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クラシックス・ヌヴォー、1980年代英国アート・ファッション・ミュージックの追憶【後編】

山崎智之音楽ライター
Classix Nouveaux / photo by Monktone

40年ぶりのニュー・アルバム『Battle Cry』を発表したクラシックス・ヌヴォーのシンガー、サル・ソロへのインタビュー。全2回の後編をお届けする。

前編記事ではバンド復活とアルバムについて話してもらったが、今回は1980年代初頭の英国ロンドンを席巻した“ニュー・ロマンティックス”ムーヴメントで過ごした日々、そして同じ志を持った音楽の戦友たちについて訊いた。

Classix Nouveaux『Battle Cry』ジャケット(Cherry Red Records / 現在発売中)
Classix Nouveaux『Battle Cry』ジャケット(Cherry Red Records / 現在発売中)

<誰も金なんか持っていなかったけど、クラブにいるときだけは王侯貴族だった>

●1980年代に活躍した同世代のミュージシャンと交流はありますか?

ニック・ベッグスとは良い友達で、40年ぐらい前から連絡を取り合っているよ。こないだ彼から「今、クラシックス・ヌヴォーの『東京』を聴いているんだ」と連絡があった。何のことかと思ったら、ハワード・ジョーンズと一緒に日本をツアーしているんだって言われたよ(2023年9月に来日公演)!

●クラシックス・ヌヴォーのあなたと元アール・ヌヴォーのニックが友達というのも“ヌヴォー” 繋がりで興味深いですね。

うん、相性抜群だよね(笑)。ニックと初めて会ったのは彼がカジャグーグーでやっていた頃だけど、「僕もアール・ヌヴォーってバンドにいたんだよ!」って笑っていた。

●「No Do Overs」の歌詞ではヴィザージの「フェイド・トゥ・グレイ」も登場しますが、1980年代のクラシックス・ヌヴォーは彼らと同様に“ニュー・ロマンティックス”ムーヴメントの一部と見做されていました。実際には当時、どの程度シーンと関わりを持っていたのでしょうか?

ニュー・ロマンティックスはロンドンのクラブ・シーンで生まれたファッションだったんだ。スティーヴ・ストレンジとラスティ・イーガンがやっていた“ブリッツ”が有名だけど、他にもいくつもクラブがあった。“ブリッツ”が毎週火曜か水曜だったかな、土曜の夜には“スタジオ21”にロンドン中のセレブリティが集まったよ。ボーイ・ジョージ、マリリン、ヘイジー・ファンテイジー、ジグ・ジグ・スパトニックとかね。地方からも大勢の若者が着飾って、ロンドンに集まってきたんだ。私たちもクラブに出かけて、そんな人たちと交流していた。クラシックス・ヌヴォーのファースト・アルバム『夜行人間』のタイトルは、アルバム未収録の曲「Night People」から取ったんだ(「ギルティー」英盤シングルB面)。この曲のコーラスは“夜行バスで帰宅した〜”というものだけど、それはロンドンのクラブを訪れる人々を歌ったものだった。ニュー・ロマンティックスというと、ボーイ・ジョージや彼の友人たちのことが頭に浮かぶよ。みんな空き家に無断で住んでいて、誰も金なんか持っていなかったけど、クラブにいるときだけは王侯貴族だった。

●音楽シーンとしてのニュー・ロマンティックスはどんなものでしたか?

クラブでかかるのはエレクトロニック・ミュージックが多かった。クラフトワーク、女の子たちが入る前の初期ヒューマン・リーグ、デビューしたてのオーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク...そんなシーンを音楽紙が書き立てて、“ニュー・ロマンティックス”と名付けたんだよ。そうして代表バンド扱いされたのがウルトラヴォックス、ジャパン、そしてクラシックス・ヌヴォーだった。そのとき初めて自分たちがやっている音楽スタイルに名前があることを知ったんだよ(笑)。

●ウルトラヴォックスのミッジ・ユーアやスパンダー・バレエのトニー・ハドリーと話すと、ロンドンのクラブやパブに行くと大抵フィル・ライノット(シン・リジィ)かレミー(モーターヘッド)がいたと証言しています。あなたも彼らと出くわしたことはありましたか?

ハハハ、まさに君の言う通りのシチュエーションで、2人と会ったことがあるよ。BBCでスティーヴ・ストレンジとラジオ・ショーをやって、その後どこかのクラブに行ったら、フィルがやって来たんだ。レミーとも少し話したことがある。どちらも、特にレミーは荒くれ者のイメージがあるけど紳士的で「どう?元気?」みたいな感じで、何もトラブルは起きなかった。違ったタイプの音楽をやっていても、似たようなクラブやバーに出入りしていたんだ。私たちのアルバムのリリース・パーティーにイエスのクリス・スクワイアが来ていたこともあった。「...何故?」と思ったけど、パーティーが好きなタイプの人だったのかもね。

Sal Solo / photo by Luigi Ciazzo
Sal Solo / photo by Luigi Ciazzo

<人生はサプライズの連続。毎日がプレゼントだ>

●クラシックス・ヌヴォーは1980年代、本国イギリスやヨーロッパ、日本などで人気を博しましたが、アメリカ市場でデュラン・デュラン、ヒューマン・リーグ、カルチャー・クラブらの規模のスーパースターの座には及びませんでした。それは何故だったのでしょうか?

