ニュー・アルバム『バタフライ・マインド』を発表した現代イギリスのプログレッシヴ・ロック界のキーパーソン:ティム・ボウネスへのインタビュー、全2回の後編。

前編記事では新作について訊いたが、今回はそのディープな音楽偏愛やスティーヴン・ウィルソン(ポーキュパイン・ツリー)との交流などについて話してもらった。

Tim Bowness『Butterfly Mind』ジャケット(JUNE DREAM / IAC MUSIC JAPAN 2022年8月5日発売)
Tim Bowness『Butterfly Mind』ジャケット(JUNE DREAM / IAC MUSIC JAPAN 2022年8月5日発売)

<1977年は自分が音楽を聴き始めて、すべてに刺激を受けていた年>

●仕事やプライベートで日本に来たことはありますか?

いや、残念ながらまだ一度もないんだよ。日本の文化には常に魅了されてきたし、映画『ロスト・イン・トランスレーション』(2003)などで東京の風景を見て、いつか行かなきゃ!とずっと思ってきたんだ。ピーター・ハミルは近所に住んでいるけど、何度も日本公演を行っているのに加えて、アルバムを作るときには東京に行って、ホテルにカンヅメになるそうだ。東京の雰囲気とエネルギーからインスピレーションを受けると言っていたよ。ぜひ私も東京か京都、あるいは日本の地方で曲作りをしてみたいね。

●あなたが初めて日本文化に触れたのは5歳で映画『007は二度死ぬ』(1967)を見たときだったそうですね。

うん、そうだよ。『007は二度死ぬ』は映画も好きだけど、ジョン・バリーの音楽も最高なんだ。偽オリエンタル趣味っぽいところもあるけど、映画音楽にハマるきっかけになった。彼の手がけたスコアは『007は二度死ぬ』、『女王陛下の007』(1969)、『国際諜報局』(1965)、『ある日どこかで』(1980)...どれもハーモニーとムードが美しいね。

●『キングコング』(1976)や『ブルース・リー 死亡遊戯』『スタークラッシュ』(ともに1978)などでもジョン・バリーの音楽は輝いていますね。

そう、彼の音楽には際立った個性があるけど、それが映像を邪魔するのでなく、さらに高めるものだ。もちろん彼の作品すべてが名曲とは言わないけど、膨大な数の曲を書いているし、決して“名作”と呼ばれないような映画にも素晴らしい音楽を提供していることがあるね。

●スティーヴン・ウィルソンとやっている配信トーク番組『The Album Years』、非常に興味深く聴いています。最新の1978年編パート3(2022年7月5日公開)でも久しぶりに聴き返したいアルバムがたくさん紹介されていました。アンソニー・ブラクストンやクラウス・シュルツェのように多作なアーティストは作品ごとの記憶がゴッチャになって、「あれ?『X』はどれだっけ?」と思ってしまうこともあるし...。

スティーヴンとは昔からあらゆることを何時間も雑談してきたんだ。コロナ禍でライヴを出来なくなったから、それを配信でみんなに聴いてもらうことにしたんだよ。2人とも忙しくて、半年ぶりになってしまったけど、彼と音楽について話すのは楽しいね。クラウス・シュルツェは膨大な数の作品を発表してきたし、若いファンがその全貌を把握するのは至難の業だ。キング・クリムゾンのボックス・セットみたいなものだよ(笑)。私はキング・クリムゾンの大ファンだし、商品としても扱うから、すべて聴くようにしている。でもさすがに、どのボックス・セットの何枚目かを空で覚えてはいないよ。私が初めて行ったコンサートがロバート・フリップだし、思い入れがあるんだ。ノー・マンでロバートと共演出来たことは誇りにしている。

●1年ごとに特集する構成にしたのは何故ですか?

