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インド出身女性超絶テクニカル・ベーシスト、モヒニ・デイが鮮烈ソロ・デビュー【前編】

山崎智之音楽ライター
Mohini Dey / courtesy P-Vine Records

モヒニ・デイが2023年11月、アルバム『モヒニ・デイ』でソロ・デビューを飾る。

インドのムンバイ出身、超絶テクニックを誇る女性ベーシストとして注目されてきたモヒニだが、2017年にガスリー・ゴーヴァンのバンドの一員として初来日。2019年にはB'zのツアー・メンバーとして全国ツアーに同行するなど、新世代ベース・ヒーローとして広く知られるようになった。『モヒニ・デイ』は1996年生まれの彼女が満を持してリリースする初のリーダー・アルバムである。

メタル/フュージョン/ファンク/プログレッシヴ/インド古典音楽などのイディオムを取り込みながら圧倒的な個性を誇る本作。ロン“バンブルフット”サール、ガスリー・ゴーヴァン、サイモン・フィリップス、マルコ・ミネマン、ナラダ・マイケル・ウォルデンら実力派ゲスト陣のバックアップを得て、息を呑むスリルと興奮を伴う作品に仕上げている。

悠久のインドから世界へと羽ばたくモヒニにインタビュー。全2回の前編ではその生い立ちと影響、B'zとのツアー、ソロ・デビューへと至る道のりを語ってもらった。

Mohini Dey『Mohini Dey』ジャケット(P-Vine Records/2023年11月15日発売)
Mohini Dey『Mohini Dey』ジャケット(P-Vine Records/2023年11月15日発売)

<私が進路を選んだのでなく、進路が私を選んだ>

●あなたの音楽の原点を教えて下さい。いつ、どのようにしてベースを始めたのですか?

父親がムンバイでジャズ・ベーシストをやっていて、3歳の頃に初めてベースを持たされたのよ。大人用のベースを抱えるようにして弾いていた。ボディにミッキー・マウスやドナルド・ダックのステッカーを貼ったのを覚えているわ(笑)。父の趣味でウェザー・リポート、トライバル・テック、キャブ(CAB)、チック・コリア・エレクトリック・バンド、レヴェル42、マハヴィシュヌ・オーケストラ、スパイロ・ジャイラなど“ちょっと古めの”フュージョンを聴きながら育った。母親はヒンドゥスタンのクラシック歌手だったから、その影響もあるわね。「自分がやりたいことはこれだ!」と確信して、毎日6,7時間練習していたわ。

●ステージに立つようになったきっかけは?

最初は父のつてで、9歳のときムンバイのクラブでプレイした。13、14歳の頃には幾つものバンドを掛け持ちして、人生を音楽に捧げることを決意したわ。それから毎週金・土曜日にジャズ・クラブでスウィングやシャッフルなどのスタンダードを弾いていた。その時期はファッションにも興味があって、大学でデザインを学びたいとも考えていた。ただ、父は私を音楽の道に進ませようとしていた。「女性のファッション・デザイナーなんて世界にいくらでもいるし競争が激しい。テクニックのある女性ベーシストは珍しいし希少価値がある」と言っていたわ。

●どのように進路を選んだのですか?

私が進路を選んだのでなく、進路が私を選んだのよ。高校を卒業する時点で、3つの選択肢があった。(1)アメリカのバークリー音楽学校の奨学生になるか、(2)ムンバイのファッション・デザイン系大学の選抜学生として進学するか、(3)A.R.ラフマーンのバンド・メンバーになるかの三者択一だった。その時点で私はいろんなバンドでベースを弾いていたし、自分の曲を書いて、TVCMのジングルなどで弾いていた。親との折り合いも良くなかったし、経済的に自立して、家を出たかったんで、A.R.ラフマーンのバンドに入ることにしたのよ。17歳のときから8年半、彼と一緒にやったわ。

●A.R.ラフマーンは『ムトゥ踊るマハラジャ』(1995)や『スラムドッグ$ミリオネア』(2008)などの映画音楽を手がけたことで日本でも有名ですが、彼との活動はどのようなものでしたか?

私が彼のバンドに加入したのは、『スラムドッグ$ミリオネア』よりも後のことだった。ライヴ・ツアーに同行したり、映画音楽のレコーディングに参加したり...スタジオでは楽譜を渡されてプレイするんだけど、それがどの映画のどのシーンで使われるかは知らされていないから、後になって「これを弾いているの、私だわ!」と思うことがある。だいたい20本ぐらいの映画でプレイしている筈よ。彼のバンドでやっていて楽しかったけど、何年かやっているうちに、自分の音楽をやりたいという欲求が高まっていった。その頃はYouTubeやInstagramなどで動画を公開するようになって、自分のバンドでもやっていたけど、ヨーロッパやイギリスのフェスティバルに招かれてもスケジュールの都合で断らねばならなかった。それで独立することにしたのよ。

●どのようにしてインド国外に活動範囲を広げていったのですか?

