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伝説のロック・バンド、クリームに捧ぐ。マルコム・ブルース、偉大なる父ジャック・ブルースを語る【前編】

山崎智之音楽ライター
Malcolm Bruce / photograph by Patti Boyd

伝説のブリティッシュ・ロック・バンド、クリームに捧げるトリビュート・アルバム『Heavenly Cream: An Acoustic Tribute To Cream』が海外で発表された。

1966年から1968年という短い活動期間ながらロックの歴史に大きな影響を及ぼしたクリームは、解散後もエリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーの3人それぞれが最前線で活動を行ってきた。

このアルバムは生楽器を使用したアコースティック・アレンジを基調としながら、クリームの“正統”を受け継ぐ作品となっている。「サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ」「ホワイト・ルーム」などの名曲を共作したピート・ブラウンがプロデュース、元クリームのジンジャー・ベイカー、ジャック・ブルースの息子で自らもアーティストであるマルコム・ブルースなど、直接的に関係のあったミュージシャン達が参加。クレム・クレムスン、バーニー・マースデンらジャックとの共演経験がある面々、そしてニール・マーレイ、モ・フォスター、ジョー・ボナマッサ、ピーウィー・エリス、マギー・ベル、ボビー・ラッシュ、ポール・ロジャース、デボラ・ボーナムといった顔ぶれが集結している。『Heavenly Cream』はまさにクリームの素晴らしき世界のセレブレーションだ。

そんな一方で、本作は今は亡きミュージシャン達への鎮魂歌でもある。ジャックは2014年、ジンジャーは2019年に逝去。アルバム発売を前にして2023年にはピート、バーニーも亡くなっている。

本記事では全編でプレイ、共同プロデューサーも務めるマルコム・ブルースにアルバムや参加ミュージシャン、偉大なる父親ジャック、そして自らの音楽活動について語ってもらった。

全2回のインタビュー記事、まずは前編をお届けする。

Various Artists『Heavenly Cream: An Acoustic Tribute To Cream』(Quarto Valley Records/現在発売中)
Various Artists『Heavenly Cream: An Acoustic Tribute To Cream』(Quarto Valley Records/現在発売中)

<優れたミュージシャン達が父にプレイを捧げてくれたドキュメント>

●『Heavenly Cream』ではクリームと御父上の名曲の数々をプレイしていますが、それぞれの参加ミュージシャンの個性を生かしたアレンジにも意匠が凝らされていて、楽しく聴くことが出来ました。

このアルバムは優れたミュージシャン達が父にプレイを捧げてくれたドキュメントだ。彼らが父に敬意を持っていたことが伝わってくる作品だよ。また同時に、そんな彼らへのトリビュートでもあるんだ。ジンジャー・ベイカーは亡くなってしまったけど、私が生まれたときから知っている間柄だった。今年(2023年)なくなったピート・ブラウンとバーニー・マースデンも父の親しい友人で、私もここ10年で親しくなった。クレム・クレムスンは現在でも元気だけど、父とも付き合いが長くて、私が知らない父の話をたくさんしてくれた。...人間が何故死んでしまうのか、今でも不思議でならないよ。どんなに親切な人でも、才能に満ち溢れた人であっても、逃れることが出来ないんだ。生まれて、成長して、さまざまなことを学んで...そうして退出しなければならない。何故なんだろう?といつも考えてしまうんだ。

●アルバムの制作はいつから始めたのですか?

元々はピート・ブラウンが始めたプロジェクトで、私はかなり初期から共同プロデューサーとプレイヤーとして深く関わっていた。彼が亡くなったことで、引き継ぐ形になったんだ。2017年頃からアイディアがあって、レコーディング作業の多くは2018年に行った。レコーディングの模様はマーク・ウォーターズが撮影していて、ドキュメンタリー映像作品として発表するつもりだ。2019年の終わりにはほぼ完成していたけど、パンデミックのせいでその後の作業がストップして、リリースまで時間がかかってしまった。ようやく世界中の音楽ファンに聴いてもらえることになって本当に嬉しいよ。

●あなたはヴォーカル、ベース、ギターに加えてストリングスのアレンジ、共同プロデュースなど大活躍していますが、アルバムにおける自分の役割はどんなものでしたか?