アメリカで成功を収めるには音楽そのものに加えて、長期にわたってハードなツアーをする必要があった。ポリスも素晴らしい音楽をやっていたけど、全米をくまなく回って、あらゆるバンドのサポートとして毎晩ステージに立ったんだ。私たちのマネージャーはアーティスト肌で、誰もやったことのない方向にバンドを持っていこうとした。それで普通のバンドだったらアメリカに行くところ、その代わりにインド、ポーランド、ユーゴスラビアなどをツアーしたんだ。ビッグ・サクセスと大金を掴めたわけではなかったけど、探検家になった気分だった。人生でかけがえのない経験だったよ。

●「Fix Your Eyes Up」では“ゴールには到達したかい?自分はまだだ”と歌っていますが、クラシックス・ヌヴォーはこれからもゴールに向かって進んでいくのでしょうか?そのゴールとは何でしょうか?

『Battle Cry』を作ることが出来ただけでも奇跡だからね。今後のことは判らないよ。長く生きてきて感じるのは、人生がサプライズの連続だということだ。明日が来るのかすら判らないし、20代で亡くなった知人だっている。毎日がプレゼントだよ。「Battle Cry」で歌っている通り、“渡るべき大海原、登るべき山”がある。街角を曲がったら何が待っているか判らないけど、だからこそ人生はエキサイティングで楽しい冒険なんだ。

●マドンナの「パパ・ドント・プリーチ」(1986)を初めて聴いたとき、「夢のまた夢」をパクられた!と思いましたか?

(苦笑)マドンナの曲のことを知ったのはずっと後になってからで、友人に指摘されたんだ。まあ似ているとは思ったけど、偶然じゃないかな。あまり気にしていないよ。

●ライナーノーツによると、あなたが初めて見たコンサートはロンドン“ロイヤル・アルバート・ホール”でのレッド・ツェッペリンだったそうですが、彼らは1969年と1970年に同会場で公演を行っています。どちらだったか覚えていますか?後者はDVD化されていますが、見ましたか?

うーん、たぶん1970年の方だと思う。初めて見たライヴだから“良い”も“良くない”も判らないんだけど、とにかく衝撃だった。音楽で大観衆が盛り上がるのを見て、自分も同じことをやりたいと思ったね。DVDが出ているのは知らなかった。ぜひ見てみるよ。ニック・ベッグスがジョン・ポール・ジョーンズと一緒にツアーをしたから、ライヴを見に行ったときに紹介してもらった。少年時代からのヒーローだから緊張したね。レッド・ツェッペリンの最後の再結成コンサート(2007年12月、ロンドン“O2アリーナ”)も見に行った。4人のミュージシャンだけでステージを支配して、何も欠けていなかったことに感銘を受けたよ。

●クラシックス・ヌヴォーの後、「Space Rock」などで知られるフランスのエレクトロ・ポップ・バンド、ロケッツに加入したことがありましたが。それはどんな経験でしたか?

こないだバンドのリーダー(ファブリス・クアグリオッティ)と話したばかりだよ。彼とはちょうどクラシックス・ヌヴォーが活動を停止した時期に知り合って、交流を始めたんだ。エレクトロニックなサウンドもそうだけど、SF的なイメージとそり上げた頭が共通すると感じたのかもね。アルバム1枚に参加、2枚にゲスト参加して、イタリアのツアーにも同行したよ。彼らはとてもプロフェッショナルなバンドで、オリジナル・メンバーは1人になってしまったけど、現在でも良いバンドだし、才能のあるシンガーを起用している。ライト・ショーも素晴らしいし、ライヴは一見の価値があるよ。

●自分のソロ・キャリアは続けますか?

これからも一生を通じて音楽を続けるけど、現時点で公にソロ作品をリリースする予定はないんだ。『Battle Cry』の反応が良ければ、ぜひクラシックス・ヌヴォーとしてライヴを再開して、ツアーにも出たいと考えている。日本に戻れたら最高だね。若い頃から、日本はずっと想像力をかき立てる国だった。歴史と伝統のある国であるのと同時にウォークマンやイエロー・マジック・オーケストラのようなモダンなテクノロジーも共存していて、ファースト・アルバムで東京に夢を馳せた「東京」という曲をレコーディングしたほどだった。初めてツアーで行ったとき(1982年9月)は夢が叶った気分でエキサイトしたね。もっと長く滞在したかったけど、仕事だから仕方なかったんだ。次の機会に...と思っていたら、40年が経ってしまった。いつかまた日本に行ける日が来ることを祈っているよ。


【海外レコード会社サイト】
https://www.cherryred.co.uk/product/classix-nouveaux-battle-cry-coloured-vinyl-edition/

【サル・ソロ公式サイト】
https://www.salsolo.com/

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音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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