やはりSNSで自分のプレイ動画を公開したことが大きかったわね。いろんなミュージシャンとの交流が生まれて、スティーヴ・ヴァイやガスリー・ゴーヴァンとの繋がりも出来たのよ。ガスリーのバンドでのツアーに同行することになって、日本でもプレイすることが出来たわ(2017年3月・2018年11月)。日本の人々や文化、食べ物は大好きだし、ツアーが終わってからも思い出に浸ってボンヤリするほどだった。そんなとき、日本からメールが来たのよ。「B'zのツアー・バンドのオーディションを受けないか?」というものだった。

●B'zは日本で最大級の人気を誇るロック・バンドですが、声をかけられてどう思いましたか?

日本の音楽事情については何も知らなかったし、B'zを聴いたこともなかったから、迷惑メールかと思って1週間ぐらい放置していたのよ(笑)。でも何かピンと来るものがあって、ネットで調べたり曲を聴いてみたらすごく気に入って、「まだオーディションに間に合う?」って急いで返事をしたわ。

●B'zのオーディションはどんなものでしたか?

すごくシンプルだった。オーディションの課題の4曲を弾くのを録画して、動画を送って欲しいと言われたのよ。オーディションというものは生まれて初めての経験だったわ。B'zの全国ツアーでは4ヶ月半のあいだ日本に滞在して、隅々まで見ることが出来た。毎日新しい発見があって、感動の連続だったわ。ライヴも大きなステージで超満員のお客さんの前で連日プレイして、夢のような経験だった。それに自分専用のベース・テクが付いてくれたのはB'zのツアーが初めてだった!それまでは機材のセットアップもベース弦を張り替えるのも、全部自分でやっていたのよ。

●B'zとのツアーで思い出に残っていることはありますか?

東京で1週間かけて40曲ぐらいリハーサルしたけど、初日に地震があってビックリしたわ。ムンバイには滅多に地震なんてないし、PAやスピーカーが揺れるのが怖くてどこかの柱にしがみつこうとしていたら、みんな平気な顔で演奏を続けていた。あと、ずっと楽譜を見てリハーサルしていたけど、ツアー初日の前々日ぐらいになってステージ上に譜面台を置かないことを知った(苦笑)。「エエッ?」ってなって、ホテルの部屋で必死で練習したわ。何とか間に合ったけど、仮眠したとき悪夢に襲われたほどだった!

Mohini Dey / courtesy P-Vine Records
Mohini Dey / courtesy P-Vine Records

<13歳から経てきた音楽の物語をアルバムにしたかった>

●YouTubeやInstagramなどで検索すれば、あなたの音楽や演奏は何時間でも見ることが出来ます。あえてリーダー・アルバム『モヒニ・デイ』を出すことにしたのは何故ですか?

自分が13歳から経てきた音楽の物語を形にしたかったのよ。私は自作の曲を書くようになってから、あらゆるタイプの音楽性に踏み込んできた。ロック、ジャズ、フュージョン、ファンク、ソウル、ゴスペル、ヘヴィ・メタル、プログレッシヴ・ロック、インド古典音楽...「イントロヴァーテッド・ソウル」と「ファースト・フード・ゼン・ユー」ではインドのヴォイス・パーカッションであるコナッコルを取り入れている。すべてを融合させることで、自分ならではの新しい音楽が生まれると考えているわ。友達みんなに「レコーディングして発表すればいいのに」と勧められてきたし、私自身も自分のアルバムを出したかった。夫(マーク・ハートサッチ)も「世界中の人々に聴いてもらうべきだ」と背中を押してくれて、感謝しているわ。

●アルバムで最も古いのはどの曲で、いつ書いたのですか?

「イントロヴァーテッド・ソウル」は13歳のとき、生まれて初めて書いた曲だった。それから長い年月を経て進化してきたのがアルバムのヴァージョンよ。当初は「Soul」というタイトルだった。私は自分の人生に対して迷いがあって、シャイで、外に出るのが嫌だった。混乱していたのよ。今の私はより外界とのコミュニケーションを取れるようになったし、当時の自分を振り返ってタイトルに“introverted(内向的な)”を付け加えている。ガスリーにデモを聴かせたらすごく気に入ってくれて、ギターを弾いてくれたわ。「キック・ベース」も13歳ぐらいの頃に書いた曲だった。ナラダ・マイケル・ウォルデンのドラムスは13年前に録ったものをそのまま使っているのよ。あまりに曲の一部となっていて、他のドラマーに叩いてもらうことは考えられなかった。

●「ボンベイ・ボング」ではジャコ・パストリアスがウェザー・リポートの「ティーン・タウン」で弾いたプレイを意識したそうですが、あまり似ているように思えませんでした。

うん、それでいいのよ。子供の頃から弾いてきた曲で影響を受けてきたけど、コピーしようとは思わなかった。異なった視点から見ることで、新しい着想を得られるんじゃないかな。

後編記事では『モヒニ・デイ』の音楽性とそのメッセージ性をさらに掘り下げ、彼女の進む地平線の向こうにあるものについて訊いてみよう。

【アーティスト公式サイト】

https://mohinideybass.in/

【アーティスト公式Instagram】

https://www.instagram.com/dey_bass/

【日本レーベル公式サイト】

https://p-vine.jp/music/pcd-25374

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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