1955年から1985年まで、音楽はあらゆる文化の中心だったと思う。その後に文化は多様化して、音楽はその一部となってしまったんじゃないかな。『The Album Years』ではそんな時代の音楽を振り返ってみたかったんだ。ただ、誰でも知っている名盤はあえて避けて、重要だけど忘れられがちなアルバムに焦点を当てるようにしているよ。

●まだ1977年は特集していませんが、3パート構成だった1978年よりもさらに長くなりそうですね。

そう、1977年はまだやっていないんだ。すごく膨大で、どうまとめるか悩むよね。それだけで12回ぐらい必要になる(笑)。ディスコ・ブームがピークを迎えていたし、パンクが勃興して、優れた映画サウンドトラック・アルバムが発表された年だった。それだけでなく、ピンク・フロイドの『アニマルズ』、ウェザー・リポートの『ヘヴィ・ウェザー』のように、ベテラン勢も傑作を発表している。とてつもなくエキサイティングな1年だったよ。自分が音楽を聴き始めて、すべてに刺激を受けていた頃だから、余計にそう感じるのかも知れないけどね。

●1977年の映画サウンドトラックというと『サタデー・ナイト・フィーバー』や『アバ・ザ・ムービー』、あるいはジョン・ウィリアムズの『スター・ウォーズ』などでしょうか?

それらも重要だったけど。私にとって1977年は『007/私を愛したスパイ』の年だった。シリーズでこの作品だけはジョン・バリーでなく、マーヴィン・ハムリッシュが音楽を担当しているんだ。でもやっぱり最高だし、カーリー・サイモンが歌う「私を愛したスパイ Nobody Does It Better」は『007』シリーズの主題歌でオールタイム・ベストのひとつだよ。面白いことに、少年だったスティーヴンも私も当時リアルタイムでシングルを買っていたんだ。

●レディオヘッドのトム・ヨークも「私を愛したスパイ」を“史上最もセクシーな曲”と讃えていますね。

うん、彼は正しいよ(笑)。

●1977年、パンク・ロックとはどのように関わっていましたか?

パンク現役世代よりもちょっと年下だったし、シーンの一部ではなかったよ。その頃は両親のレコードやジョン・バリーの映画音楽を聴いていた。小学校の頃、アルバムなんてジョン・バリーのサウンドトラック盤ぐらいしか持っていなかったんだ。学校の合唱隊に所属していたから聖歌はそこそこ知っていたけど、ポップ・ミュージックとの出会いは比較的遅かった。初めてこれだ!と感じたポップ・ソングはスパークスの「ディス・タウン」で、あまりにオリジナルで奇妙な曲調に心を奪われたんだ。それともう1曲、11歳の頃に10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」と出会って、何度も繰り返し聴き続けたよ。ずっと後になって、ケヴィン・ゴドリーが『Flowers At The Scene』(2019)にゲスト参加してくれて、光栄だった。彼の声が本当に好きなんだ。それから一気に、あらゆる音楽が自分の中に流れ込んできた。

●新たにどんな音楽を聴くようになりましたか?

ほぼ偶然のようにピンク・フロイドの『炎(あなたがここにいてほしい)』を耳にした。美しくて、謎めいていて...あんな音楽を聴くのは生まれて初めてだった。音楽、そしてアートワークにも恋に落ちたよ。ドナ・サマーのディスコ・ソングも聴いていたし、ジャンルにこだわることなく音楽に接していた。TV番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』でストラングラーズやバズコックスを見て、彼らのヒット曲は好きだったけど、“パンク”というシーンがあることを把握したのは1980年代初めで、『NME』や『メロディ・メイカー』などの音楽紙を通じてだった。その頃、既にジョイ・ディヴィジョン、ア・サーテン・レシオ、ドゥルッティ・コラム、マガジンなどの“ポスト・パンク”なるものが生まれていたよ。マンチェスターやリヴァプールなど、私が育ったイングランド北部出身のバンドが多くて、親近感を覚えた。ティアドロップ・エクスプローズも最高だったな。それからもう一歩踏み込んで、フィリップ・グラスやマイルス・デイヴィス、キング・クリムゾンなどに傾倒するようになったんだ。それに子供の頃から聴いてきたスパークスや10cc、両親が聴いていたザ・ビートルズなども混ざることで、自分の求める音楽像が築かれていった。

●スパークスのメイル兄弟と会ったことはありますか?

