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2014年のホークウィンド、45年の宇宙航路と幻の来日公演を解き明かす【アーカイヴ・インタビュー】

山崎智之音楽ライター
Hawkwind 2014 / courtesy Gonzo Media

2023年、ホークウィンドの名盤『宇宙の祭典(スペース・リチュアル)』(1973)の50周年アニヴァーサリー限定ボックス・セットがリリースされる。それを記念して創設メンバーであるデイヴ・ブロックとの最新インタビューを行った(前編記事後編記事)。

だがデイヴがかつて書いた曲「スペース・イズ・ディープ」のタイトルの通り、ホークウィンドの宇宙はどこまでも深遠だ。バンドをさらに深く知るため、筆者(山﨑)が2014年に行ったインタビューを再掲載しよう。

この後2015年4月に初来日公演が実現。同年に盟友レミーが、2019年にジンジャー・ベイカーが亡くなるなどさまざまな変動を経てきた彼らだが、その永遠のトリップは終わらない。

(初出はヤマハのウェブサイト“音楽ライターの眼”)

スペース・ロックの覇者・ホークウィンドは1969年に英国ロンドンで結成、常に音楽シーンの最前線を突き進んできたバンドだ。その孤高のサウンドはサイケデリック、プログレッシヴ、ヘヴィ・メタル、パンク、トランスなど、あらゆるジャンルと時代を超越して偏在。『宇宙の探求』(1971)やライヴ盤『宇宙の祭典』(1973)などは、畏怖の対象ですらある名盤だ。

2013年10月にはアルバム『スペースホークス』を発表、健在ぶりを見せつけたホークウィンド。オリジナル・メンバー、デイヴ・ブロックが、本サイトのためにインタビューに応じてくれた。

Hawkwind『Spacehawks』(Eastworld Recording/2014年)
Hawkwind『Spacehawks』(Eastworld Recording/2014年)

<プライマル・スクリームの「アーバン・ゲリラ」カヴァーは面白かった>

●『スペースホークス』は新曲と既発曲のリメイク、リミックスが混在する変則的アルバムですが、どのような意図で作られたのですか?

元々はアメリカ市場をターゲットにしたアルバムだったんだ。2013年10月にアメリカ・ツアーを行うにあたって、作品を出しておきたかった。それで新曲に加えて、アメリカで発売されなかった前作『オンワード』(2012)からの曲や、過去のアルバムからのリメイクも収録する『スペースホークス』を出したんだ。でも、私が体調を崩してしまって、アメリカ・ツアーは中止になった。というよりも、精神的なストレスによるものだったんだ。

●報道によると、元メンバーのニック・ターナーが“ニック・ターナーズ・ホークウィンド”を名乗ることが法的に出来るようになってしまったのがストレスの原因だったとか…。

うん、まあ、大体合っているよ。アメリカの裁判所でそういう判決が出たんで、かなりガッカリしてね。ニックは大昔、一時期バンドにいただけで、ホークウィンドを名乗る権利などないのに、そんなデタラメがまかり通ってしまうのは酷い話だ。今はなんとか、精神的に立ち直っているよ。ただアメリカのファンには申し訳ないけど、ちょっと悪い思い出になってしまった。今はアメリカより日本に行きたい心境だ!

●ニックがホークウィンドを名乗って日本に来たことはありますが(1996年3月)、“本物の”ホークウィンドは来たことがないので、ぜひ日本でライヴをやって下さい。

うん、2011年の日本公演が中止になったのは残念だった。ビザも取得して、オーストラリアから日本に行く予定だったんだ。でも地震(東日本大震災)のせいで、キャンセルしなければならなかったんだ。我々はニュースを通じてしか日本の事情が判らないし、プロモーターの指示に従うしかなかった。それ以来、日本公演の話は立ち消えになってしまったけど、ぜひまた交渉を再開して、日本でプレイしたい。

●ホークウィンドの作品はスタジオ新曲と再録曲、ライヴ音源、リミックスなどが混在することがあって、どれを“公式アルバム”、どれを“コンピレーション”と見なすか難しかったりしますが、あなたにとって『スペースホークス』はどちらでしょうか?

