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マルコム・ブルースの証言。父ジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーの真の関係【後編】

山崎智之音楽ライター
Malcolm Bruce / courtesy Malcolm Bruce

2023年11月に海外でリリースされたクリームに捧げるトリビュート・アルバム『Heavenly Cream: An Acoustic Tribute To Cream』に全面参加、共同プロデューサーも務めるマルコム・ブルースへのインタビュー、全2回の後編。

前編記事ではアルバムの内容とゲスト陣などについて訊いたが、後編ではマルコムから見た父ジャックの人間像、ジンジャー・ベイカーとの真の関係、自らのキャリアまで掘り下げて話してもらった。

Various Artists『Heavenly Cream: An Acoustic Tribute To Cream』(Quarto Valley Records/現在発売中
Various Artists『Heavenly Cream: An Acoustic Tribute To Cream』(Quarto Valley Records/現在発売中

<音楽理論を学んでおくことは役に立つ>

●御父上は英国王立スコットランド音楽院で専門的な教育を受けましたが、あなたも音楽の教育は受けましたか?

5、6歳でピアノを始めて、ギルドホール音楽演劇学校でクラシック作曲法とジャズ・ピアノを学んだ。ロンドンの“バービカン・センター”内にある学校なんだ。今でも毎日3時間ピアノの練習をして、クラシックの理論をおさらいしているよ。楽典を学んでおくことは、自分の音楽をやる上で役に立つんだ。それが創造性や即興能力への妨げにならない限りね。「それは“やってはいけないこと”だ」と精神的な足枷になってしまわないよう気を付けねばならない。音楽は自由であるべきなんだ。父はそのことを熟知していたよ。父が特別な存在だったのは、ポピュラー音楽やブルース・ロックの枠組みにクラシックの理論と技術を取り入れたことにもあったと考えているよ。

●御父上から音楽に関してアドバイスを受けることはありましたか?

父は何かを“教える”ことはせず、自分で見つけることを求めていた。ただ、私が学ぼうとする姿勢に対してオープンだったし、いつだって応援してくれたよ。そして何よりも、彼の音楽やステージ・パフォーマンスを聴いて、見ることは重要なレッスンだった。父の音楽からは多大な影響を受けているよ。

●1970年代のジャックのドラッグ癖について、どの程度知っていましたか?

今から振り返ってみると、何かが起こっていることは明らかだった。ただ当時6歳ぐらいだった私にとって、それが何だったのかは判らなかったんだ。愛する父親が何かで苦しんでいるのを見るのは辛かった。それがドラッグだと知ったのは、もっと大きくなってからだった。私は酒もタバコもやらないし、ヨガと瞑想をするようにしている。父は素晴らしい人間で尊敬していたけど、そういう意味では反面教師だったんだ。もし父がドラッグをやっていなかったら、どんな人生を歩んでいたかは判らない。私が大人になった頃にはすっかりクリーンになっていたけど、一度もドラッグに触れていなかったら、交響曲を12曲書いていたかも知れない(笑)。

Malcolm Bruce live / courtesy of Malcolm Bruce
Malcolm Bruce live / courtesy of Malcolm Bruce

<ジャック・ブルースのオールタイム・トップ5は?>

●ジャック・ブルースのオールタイム・トップ5を挙げるとしたら?

...不可能だと判って訊いているよね(笑)?父本人にその質問をしたら、真っ先にトニー・ウィリアムズ・ライフタイムでの作品を挙げるだろう(『ターン・イット・オーヴァー』(1970)『エゴー』(1971))。彼はトニーをミュージシャンとして尊敬して、親しい友人でもあった。ラリー・ヤング、ジョン・マクラフリンという最高のミュージシャン達が集まった、歴史的なグループだった。1968年にクリームが解散して、父は大物ロック・スターだったけど、ジャズとロックを融合させたインプロヴィゼーション主体の音楽で世界を乗っ取ることを確信していた。ただ、彼らは早すぎた。音楽業界は彼らをプッシュしようとしなかったんだ。ジョン・マクラフリンがマハヴィシュヌ・オーケストラで成功を収めるのは数年後のことだよ。その時期のトニー・ウィリアムズはロック・スターになろうとしていたんだ。彼はマイルス・デイヴィスとやってきて、さらに異なった、新しい表現を求めていた。そんなときにロックと出会ったんだ。マイルスとの活動ではスーツを着込んでいた彼だけど、フレアジーンズに着替えた。最近1970年のライフタイムのライヴ映像が公開されたけど、あまりの凄い演奏にPC画面に見入ってしまったよ。

●他にはどんな作品がベストでしょうか?

『ソングス・フォー・ア・テイラー』(1969)や『ハーモニー・ロウ』(1971)のような初期のソロ・アルバムで聴けるソングライティングと演奏も大好きなんだ。というか、父のソロ・アルバムはいずれも異なった魅力と世界観を持っていて、数枚のベストを選ぶなんて無理だよ!

●そこを何とか!

カーラ・ブレイの『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』(1971)は決して父の代表作とは呼ばれないだろうけど、カーラの驚異的なヴィジョンを音楽化した、過小評価されている名盤だよ。...ニューヨークでキップ・ハンラハンと作った『シャドウズ・イン・ジ・エアー』(2001)『モア・ジャック・ザン・ゴッド』(2003)には私も参加しているんだ。ヴァノン・リードやキューバのパーカッション奏者たちもいて、音楽のインスピレーションに富んでいて、関わることが出来たのを誇りにしている。父はキップのアルバム数作に参加していて、中でも『Desire Develops An Edge』(1983)はとても興味深いし、オススメだよ。

●あなたは御父上の作品はすべて聴き込んでいますか?