映画『スパークス・ブラザーズ』(2021)は見たし、アルバムはどれも聴いているけど、直接会ったことはないんだ。彼らは1970年代から現代に至るまでクリエイティヴで刺激的な音楽を創り続けているバンドだし、敬意を持っているよ。再評価を得ているのは嬉しいことだね。

●『The Album Years』の1978年の回で、シン・リジィの『ライヴ・アンド・デンジャラス』のかなりの割合がスタジオでオーヴァーダブしたものらしいと話していましたが、ブライアン・ダウニー本人は少なくともドラムスはライヴだと言っていましたよ。

うん、そういう話は尾ヒレが付いてしまうものだからね。...私は15歳のときにシン・リジィのライヴを見たことがあるんだ。1979年の『ブラック・ローズ』ツアーだった。その少し前に私の母親が自動車事故で亡くなって、落ち込んでいるのを慰めるために叔父が誘ってくれたんだ。そのとき私はシン・リジィが誰かも知らなかったけど、凄いエキサイティングなショーだったよ。照明の手伝いをして、バックステージにも入れてもらった。フィル・ライノットとスコット・ゴーハムはとてもフレンドリーで、サインをしてくれたりしたけど、ゲイリー・ムーアは15歳のガキにはまったく興味がないようだった。でもフィルに「おい、サインしてあげなよ」と言われて、渋々ツアー・パンフレットにサインしてくれたんだ(笑)。ブライアン・ダウニーは物静かで、とても良い人だった。ずっと後になって知ったんだけど、ピーター・ハミルのお嬢さんたちはフィルのお嬢さんたちと同じ小学校に通っていたらしい。『ブラック・ローズ』はシン・リジィの最高傑作のひとつだと思うし、1970年代にゲイリーがコロシアムIIでやっていた音楽も好きだよ。彼がセッション参加したアンドリュー・ロイド・ウェバーの『スーパー・ヴァリエーション Variations』(1978)も良かった。あまり彼のソロ・ワークは聴き込んでいないけど、凄いギタリストだったよ。

●『The Album Years』ではスティーヴンと較べてあまりハード・ロックは好きではないのかな?と思わせる発言がありますが...。

そんなことはないよ。最近『The Album Years』で特集した1978年だけでもシン・リジィの『ライヴ・アンド・デンジャラス』、UFOの『宇宙征服 Obsession』、レインボーの『バビロンの城門 Long Live Rock'n'Roll』...決してファンからの評価は高くないけど、ブラック・サバスの『ネヴァー・セイ・ダイ』は常軌を逸したアルバムだった。どれも大好きだ。

●あなたはフェイヴァリット・アーティストの1人としてスコット・ウォーカーを挙げていますが、彼がメタル・バンドSUNN O)))と作ったコラボレーション・アルバム『サウスド』(2014)は聴きましたか?

うん、好きだし楽しむことが出来たよ。意外だったのは、スコットのアルバムでも聴きやすい部類に入るということだった。もっと前衛的な音楽性になるかと思っていたんだけどね。SUNN O)))の音楽の大ファンというわけではないけど、彼らの世界観はユニークだと思うし、敬意を持っている。グレン・ブランカに通じるものも感じるよ。いろいろな新しい音楽をチェックするようにしているんだ。最近の音楽で気に入っているのはナディーン・シャーやブラック・カントリー、ニュー・ロードかな。レコードやCDを聴くという儀式は私にとって重要なことだよ。

Tim Bowness / pic courtesy of IAC MUSIC JAPAN
Tim Bowness / pic courtesy of IAC MUSIC JAPAN

<スティーヴン・ウィルソンとは初対面で意気投合した>

●スティーヴン・ウィルソンとは長い付き合いですがいつ、どのようにして知り合ったのですか?

スティーヴンと会ったのは私が1987年、プレンティというバンドをリヴァプールでやっていた頃だった。『バタフライ・マインド』にも参加しているブライアン・ハルスも一員だった。スティーヴンはいくつかの雑誌で私のバンドのレビューを読んで、興味を抱いてくれたんだ。当時は個人情報が丸出しで、住所や電話番号がそのまま載っていた。それで彼が企画するコンピレーションに参加しないかと、手紙で誘ってきた。私が何本かテープを送ったら電話してきて、すごく話が盛り上がったんだ。彼の曲でヴォーカルを入れることになって、1987年8月に直接イングランド南部に住む彼のところに会いに行ったよ。初対面で意気投合して、4時間ぐらい話してから2曲を共作した。そのうち1曲は7分半のクラシック・ロック・バラッド、もう1曲は2分半のブルータルなパンク・ファンクだった。それがノー・マンに発展していって、1990年にレコード会社と契約したんだ。

●出会いのきっかけとなったコンピレーションはリリースされたのですか?