正直、自分の中で両者を区別していないんだ。『スペースホークス』は1時間以上あるし、新曲も6曲収録されている。最近リイシューされた『絶体絶命』(1975)はアメリカでは再発されなかったけど、アメリカでのライヴでは演奏するつもりだったから、「襲撃、砲門の嵐」と「炸裂する空間」、そして「ザ・ディメンティッド・マン」を再レコーディングしている。前作『オンワード』や前々作『ブラッド・オブ・ジ・アース』(2010)収録曲のリミックスもあるけど、ひとつの流れがあるし、“コンピレーション”よりも“アルバム”に近いんじゃないかな。

●『絶体絶命』からの楽曲のリメイクは、オリジナルとどう異なるでしょうか?

曲の構成自体は、あまり変わらない。ただ演奏するミュージシャンが異なれば、ソロも違うし、曲のムードも異なったものになる。昔の曲であっても、そのおかげで新鮮なスリルを保ち続けることが出来るんだ。

●『スペースホークス』と『オンワード』はどちらも1曲目に「シーズンズ」が収録されていますが、どのような意図があったのでしょうか?

「シーズンズ」はアルバムのオープニング向きの、とても気に入っている曲だ。アメリカのファンにも聴いてもらいたくて、『スペースホークス』にも収録したんだ。新しいヴァージョンの方が気に入っているよ。『オンワード』の方はミックスが酷くて、高音域と低音域が潰れていた。ミックスの現場に、メンバーが誰もいなかったのがまずかったんだ。それでナイアル・ホーンのギター・トラックを外して、新しいギターを私が弾いた。気に入っているのは、それが理由かも知れない(笑)。

●初期の名曲「マスター・オブ・ザ・ユニヴァース」をリメイクしたのは?

このテイクは、ヒュー・ロイド・ラングトンがプレイした最後の音源だった(2012年12月6日に逝去)。彼は9月にスタジオに来て4、5曲でギターを弾いてくれたんだけど、この曲が一番出来が良かったんだ。ヒューは素晴らしいギタリストだったし、長年の友人だった。このアルバムで彼へのトリビュートを捧げたかったんだ。このヴァージョンは中盤にスポークン・ワードのパートがある。「マスター・オブ・ザ・ユニヴァース」はライヴだと長いインストゥルメンタル・ジャムに突入するけど、その中にスポークン・ワードがあると、いい気分転換になって曲がビシッと締まると思う。Mr.ディブスがエレクトリック・チェロを挿入していることも、この曲を刺激的にしている。

●ヒューは4、5曲でギターを弾いたそうですが、「マスター・オブ・ザ・ユニヴァース」以外の曲が今後、世に出ることはあるでしょうか?

どうだろうね…もうそばにいない友人のプレイを聴き返すのは辛いものなんだ。キーボード奏者だったジェイソン・スチュアートが亡くなったときも、彼がいた頃のテープを聴くのは精神的にきつかった。いつかヒューがいた頃の音源をもう一度聴き直すこともあるかも知れないけど、今はその時ではないよ。

●これまで「ソニック・アタック」はライヴの名盤『宇宙の祭典』を筆頭に、何度もレコーディングされてきましたが、『スペースホークス』収録のヴァージョンはどう異なるといえるでしょうか?

このアルバムでは当初、ウィリアム・シャトナーのナレーションを入れるつもりだったんだ。『スター・トレック』のカーク船長だよ。ただ、アメリカの某レコード会社が「ウィリアムの声は自分たちが権利を持つ」と言い出してね。彼らは使用料目当てだったと思うけど、我々には裁判をやる時間も金もなかったんで、私とディブスが代役でナレーションをやった。2月には中国における動物虐待に反対するベネフィット・コンサートを行うんだけど、そこではブライアン・ブレスドがナレーションをやることが決まっている。彼はイギリスのシェークスピア俳優で、映画『フラッシュ・ゴードン』(1980)でホークマンを演じている人だ。

●「ウィ・トゥック・ザ・ロング・ステップ」は、あなたのソロ・アルバム『ルッキング・フォー・ラヴ・イン・ザ・ロスト・ランド・オブ・ドリームズ』(2012)にも収録されていますが、同じテイクですか?

