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【追悼】ジェフ・ベックが語ったライバルと仲間たち/クラプトン、ヘンドリックス、ストーンズ

山崎智之音楽ライター
Jeff Beck(写真:Shutterstock/アフロ)

2023年1月10日、ジェフ・ベックが78歳で亡くなったというニュースは世界を駆け巡り、数多くの音楽ファンに大きなショックを与えた。

1965年にヤードバーズのギタリストとして本格プロ・デビューしたジェフはジェフ・ベック・グループやベック、ボガート&アピスといったハード・ロック・バンドを経て、1975年にソロ・アーティストとして発表したインストゥルメンタル作『ブロウ・バイ・ブロウ』が全米チャート4位というヒットを記録。それからコンスタントに作品を発表、本国イギリスはもちろんアメリカ、ヨーロッパ、そして日本でも絶大な人気を誇ってきた。2022年にはジョニー・デップとの共演アルバム『18』で相変わらずの切れ味鋭いギターを聴かせ、海外で元気にツアーも行っていただけに、突然の訃報はまさに衝撃だった。

60年近くトップ・アーティストとして活躍してきたジェフはさまざまな“神話”に彩られてきた。インターネットが普及するはるか前にデビューしたこともあり、そんな“神話”が一人歩きしてきたことも事実だ。

“インタビューが苦手”“人嫌い”などと言われることもある彼だが、筆者(山﨑)が6回、のべ200分近く行ったインタビューでは無駄話などはしないものの、最新事情から過去のエピソードまで、軽口やジョークを交えながら語ってくれている。

“ライヴにムラがあり、最高のときと最悪のときのギャップが激しい”という話もたまに見かけるが、筆者が見たライヴ、聴いてきたライヴ・テープの数々では常に凄まじいばかりのギター・マジックに浸ることが出来た。「スキャッターブレイン」の入るところを間違えて曲が崩壊しかけたことはあったものの、もし彼に“最悪のライヴ”があるなら、むしろどんなものが聴いてみたい。

<3大ギタリストのオールスター・アルバム「嫌だ。絶対やらない!」>

もうひとつ、ジェフを形容するのによく使われる“孤高のギタリスト”という表現もまた、必ずしも正しくはないように思える。ジェフは決して孤独ではなく、多くのライバルや仲間たちと刺激を与えあい、助け合いながら、ロック・ギターの頂点まで上り詰めたのである。

ジェフのライバルとして真っ先に名前が挙がるのがエリック・クラプトンとジミー・ペイジだろう。1960年代にヤードバーズのリード・ギタリストだった3人(ドラマーのジム・マッカーティは「ジェフがベストだったと思う」と語っている)はバンド脱退後も交流を育み、しばしば共演が実現。2009年にはジェフとエリックのジョイント来日公演が行われたし、2016年、両国国技館での“クラシック・ロック・アワード”イベントにはジェフとジミーが参加したが共演が実現せず、ファンがガッカリするという事件もあった。

エリックの脱退後、ヤードバーズに誘われたジミーが「自分は加入出来ないけど良いギタリストがいる」とジェフを推薦したことは有名だし、エリックはジェフに歌うことを勧めたこともある。

「『ジェフ、君も歌うべきだよ』と言ってきた。『うーん、止めとくよ』って辞退したよ。でもその後、プロデューサー(ミッキー・モスト)が僕をポップ・シンガーに仕立て上げようとしたんだ。そして彼は惨めに失敗したのさ!いや、惨めだったのは僕だった。シングル『ハイ・ホー・シルヴァー・ライニング』によって“シンガー:ジェフ・ベック”のキャリアは終わったんだ。今から思えば、終わって良かったけどね」

さらにジェフは、ジミー率いるレッド・ツェッペリンについてこんな仮説を立てていた。

「あくまで夢物語だけど、もし『アトランティック・レコーズ』が僕たちと契約して『トゥルース』を出していたら、レッド・ツェッペリンが『アトランティック』と契約することはなかっただろう。ジェフ・ベック・グループが1970年代ハード・ロックのスーパースターとなる可能性はあったと思う。ただ、それで僕が幸せだったかというと、決してそうではなかっただろう。ずっと同じ音楽をやることを求められて、『ブロウ・バイ・ブロウ』のようなアルバムを作ることがなかっただろうからね」

ちなみに「もし河で1930年代のフォードとヴィンテージ・ストラトキャスター、そしてジミーが溺れていたら、誰を助けるか?」と訊いてみたことがある。ジェフは「車は重いし、ジミーは口うるさいから、ストラトかな」と笑いながら言った後、「冗談だよ。当然ジミーを助けるよ!」と答えてくれた。

ところで2010年、ジェフは『エモーション&コモーション』で“ワーナー・ミュージック”に移籍。エリックが同じ“ワーナー”系と契約、レッド・ツェッペリンのバック・カタログも“ワーナー”系から発売されていることから、3大ギタリストのオールスター・アルバムを作ることが可能では?とも訊いてみた。それに対する答えは「嫌だ。絶対やらない!」というものだった。