おおよそね。2016年にピート・ブラウンと一緒に父へのトリビュート・コンサートをキュレーションして、父の参加した作品を最初から最後まで聴き返してみたんだ。1960年代にアレクシス・コーナーやグレアム・ボンドとやっていた頃から、晩年のアルバムまですべてね。ジャズ・インストゥルメンタルの『シングス・ウィ・ライク』(1970)を久しぶりに聴いて、ハッと目を開かされたよ。...結論を言うと、父の作品はどれも必ず光り輝く瞬間があるから、手の届く距離にあるものはすべて聴くべきだということだね。マンフレッド・マンのポップ・ソング「リトル・フラミンゴ」(1965)のように、仕事のセッション・ワークとしてやったものもあるけど、それでも彼の個性を感じることが出来るよ。1960年代にはいろんなバンドがそういったポップ畑のセッションをやっていたんだ。母の友人でイギリス最初の黒人映画女優の1人であるクレオ・シルヴェストルがレコードを出したとき、若手時代のザ・ローリング・ストーンズがバック演奏を務めたりね(「トゥ・ノウ・ヒム・イズ・トゥ・ラヴ・ヒム」/1964。プロデュースはアンドリュー・ルーグ・オールダム)。そういう時代だった。

●あなたから見て、御父上とジンジャー・ベイカーの関係はどんなものでしたか?1960年代から殴り合いの喧嘩をしたりマスコミを通じて罵倒し合いながら、何度も再合体を繰り返したり、ハタから見ると仲が良いのか悪いのか判りませんでした。

2人の関係は、彼らにしか判らないものだった。息子の私にも判らなかったよ。おそらく兄弟みたいな関係だったんじゃないかな。しょっちゅう喧嘩をしても、お互いを頼りにしていたんだ。ジンジャーは父より3、4歳年上で、初めて会ったとき、既にヘロインにはまっていたらしい。彼は業界入りして間もない父を保護しようとしたけど、父は大人しく保護されるような性格ではなかった。反発することも多かったと思う。それで関係がこじれたんだ。でも2人が認めあって、愛しあっていたことは間違いなかった。父の葬式で、私はエリック・クラプトンとジンジャーの側にいたけど、ジンジャーは泣きじゃくっていたよ。本当に2人にしか判らない絆があったんだ。

●あなたはこれまで何度も御父上とステージ共演をしていますが、それはどんな経験でしたか?

親子だということは特に意識しなかった。ただ彼は高度なミュージシャンシップを持った卓越したプレイヤーだったし、一緒にやるのは決して容易ではなかったね。常に精神的にはギリギリだった。親子だからという甘えは許されなかったんだ。“ジャック・ブルースの息子”であることで注目を浴びるのは仕方がないことだし、クリームの曲をレパートリーとする以上、比較されることは覚悟している。ただ私はソングライターとして自分の音楽もずっとやってきた。ニュー・アルバムも作っているんだ。『Fake Humans And Real Dolls』というタイトルで、2024年に発表する予定だよ。その後は自分の音楽をプレイするツアーもやりたい。クリームの音楽のライヴももちろん続けていくよ。名曲揃いでインプロヴィゼーションを入れることも出来るし、自分が影響を受けてきた音楽だから、やっていて楽しいんだ。

●あなたの2017年のソロ・アルバム『Salvation』は音楽的には御父上と異なりますが、歌い方が奇妙に似ているときがあって興味深かったです。

日常会話で自分の口調が父に似ているのはたまに感じるよ。だから歌い方が似ていると言われても驚かない(苦笑)。遺伝子も関係しているのかもね。父の歌い方はクラシックのベルカント唱法を取り入れていて、高いパートもむりなく歌っていた。私も日々練習しながら、自分のヴォイスを確立させようとしているよ。『Fake Humans And Real Dolls』はパンデミックの少し前から曲を書き始めたんだ。地球全体が奇妙な時期にあったし、音楽もそれを反映している。AIやスピリチュアリズム...ただ、過剰にシリアスにはしたくなかったんだ。ユーモアや皮肉があちこちにちりばめられていて、楽しいアルバムになっている。ここ数年は自分にとって悩みも多かったし、コロナ禍で世界全体が落ち込んでいた。そんな中で作ったアルバムだから自分をより深く掘り下げて、人間的に成長することが出来たと思うね。それをみんなと共有出来たら嬉しい。どの曲も完成度が高く、ある意味でよりコマーシャルだ。2024年には本格的なジャズ・アルバムも作ろうと考えている。デニス・チェンバーズは友達だし、スケジュールさえ合えば一緒にやってくれると思う。そちらにも期待して欲しいね。

●『Heavenly Cream』に伴うスペシャル・ライヴやツアーを行う予定はありますか?

残念ながらアルバムの核となるミュージシャンが何人もいなくなってしまったし、それはないと思う。でもソロとして2024年1月からイギリスで小規模のライヴをやるんだ。『Fake Humans And Real Dolls』からの曲もプレイするし、数曲クリーム・ナンバーもやると思う。そのあと、秋頃から本格的なツアーに出ようと考えているよ。北米やヨーロッパ、日本にも行きたいと考えている。日本には10年ぐらい前、クリス・スペディングと一緒に来たんだ(2014年6月)。1週間ぐらい東京に滞在して、2回のショーをやった。クリスは大人気で、日本のロカビリー・ファンに囲まれていたよ。私も街を歩いたりして、素晴らしい時間を過ごすことが出来た。ぜひまた戻りたいんだ。父も日本の文化や音楽ファンのことを愛していたし、いつも好意的に話していた。近いうちにまた日本でプレイしたいね。

【アーティスト公式サイト】

https://www.malcolmbrucemusic.com

【海外レーベル公式サイト】

https://quartovalleyrecords.com/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,300以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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