その通りだ。『スペースホークス』はロックだけでなく、良いアコースティック・ナンバーを1、2曲入れたかったんだ。「ウィ・トゥック・ザ・ロング・ステップ」はもっと注目を得てもいい曲だと思ったし、アメリカ市場向けに収録することにした。さらに『絶体絶命』からの「ザ・ディメンティッド・マン」のアコースティック・ヴァージョンも録音した。ホークウィンドのアルバムは必ずしもコンセプトやストーリーがある必要はないけど、常にひとつの流れと起伏があるんだ。だからアルバムの中盤にアコースティック・ナンバーがあると効果的なんだよ。

●『スペースホークス』用にレコーディングしたホークウィンドの既発曲で、結局使わなかったものはありましたか?

「タイム・ウィ・レフト・ディス・ワールド・トゥデイ」(オリジナルは『ドレミファソラシド』<1972>収録)、それから「アーバン・ゲリラ」(シングル曲・1973)をレコーディングした。アルバムに収録する時間がなかったけど、いずれ何らかの形で発表するかも知れないよ。

●プライマル・スクリームがカヴァーした「アーバン・ゲリラ」は聴きましたか?

うん、聴いたよ。面白いヴァージョンだったと思う。彼らはホークウィンド・ファンなんだ。『Mojo』アワード授賞式だったかな、自己紹介されたよ。いい若者たちだ。

●アルバムに収録されている新曲では、「ウィ・トゥ・アー・ワン」のリフがストゥージズの「アイ・ワナ・ビー・ユア・ドッグ」を思わせるヘヴィなものですね

この曲はヘヴィなリフの、トラディショナルなホークウィンド・ソングだ。『オンワード』を作っているときに書いた曲で、ディブスが歌詞と、エレクトリック・チェロのパートを書いている。

●同じく新曲の「サクロサンクト」はトランスとノイズ・ミュージックが交錯するナンバーですが、どのようにして書いたのですか?

「サクロサンクト」は私とナイアル、それからドラマーのリチャード・チャドウィックで書いた曲だ。スタジオで3人でリズム・マシンのスイッチを入れて、それに合わせてジャムをやって仕上げたんだ。1990年代によくやっていたタイプの曲だね。あの頃は“セカンド・サマー・オブ・ラヴ”という表現で、レイヴやトランスが流行っていて、私たちも刺激を受けてきた。フリー・フェスティバルに出演することも多かったしね。1990年代のホークウィンドは私とリチャード・チャドウィック、それからアラン・デイヴィのトリオ編成だったから、ライヴがかなり大変だったのを覚えているよ。私とアランがギターとベースを弾きながらシンセやシーケンサーの操作もしなければならなかったんだ。

Hawkwind 2014 / courtesy Gonzo Media
Hawkwind 2014 / courtesy Gonzo Media

<レミーとまた一緒にライヴをやりたい>

●ホークウィンドのオリジナル・アルバムが次々とリマスター再発される中、『絶体絶命』(1975)だけが遅れて、2013年になってようやく再発されました。何故、これほど時間がかかったのですか?

当時ホークウィンドのマネージャーがダグ・スミスという人物だった。彼は『絶体絶命』でベースを弾いているレミーが結成したモーターヘッドのマネージャーも務めていた。その後、多額の使途不明金をめぐって、レミーがダグを告訴することになったんだ。結局、裁判は示談になったけど、彼らはずっと不仲のままだった。ホークウィンドのバック・カタログを英『チェリー・レッド』レーベルが再発売するにあたって、ダグが権利の一部を持つ『絶体絶命』に関しては、レミーが「あいつとは絶対関わらない」と言って、許可しなかったんだ。それで結局、レミーが持っていた権利分を私が買い上げて、私が『チェリー・レッド』と契約する形をとったんだ。2012年11月、ブリストルのコルストン・ホールの楽屋に会いに行って、レミーが権利譲渡の契約書にサインしたんだよ。

●1975年にレミーがホークウィンドを解雇されて、モーターヘッドを結成した話は有名ですが、その後、いつごろ仲直りしたのですか?