まず主な役割はゲスト・ミュージシャン達の窓口となることだった。声をかけたり、スケジュールを設定したりね。いろんな人たちが賛同してくれた。私はバックに徹して、アルバム全体を良いものにすることを心がけたよ。

●あなたはジンジャーの息子コフィ・ベイカーと“ザ・ミュージック・オブ・クリーム”や“サンズ・オブ・クリーム”などのバンドでクリームの音楽をプレイしてきましたが、今回はどのようにアプローチしましたか?

『Heavenly Cream』をアコースティック・アレンジにすることは、ピートのアイディアだった。私はそのコンセプトを崩すことなく、その枠内でベストな結果を得ることを心がけたんだ。曲の根幹を成すメロディやリフを生かしながら、いろんなアレンジを加えるのは楽しかった。ウクレレやホイッスルでプレイすることだって出来る。可能性はエンドレスなんだ。“アビー・ロード・スタジオ”でレコーディングしたことも、アルバムにポジティヴなムードをもたらしたと思う。世界最高のスタジオのひとつと呼ばれるだけあって、生音の“鳴り”が素晴らしかった。このアルバムでやり残したことはないけど、クリームはインプロヴィゼーション・バンドでもあった。クリームはデビューしたとき、3分のポップ・ソングをプレイするバンドだった。それがライヴ活動を始めて、特にアメリカで精力的にツアーを行うようになって、ロックやブルース、そしてコンテンポラリー・ジャズの要素を取り込みながら10分、20分、30分とジャムで楽曲を拡大させていく実験を行うようになった。今から思えば、参加ミュージシャン達と即興のロング・ジャムを行って、ボーナス・ディスクにすれば最高だったね。今となってはもう参加してもらえない人が多くて、それだけが残念だよ。

Jack Bruce
Jack Bruce写真:Shutterstock/アフロ

<ピート・ブラウンとは生まれる前からの縁がある>

●「荒れ果てた街 Deserted Cities Of The Heart」を筆頭にあなたの素晴らしいベース・プレイを聴くことが出来ますが、御父上のプレイをどこまで踏襲して、どの程度オリジナルな要素を入れるようにしていますか?

息子というものは自分の父親のプレイを細かく研究したりしないものなんだよ(苦笑)。彼のフレーズを完全コピーしているような人からすると「全然違う!」と感じるかも知れない。でも父はライヴでも毎晩同じプレイをすることはなかった。自分のフィーリングに導かれ、共演するミュージシャンから刺激を受けながら、毎晩異なった要素を込めてきたんだ。1音1音を再現したり、同じコスチュームを着るのではなく、彼のフィーリングと独創性に近づきたいと考えているよ。父の音楽は理屈よりも感情を大事にしていたからね。

●ピート・ブラウンとあなたはいつ、どのようにして知り合ったのですか?

少し前、母親(ジャネット・ゴドフリー)とその話をしたばかりだよ。彼女がピートと初めて会ったのは1962年だったんだ。だから自分が生まれる前から面識があったことになる(笑)。ピートは私が幼児の頃から父と仕事をするために家に来ていたし、私が十代になった頃から一緒に曲を書くようになった。20曲ぐらい共作して、一緒にライヴもやったこともある。人生いつだって、ずっとピートが近くにいたんだ。自分の伯父さんのような存在だったね。彼を見ていて“クリエイティヴであること”を学ぶことが出来たし、彼の周囲にいるミュージシャン達は素晴らしいインスピレーション源となった。『Heavenly Cream』では彼からバトンを渡されたと考えているし、ベストな作品にしようと肝に銘じたよ。