うん、『Double Exposure』(1987)というコンピレーションで、プレンティの曲は「Forest Almost Burning」「Sacrifice」の2曲が収録されている。それからスティーヴンのプロジェクト、ノー・マン・イズ・アン・アイランド(エクセプト・フォー・ジ・アイル・オブ・マン)の「Faith's Last Doubt」という曲でも私が歌っている。私はジャケットのデザインもしているんだ。2枚組LPで、かなりレア盤の筈だよ。

●初めて会ったときに4時間話して、それから35年が経った2022年でも配信トーク『The Album Years』で毎回4時間話しているわけですが、2人のあいだにどんなケミストリーが働いているのでしょうか?

2人とも必ずしも同じものが好きとは限らないけど、いろんな音楽やアートが好きだという共通点があるんだ。それは私たちだけでなく、イアン・アンダーソンみたいな人についても言えることだよ。彼ら自身が興味深い(interesting)人間であるのと同時に、いろんなことに興味を持ち続ける(interested)人間なんだ。スティーヴンは常に学ぶ姿勢でいるし、話していても新鮮だよ。『The Album Years』は毎回4時間ぐらい話して、それを1時間に編集するんだ。ノー・マンとして音楽をやるときも、彼とアイディアをぶつけ合うことで、刺激的なものが生まれる。彼との交友関係で悔いがあるとしたら、ノー・マンとしてもっとたくさんの作品を作るべきだったということだな。

●ノー・マンとしてまた活動する予定はありますか?

具体的な予定はないけど、スティーヴンとはいつも連絡を取り合っているし、またやろうと話しているよ。当時リリースしなかった初期の曲を再レコーディングしようとも話しているんだ。初期メンバーのベン・コールマンは『バタフライ・マインド』にも参加してくれたし、そのプロジェクトが実現したら声をかけるつもりだよ。

●元ジャパン、現ポーキュパイン・ツリーのリチャード・バルビエリとも交流が長いですね。

うん、リチャードは『バタフライ・マインド』ではプレイしていないけど、前作『レイト・ナイト・ラメンツ』(2020)には参加しているし、良い友人だ。1990年代の初め、ノー・マンはライヴをやっていた。スティーヴンと私、ヴァイオリンのベン・コールマンで、バックにテープを流してね。3人のフロントマンがいるという、けっこうオリジナルな編成だったんだ。でも“ワン・リトル・インディアン・レコーズ”はリズム・セクションを加えろって言ってきた。1991年の話で、レイン・トゥリー・クロウのアルバムとトーク・トークの『ラフィング・ストック』が好きだったんで、ああいうリズム・セクションとだったら一緒にやると主張したんだ。それでレコード会社経由で声をかけたら、リチャード・バルビエリ、スティーヴ・ジャンセン、ミック・カーン、それからトーク・トークのリズム・セクションはロンドンの“ロニー・スコッツ”クラブのライヴを見に来てくれた。トーク・トークのマネージャーはノー・マンのことを気に入って、私たちのマネージメントもしてくれることになったよ。それで1992年にリチャード、スティーヴ、ミックを加えて、イングランドとウェールズのツアーをしたんだ。ノー・マンのスタジオ作品では3人が『Loveblows & Lovecries』(1993)、リチャードとスティーヴは『フラワーマウス』(1994)とEP『Heaven Taste』(1995)に参加している。さらにリチャードと私で『フレイム』(1994)というアルバムを発表したよ。2020年10月に曲を書き始めたとき、リチャードと2曲を共作したけど、『バタフライ・マインド』の音楽性とはまったく異なっているから入れなかったんだ。いずれ何らかの形で発表したいと考えているよ。

●ミック・カーンは2011年に亡くなってしまいましたが、どのような人物・ミュージシャンでしたか?

ミックは最高のミュージシャンであり、観客の目を釘付けにするライヴ・パフォーマー、そしてオリジナルな音楽性を持ったプレイヤーだったよ。とてもフレンドリーな人だったし、いつも楽しい会話をすることが出来た。彼と知り合う前はシリアスなイメージを抱いていたけど、ユーモアのある、温かみに溢れた人物だったよ。ただ実際には繊細な人で、ジョークの鎧で自分を守る必要があったのかも知れない。彼の本当の深みにある人間性には触れることが出来なかった気がする。ミックが亡くなるちょっと前まで連絡を取っていた。彼がライヴ・バンドを組むことになって、「良いドラマーはいない?」ってメールしてきたんで、私のバンドの一員だったアンドリュー・ブッカーを紹介したんだ。残念ながらミックの体調が悪くなって、そのライヴは実現しなかったけどね。

●他のジャパンの元メンバー達と交流はありますか?