私自身はレミーと仲違いはしていないよ。彼をクビにするか、バンド内で多数決を取ったんだ。私は彼に残って欲しかったけど、他のみんなは解雇するべきだと主張した。私はそれからも彼と連絡を取っていて、モーターヘッドはホークウィンドと何度もツアーしているし、レミーはEP『ジ・アース・リチュアル』(1983)などにゲスト参加している。

●レミーと最近は連絡を取り合っていますか?

たまに顔を合わせたり、電話したり、話すようにしているよ。レミーは最近体調が良くないようで、心配なんだ。歳をとると、かつて自分に出来たことが出来ないようになる。「自分は大丈夫だ」と思って、無理してフェスティバルに出演したりすると、後でぶり返しが来るんだ。彼にはゆっくり休んでもらいたいね。そうしてエネルギーを充填してから、また一緒にライヴでもやりたい。

●72歳のあなたが元気に活動している秘訣は何でしょうか?

私もティム・ブレイク(キーボード)も毎朝7時半に起きて、夜はぐっすり眠る。それぐらいさ。年齢をハンディと考えたことはない。歳をとるごとにクリエイティヴになったと思うよ。ここ数十年、曲作りでスランプになったことはないし、最近ではホークウィンドとソロとホークウィンド・ライト・オーケストラ名義でアルバムをリリースしている。コンピュータを使うようになって、さらに音楽をやりやすくなった。曲のエディットやオーヴァーダブ、ループを自由自在に出来るからね。私のような素人でも出来るんだから、コンピュータでの音楽作りにはすごい可能性があると思う。

●スタジオでのレコーディングは深夜作業もあったりして、大変ですよね。

いや、レコーディングはさほど体力を使わないんだ。ツアーの方がずっと大変だよ。特に移動がきつい。自分の歳を最も意識するのは、ツアー・バスの中だな。食事や睡眠も不規則になるし...若い頃は30日間のツアーなんてへいちゃらだったけど、今では10日も連続してショーをやれば息が切れてくる。

●ホークウィンドは常にドラッグ・カルチャーと結びつけられてきましたが、あなた自身はどのように関わっていましたか?

バンドの初期においては、LSDは精神の拡大に役立ったかも知れない。でも、いったん“鍵の開け方”を知ってしまえば、もう必要なくなるんだ。ファースト・アルバム『ホークウィンド』(1970)の時点で既に、ナチュラルにトリップした状態だった。3作目『ドレミファソラシド』(1972)の頃は、完全にクリーンだったな。もう長年ドラッグなんてやっていないよ。深酒もしないし、タバコも吸わない。バンドの半分はベジタリアンだし、いたって健康的だ。

●ところで1980年から1981年にかけて、元クリームのジンジャー・ベイカーがホークウィンドに在籍していましたが、その当時のことを教えて下さい。

ヒュー・ロイド・ラングトンの奥さんがジンジャーの広報担当だったんだ。前のドラマーが抜けて、アルバムのレコーディングをしなければならなかったんで、彼に頼んでみることにした。最初、みんなすごく緊張したんだ。クリームといえばロック史上に残るトップ・バンドだし、当時から世界最高峰のドラマーと呼ばれていたからね。高額のギャラを支払ったけど、『宇宙遊泳』(1980)のドラム・トラックを3日でレコーディング出来たから、通常のセッション・ドラマーより安く済んだぐらいだった。それでツアーにも参加してもらうことにした。

●ジンジャーは少なくない数のミュージシャンとトラブルを起こしていますが、あなたとは問題はありませんでしたか?

ジンジャーと揉めたことは、実は一度もないんだ。たまに偏屈だと思うことはあったけど、何も問題はなかったよ。大勢の人が、彼がとんでもないカンシャク持ちだと言っているけどね。特に不仲だったのが、当時ベーシストだったハーヴェイ・ベインブリッジだった。ジンジャーは私に「あいつはクビにして、ジャック・ブルースを入れよう」と言ってきたんだ。自分がジンジャーとジャックと一緒にやるなんて夢のような話だったけど、「ハーヴェイは昔からの友達だし、そんなこと出来ないよ」と答えた。ジンジャーは「あんなド下手な奴、ロクなもんじゃない。クビにした方がいい」とゴネていたけど、結局彼が辞めることになった。そうして彼はホークウィンドのキーボード奏者だったキース・ヘイルを引き抜いて、“ホークウィンド”を名乗ってイタリアをツアーしたんだ。酷い話だよな(苦笑)。それからグラストンベリー・フェスティバルのバックステージで一度顔を合わせたけど、それ以来ずっと会ってない。