●ピートの最後のアルバム『Shadow Club』で共演しているそうですね。

そう、今年(2023年)の3月にレコーディングしたんだ。その頃ピートはもう癌を患っていて、医者も治療を出来ないとサジを投げていたけど、強い意思を持ってアルバムを完成させた。私も側で見ていて、彼がアルバムを誇りにしているのを感じたよ。一緒に完成させることが出来たのは本当に嬉しいね。エリック・クラプトンがタイトル曲「Shadow Club」でギターを弾いていて、ジョー・ボナマッサも参加している。リズム・セクションはリチャード・ベイリーがドラムス、私がベースを弾いた。リチャードはボブ・マーリイやスティーヴ・ウィンウッドと共演したことがある多彩なドラマーだ。素晴らしいアルバムだよ。大半の曲をピートが書いたか共作していて、クリームの「苦しみの世界 World Of Pain」もやっている。決して代表曲ではないけれど、心に残る曲だよね。来年(2024年)前半にリリース予定だから、ぜひ聴いて欲しい。

『Heavenly Cream』Abbey Road Studio Session / photograph by Shu Tomioka
『Heavenly Cream』Abbey Road Studio Session / photograph by Shu Tomioka

<父には異なった側面がいくつもあった>

●ジンジャー・ベイカーとはいつからの付き合いですか?

父はクリーム結成前からグレアム・ボンド・オーガニゼーションでジンジャーと共演してきたし、やはり生まれる前からの仲だよ(笑)。2人は1980年代、1990年代に何度も共演してきたし、私も何度も会って、息子のコフィとも友達だった。毎年ジンジャーの誕生日にお祝いメールを送っていたんだ。彼はいつもその日のうちに「どうも有り難う。嬉しいよ」と丁寧な返事をしてきた。直接会うのとはかなり態度が異なっていたんだ(苦笑)。

●ジンジャーはどんな人物でしたか?

いつも私には優しくしてくれたよ。ジンジャーは複雑な人間だった。彼はしばしば偏屈で攻撃的な人物だと思われがちだけど、それと同時にとても知的で、音楽に関する深い知識を持っていて、素晴らしいミュージシャンだった。私は彼のことを尊敬していたし、『Heavenly Cream』で共演出来たことを誇りにしているよ。参加を打診したときも、快く引き受けてくれた。彼のドラミングはロックやジャズ、アフリカ音楽の要素があって、まるで1人でオーケストラを演奏しているようだった。“アビー・ロード・スタジオ”のコントロール・ルームで彼のドラム・トラックを聴いて、「これで完成しているじゃないか。他の楽器を乗せるなんてもったいない」と思ったよ。彼の友人でパーカッション奏者のアバス・ドドーも参加してくれたけど、彼とのコンビネーションも最高だった。

●2012年の来日公演時にジンジャーにインタビューすることが出来ましたが、私が音楽に無知で、意味のない質問をしてくると揶揄されました。ただ途中で席を立つこともなく、“天下のジンジャー・ベイカー”が20分間いろいろ語ってくれて、興味深い内容で思い出深いインタビューになったことに感謝しています。

大変だったね(苦笑)。ジンジャーがインタビュアーに攻撃的な態度を取るのは、そういう性格だということもあるんだろうけど、防御メカニズムというか、自分の周囲に壁を作っている部分もあると思う。実際にはシャイな部分もある人だったよ。

●バーニー・マースデンはどのようにして参加することになったのですか?

バーニーは父の生前最後のアルバム『シルヴァー・レイルズ』(2014)にも参加しているんだ。『Heavenly Cream』のプロデューサー、ロブ・キャスが『シルヴァー・レイルズ』も手がけていて、声をかけることにしたんだよ。ロブはバーニーのアルバム(『Shine』/2014)でも歌っているんだ。アイルランドでシンガーをやっていた彼をロンドンに連れてきたのがバーニーだと言っていた。だから付き合いが長いし、特別な思い入れがあった。あとバーニーはコージー・パウエルの『オーヴァー・ザ・トップ』(1979)でも父と共演しているね。

●御父上、コージー、バーニーがみんないなくなってしまって寂しいですね。

本当にそうだね(溜息)。でも父と一緒のバンドでやってきて、コージーのアルバムにも参加しているクレム・クレムスンは元気だよ。『オーヴァー・ザ・トップ』のジャケットはコージーがバイクに乗ってドラム・キットを飛び越えているというもので、子供の頃に見て強いインパクトを受けたのを覚えている。

●バーニーはどんな人物でしたか?

