越した。

準決勝でオーストラリアに敗れて決勝に進むことはできなかったが、今大会最強と言われた日本に勝ち、3位という好成績を収めたことは、2018年ロシアW杯出場に向けて大きな自信となるだろう。

とりわけ、アリ監督が「彼は持てるすべての才能と技術をこの大会で示し、大会のベストプレーヤーの一人になったと思う」と目を細めたオマルは、アジア各国にとって最大の注意を払うべき選手の一人となった。UAEはカウンター攻撃という持ち味を残しつつ、ポゼッションサッカーで相手を崩すというバリエーションのある攻撃を、オマルを中心に推し進めてくるに違いない。

変革を示したアジアのライバルたち

一方、3位決定戦では“ファンタジスタ”オマルのキラーパスにやられてしまったイラクも、今大会で明るい未来の展望をつかんだ国の一つだ。中心メンバーの大半が20代前半で、平均年齢23・1歳という若いチーム。先発でただ1人30代である32歳のベテランFWユニス・マフムード(2004年アテネ五輪ベスト4、2007年アジア杯優勝、同大会MVP)は、代表活動から退くという意向を封印し、若き才能たちとともにロシアを目指すという。

決勝戦の先制点を含めて大会通算2得点4アシストを記録し、MVPに輝いたオーストラリアのMFマッシモ・ルオンゴ、決勝戦の執念のゴールを含め、大会を通じて計3ゴールを挙げた韓国のFWソンフンミンは、ともに22歳。柴崎岳や武藤嘉紀と同い年の選手がチームの顔になってきた。オーストラリアはフィジカルの強さを前面に押し出すサッカーから、強さと高さを維持しつつ、前線からのプレスとポゼッションスタイルをミックスしたサッカーへの変革にも成功している。

日本が苦悩の闇に迷い込もうとしているさなか、アジアは着実に動き、前進している。

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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