●1981年のグラストンベリーというと、ジンジャーがステージ上でロイ・ハーパーに殴られたという伝説の年ですね。

そうだ(笑)。ジンジャーとトラブルがなかったという点で、私は少数派だな。

●ジンジャーはパブリック・イメージ・リミテッドの『アルバム』(1986)にゲスト参加していましたが、ジョン・ライドンはセックス・ピストルズのライヴで「シルヴァー・マシーン」をカヴァーするなど、ホークウィンドのファンとして知られていますね。

数年前、『Mojo』アワードの授賞式で、私がプレゼンターとしてジョンに賞を渡したことがあるよ。彼は「こんなもん要らねえ!」とか言って、賞のトロフィーを放り投げていた。ずいぶん失礼な奴だと思ったけど、実は彼は1970年代に私たちのライヴの楽屋を訪れて、「ホークウィンドの大ファンです」と挨拶してきたことがあるし、こないだBBCラジオを聴いていたら“孤島に持っていくレコード”として「混迷の地球を逃れたい」を挙げていた。本当は熱心なファンなんだよ(笑)。

●ホークウィンドはデビュー以来、サイケ、プログレ、ヘヴィ・メタル、パンク、トランスなど、さまざまな世代のさまざまなスタイルの音楽に影響を与えてきました。流行廃りの激しい音楽シーンで、長期にわたって多彩なミュージシャン達から支持されてきたのは何故でしょうか?

さあ、見当もつかないね。ホークウィンドはとても幸運なバンドだと思う。どんなジャンルにも当てはまらないから、あらゆるジャンルのミュージシャン達から“ちょっと違ったもの”として受け入れられてきた。それに若者は、自分たちより年長のミュージシャンが奏でる音楽を聴く傾向があるんだ。十代の私がアメリカの黒人ブルースを聴き耽ったようにね。私がビッグ・ビル・ブルーンジーのギターをコピーしたように、若い層のリスナーがホークウィンドをコピーするんじゃないかな。

●ホークウィンドは膨大な数のアルバムを発表してきましたが、その中でビギナーにおすすめ出来る作品はどれでしょうか?

これまで発表してきたどのアルバムにも思い入れがあるし、特定のアルバムをヒイキすることは出来ないけど、やはり最初のアルバム『ホークウィンド』は特別だね。どんなミュージシャンにとっても、初めてのアルバムはスペシャルなものだろう。奇妙なエレクトロニクスが入っていたり、今聴いても一風変わったアルバムだよ。『絶体絶命』や『クオーク、ストレンジネス&チャーム』(1977)、『ザ・クロニクル・オブ・ザ・ブラック・ソード』(1984)…ライヴ・アルバムだったら『宇宙の祭典』が良い入り口になるだろうし、『ラヴ・イン・スペース』(1996)でベリーダンサーをフィーチュアしたビデオもかなりサイケだと思う。最近ではYouTubeでホークウィンドの曲に合わせた自作のビデオを作る人々がいるんだ。ひとつのアート手法といえる、面白いものだよ。

●今後リリース予定の作品では、どのようなものがありますか?

2006年にオランダのロードバーン・フェスティバルで撮影したライヴ映像作品をリリースするつもりなんだ。ホークウィンド史上ベスト・ライヴのひとつで、9台のカメラと24トラック音声で、素晴らしい出来だよ。私自身が誇りに出来るこの作品が、まだ世に出ていないのは残念だ。ブートレグ(海賊盤)まがいのライヴ盤が、バンドの知らないところで何枚も出ているのに、最高だと思う作品が出ていないんだからね!

【バンド公式サイト】

http://hawkwind.com/

【海外レコード会社サイト】

https://www.cherryred.co.uk/artist/hawkwind/

【日本語でホークウィンドを知ることが出来る情報サイト】

HAWKWIND DAZE

http://news.hawkwind.jp/

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音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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