彼はホワイトスネイクで世界的な成功を収めていたけど、常に謙虚だった。音楽を愛している人だったよ。残念ながら彼と親しくなる機会はなかったけど、何度か会って話して、温かみのある人柄を感じた。2016年にロンドンの“シェパーズ・ブッシュ・エンパイア”で行われた父へのトリビュート・コンサートに参加してくれたことも感謝している。

●『Heavenly Cream』の「イマジナリー・ウェスタン」ではクレム・クレムスンが美しいギター・ソロを弾いています。御父上のソロ・キャリアを代表する曲のひとつで、クリス・スペディング、ミック・テイラー、レスリー・ウェスト、ゲイリー・ムーアなど数多くのギタリスト達がこの曲でプレイしてきましたが、あなたにとってフェイヴァリットなのは誰のヴァージョンですか?

「イマジナリー・ウェスタン」が名曲と呼ばれているのは、それぞれのギタリストの人間性を露わにすることなんだ。みんな独自のスタイルで弾いているし、優劣をつけることは出来ないよ。ただ、今回のクレムが弾いたヴァージョンはベストのひとつに挙げられるだろうね。クレムは驚嘆すべきギタリストだよ。まさに百戦錬磨で、ハンブル・パイやコロシアム、そして父とも何年ものあいだプレイしてきた。彼とはぜひまた一緒にやりたい。

●コージーの『オーヴァー・ザ・トップ』の「キラー」には御父上と共にゲイリー・ムーアが参加しています。彼らとジンジャーは1994年に“クリームの再来”と呼ばれたBBMで活動しましたが、あなたはゲイリーと面識がありましたか?

ゲイリーと共演したことはないけど、父と親しかったし、何度も話したことがあるよ。彼らがBBMをやっていた頃、ゲイリーと2人でランチをしたこともあった。BBMはすごく良いバンドだったんだ。アルバム『白昼夢 Around The Next Dream』(1994)はヒット・チャートに入ったし、ライヴも好評だった。短期間で解散したのが残念だよ。当時、多くのマスコミやファンがBBMを“エリック・クラプトンのいないクリーム”と捉えていたけど、実際にはゲイリーが音楽性に深く関わっていたし、彼に対してフェアではなかったと思う。BBMの後も父とゲイリーは交流があって、ドラマーのゲイリー・ハズバンドを加えたトリオでライヴをやったこともある(1998年7月)。ゲイリーが父のフェイヴァリット・ギタリストの1人だったことは間違いない。

●1998年7月のサウスシールズとチェルシーでのライヴ、私も見に行って、ライヴの後に御父上と御母上にご挨拶しました。

ああ、私もチェルシーのショーは見に行ったよ。1998年か、もうずいぶん前の話になってしまったね。まるで昨日のことのように思えるよ。素晴らしいショーだった!母はクリームと関わりが深くて、「スリーピー・タイム・タイム」「スウィート・ワイン」を共作しているんだ。

●私が御父上にインタビューしたとき、BBMのアルバム・タイトルを『白昼夢 Around The Next Dream』としたことについて「クリーム Creamの世界観をさらに一歩前進させる意味合いでDreamと名付けた」と話していましたが、そのことをゲイリーに訊いたら「そんな話は知らない!」と言っていました。

ハハハ、それは父ならではのユーモアで、君みたいなジャーナリストをケムに巻いていたのかも知れない(苦笑)。ジンジャーと同様に、父にも異なった側面がいくつもあったんだ。独特のユーモア感覚があって、周りの人を笑わせたり困らせたりしていたよ。音楽を愛していて、いつも雄弁に語っていた。その一方で彼は深く落ち込むことがあったし、一時はドラッグにはまっていた。人間は誰でも多かれ少なかれそうだろうけど、人生や音楽キャリアにおいて成功と失敗を繰り返してきたんだ。そんな父のヒューマンな側面も私は受け入れてきたし、敬愛してきたよ。

後編記事ではマルコムから見た父ジャックの人物像、ジンジャー・ベイカーとの真の関係、自らのキャリアまで、さらに深く迫ってみた。

【アーティスト公式サイト】

https://www.malcolmbrucemusic.com

【海外レーベル公式サイト】

https://quartovalleyrecords.com/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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