「彼らに限ったことではなく、個性の強いギタリストと一緒にやるのは、臭いのプンプンするエゴのぶつかり合いになってしまうから、避けたいんだ」

ジェフのライバルだったのはエリックやジミーだけではない。1966年にアメリカからやって来たジミ・ヘンドリックスも彼にとってライバルであり、親しい友人でもあった。

「僕もエリックもジミを脅威に感じていた。彼は当時イギリスのどんなギタリストよりもハッキリと明解な表現をしていたし、それまで僕たちがやってきたことを丸めてゴミ箱に捨ててしまったんだからね。これから一体何をすればいいのか、不安になったよ。70年代に僕はジャズ・ロック的な音楽を見出して、ジョージ・マーティンと『ブロウ・バイ・ブロウ』を作ったけど、それはジミに対する反動でもあったんだ。ラウドなコードを弾くロックは、彼にやり尽くされてしまったからね。彼とは違うことをやる必要があったんだ」

さらにもう1人のギタリストを、ジェフは挙げている。

「ジョン・マクラフリンの音楽を聴くと、ギターという楽器の持つ可能性に驚かされる。6本しか弦のない楽器なのに、あんな新しい音楽を生み出すことが出来るんだからね。僕はまだ彼の域には至っていないし、永遠に追いつくことが出来ないかも知れない。でも、まだ自分に出来ることはあると思うんだ。だからアルバムを作り続けるんだよ」

ジェフと切磋琢磨してきたのはギタリストばかりではなかった。彼は自分のキャリアにおける“スパーリング・パートナー”を2人挙げている。まずは第1期ジェフ・ベック・グループのシンガーであり、後のソロ・アーティストとして成功を収めたロッド・スチュワートだ。

「ロッドと作った2枚のアルバム『トゥルース』『ベック・オラ』を聴けば、真剣勝負だったことが判るだろ?昔も今も、本当に素晴らしいシンガーだよ」

そして彼が“究極のスパーリング・パートナー”と呼んだのが、ヤン・ハマーだった。

「ヤンと一緒にステージでプレイすると、彼の弾くメロディに誘発されて、僕も良いプレイを弾くことが出来る。ベースやドラムスの音の趣味も似通っているしね。彼のソロ作品をすべて聴いているわけではないけど、僕のために書いてくれる曲は好みがぴったりなものばかりだ。自分のライヴ・テープを聴くとき、自分のプレイは全然聴かない。それよりヤンのキーボードばかりに耳が行くよ」

Jeff Beck
Jeff Beck写真:ロイター/アフロ

<ジェフが自ら語るザ・ローリング・ストーンズ加入話>

ジェフのキャリアにおいて浅からぬ因縁があったのが、ザ・ローリング・ストーンズだった。第1期ジェフ・ベック・グループのベーシストだったロニー・ウッドがストーンズにギタリストとして加入したり、ジェフがミック・ジャガーのソロ・プロジェクトに関わるなどしてきたが、1975年には加入話が持ち上がっている。

ロック史の伝説としてさまざまな噂や憶測がされてきたストーンズの“グレイト・ギタリスト・ハント”について、ジェフはこう証言している。

「あのときストーンズは税金の関係でオランダのロッテルダムに滞在していて、ある時1、2曲でギターを弾かないか?って誘いがあったんだ。それでロッテルダムまで行ったら、メンバーが誰もいなかった。3日目になってホテルのバーに ピアノ奏者のイアン・スチュワートがいたんで、「もうイギリスに戻らなきゃ」って言ったんだ。リハーサル・ルームには各々の名前が書かれた100本ぐらいのギターが置かれていた。オーディションを受ける気はなかったし、家に帰ることにしたんだ。でもイアンが言うには、ストーンズのギタリストは僕に決定したんで、オーディションはすべて中止になったそうだった。その時、僕は既にジョージ・マーティンと『ブロウ・バイ・ブロウ』をレコーディングすることが決定していて、スタジオをブッキングしていた。正直ストーンズに加入することも考えたけど、彼らの音楽性にはあまり魅力を感じなかったし、結局辞退した。誰とも会うことなく、ロッテルダムを後にしたんだ。一応スチュには『ロニー・ウッドだったらきっとピッタリだと思うよ』と伝えておいたけど、最終的に彼が加入したのが僕のおかげだったかは判らない。ストーンズに入ったらきっと金持ちにはなっただろう。でもハッピーにはなれなかったんじゃないかな」

ライバルや仲間たちと競い合い、助け合いながら、ジェフはそのギターの研鑽を積んできた。彼らがいたからジェフがいて、ジェフがいたから彼らがいたのである。

なお、インタビューを通じて知り得たジェフの人間像は2022年、『18』発表時のコラム記事でも記したので、ご一読いただきたい。

https://jp.yamaha.com/sp/myujin/57641.html

また2017年、最後の来日となったジャパン・ツアー時のインタビューもどうぞ。

https://dot.asahi.com/wa/2017020800041.html

【2014年の来日ライヴ・レポート】

【ライヴ・レビュー】ジェフ・ベック 時間軸を超えたギターで魅せる夜

https://news.yahoo.co.jp/byline/yamazakitomoyuki/20140416-00034551

【2019年のコラム記事】

ジェフ・ベックとレミー・キルミスター(モーターヘッド)、1986年の“幻”の共演

https://jp.yamaha.com/sp/myujin/24819.html

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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