スティーヴ・ジャンセンとは何度も一緒にやっているし、ロブ・ディーンはソロ作品を“バーニング・シェッド”で取り扱ったことで、何度かメールのやり取りをしたことがある。デヴィッド・シルヴィアンとも直接は会っていないけど、メールのやり取りをしたことがあるよ。音楽に対してシリアスな理想主義者というイメージを抱いたね。

Tim Bowness / pic courtesy of IAC MUSIC JAPAN
Tim Bowness / pic courtesy of IAC MUSIC JAPAN

<2022年のプログレッシヴ・ロックは1977年と状況が似ている。何故なら...>

●近年ポーキュパイン・ツリー、パイナップル・シーフ、ビッグ・ビッグ・トレインらの活躍によって、プログレッシヴ・ロックが新たな注目を集めていますが、現在のシーンをどう見ていますか?

2008年ぐらいまではプログレッシヴ・シーンには一種のコミュニティ意識があったと思う。ノー・マンが『Schoolyard Ghosts』(2008)を出した頃までかな、“K-スコープ”レーベルを中心として、ポスト・プログレッシヴ・ムーヴメントとでも呼べるような連帯感があった。でも現在では状況がかなり異なっていて、ポーキュパイン・ツリー、パイナップル・シーフ、ビッグ・ビッグ・トレインの“3強”に人気が集中して、ムーヴメントの裾野の拡がりがない状況だ。ある意味、1977年に似ているかも知れない。あの時期、イエス、ピンク・フロイド、ジェネシスは絶大な人気を誇っていたけど、他のバンドはそれほどでもなかっただろ?

●今後その一角に迫るような若手バンドはいそうですか?

うーん、ちょっと思いつかないな。ビッグ・ビッグ・トレインの後、大物になりそうなバンドは出てきていないと思う。でも私のレーダーに引っかかっていないバンドもいるかも知れないし、ユニークでエキサイティングな新人が出てくることを願っているよ。

●“バーニング・シェッド”のようなスペシャリスト・ウェブ・ショップを訪れる音楽ファンは少なからずマニア志向があると思いますが、どんなレア盤を扱っていますか?

“バーニング・シェッド”で扱っている“プレイン・グルーヴィ”レーベル、オランダの“クレイジー・ダイアモンド”レーベルの作品は少数プレスだけど、素晴らしい内容のものもあるよ。アーティストが自主制作でプレスしたLPも扱っているし、どこかの倉庫に眠っていたレア盤を発掘することもある。ブライアン・イーノの『ミュージック・フォー・フィルムズ』のファースト・ヴァージョンは1976年にデモLPを500枚プレスして映画会社やテレビ局に配布したもので、曲数や内容も異なっている。120枚をガレージに置いていた人物を突き止めて、サイトで売り出したんだ。一瞬で売り切れたよ。

●そんなマニア達にオススメのアルバムはありますか?

“E.G.レコーズ”から1980年代に出た2タイトルをオススメするよ。まずザ・セイムの『Sync Or Swim』(1981)。ロン・ギーシンとドゥルッティ・コラム、フランク・ザッパを融合させたような実験的なインストゥルメンタルだ。それからピクチャーズ『Pictures』(1983)。イギリスで人気ポップ・バンドだったフリーズ(Freeez)のサイド・プロジェクトで、サウンド・コラージュを取り入れた隠れた傑作なんだ。

●今後の予定を教えて下さい。

いろいろ計画を練っているところなんだ。何人かのアーティストとコラボレーションの可能性について話しているし、『バタフライ・マインド』に伴うライヴも組んでいきたい。日本に呼んでもらえたら喜んでツアーしに行くよ。

■アーティスト:Tim Bowness(ティム・ボウネス)

https://timbowness.co.uk/

■タイトル:バタフライ・マインド<Japan Edition>

■品番:IACD10904

■その他:日本限定ボーナス・トラック収録/紙ジャケット仕様/日本語解説付

■発売元:JUNE DREAM / IAC MUSIC JAPAN

https://www.interart.co.jp/business/entertainment.html