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【インタビュー後編】アンディ・パウエル(ウィッシュボーン・アッシュ)、ブリティッシュ・ブルースを語る

山崎智之音楽ライター
Wishbone Ash / courtesy of Wishbone Ash

ウィッシュボーン・アッシュのアンディ・パウエルが初期フリートウッド・マックの未発表音源集『ビフォー・ザ・ビギニング 1968-1970 ~ライヴ&デモ・セッションズ~』を語るインタビュー。全2回の後編ではマックがアッシュに与えた音楽的インスピレーション、そしてブルースからの影響などについて訊いた。

前編記事はこちら

<ブルースの洗礼を浴びたんだ>

●ウィッシュボーン・アッシュの結成時、オーディションであなたとテッド・ターナーの2人が候補に残り、どちらか1人を選ぶことが出来なかったためにツイン・ギター編成になったという話は本当でしょうか?

Fleetwood Mac『Before The Beginning 1968-1970』ジャケット/courtesy of Sony Music
Fleetwood Mac『Before The Beginning 1968-1970』ジャケット/courtesy of Sony Music

本当だよ。当初マーティン・ターナーとスティーヴ・アプトン、そしてマネージャーのマイルス・コープランドの頭にあったのは、ギタリスト1人とキーボード奏者1人を入れるというアイディアだったんだ。候補に挙がっていたのはプロコル・ハルムで「青い影」を書いたマシュー・フィッシャーだった。もう1人、ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイターに加入するキーボードも候補だったな。でもギタリスト候補が2人いて、どっちにすれば良いか決められなかった。それを告げられて、私が「じゃあ2人とも入れれば?」と提案したんだ。テッドはバーミンガムから、私は当時住んでいたヘメル・ヘンプステッドからやって来て、リハーサルをしてみた。4人でジャムを始めたら、すべてがピッタリはまったのを覚えている。それでキーボード奏者を入れるのは止めて、ギタリスト2人が参加することになったんだ。だからウィッシュボーン・アッシュがツイン・ギターになったのは、偶然の産物でもあったんだよ。

●あなたとテッド・ターナーのギター・コンビは、どのようなものでしたか?

テッドはとてもメロディックに弾くギタリストだった。スタイル的には、私よりもピーターに通じるものがあったんじゃないかな。私の方がより熱く弾きまくるタイプだった。どちらかといえば私の方が経験を積んでいたけど、2人ともエゴの問題はなく、お互いを補い合ってプレイしていた。2人の異なったギター・サウンドが、ウィッシュボーン・アッシュの個性となったんだ。フリートウッド・マックから学んだのはギタリスト達のプレイだけではなく、サウンドの面もあった。ピーターがリヴァーブを多用したり、それぞれ異なったトーンで弾いていたんだ。初期のウィッシュボーン・アッシュはそんな多様性から影響を受けたね。

●あなたはウィッシュボーン・アッシュの結成前からブルースの影響を受けてきましたか?

1960年代後半のブリティッシュ・ブルース・ブームの頃、セミプロのミュージシャンだったけど、ブルースはやっていなかったんだ。16歳の頃はディコイズ、シュガー・バンドなどで“モータウン”や“スタックス”のソウルやR&Bをプレイしていたよ。だから“スタックス”にいたアルバート・キングから多大な影響を受けたね。でも当時はオルガンやホーン・セクションがリード担当だったから、私はリズム・ギターを弾いていたんだ。ただ、このバンドで活動したことは音楽のセンスを鍛えることになった。ファースト・アルバム『ウィッシュボーン・アッシュ』(1970)の「ブラインド・アイ」なんて、その頃やっていたソウルのホーンのラインをギターに置き換えたものだった。アメリカのソウルやR&Bと同時に、イギリス出身のエーメン・コーナーやズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンド、スティームパケットも大好きだったよ。でも当時からマディ・ウォーターズやハウリン・ウルフを聴き漁っていたし、ブリティッシュ・ブルース・ブームの洗礼を浴びている。ジョン・メイオールの『ブルースブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン』(1966)は愛聴盤だったし、フリートウッド・マックやチキン・シャック、初期ジェスロ・タル...クリスティン・パーフェクトも好きだった。“ウィンザー・フェスティバル”ではアレクシス・コーナーと話すことが出来たんだ。“ブリティッシュ・ブルースの父”と呼ばれるミュージシャンで、ローリング・ストーンズやフリーを育てたんだよ。

Andy Powell / courtesy of Wishbone Ash
Andy Powell / courtesy of Wishbone Ash

<メタリカのギタリストがピーターのレスポールを持っていることには文句はない>

●ピーター・グリーンがフリートウッド・マックで弾いていた1959年製ギブソン・レスポールはゲイリー・ムーアに譲られましたが、そのことについてはどう考えますか?

Peter Green / photo by Barry Plummer
Peter Green / photo by Barry Plummer

若い頃のゲイリーがウィッシュボーン・アッシュのオープニング・アクトを務めたことがあったよ。1970年頃、ロンドン郊外のエッピングかどこかの小さなクラブで、彼はスキッド・ロウというバンドでやっていた。凄まじい速さと熱気を持ったギタリストだった。摩擦で火を噴きそうなヴィブラートを覚えている。あの当時、ゲイリーがピーターのレスポールの後継者に相応しかったかというと、違っていただろうね。でも後に彼がブルース・アルバムを作って、より味わい深いプレイを弾くことになって、正統な継承者になったと思う。あのレスポールのマジックをフルに弾き出していたよ。

●現在、“グリーニー”レスポールはメタリカのカーク・ハメットが所有していますが、そのことについては?

ギターは博物館に展示されたり、投資家の倉庫に放り込まれるために作られたのではない。どんなギターであっても、ミュージシャンによって弾き続けられるべきだと私は信じている。だからメタリカのギタリストがピーターのレスポールを持っていることには文句はないよ。私はメタリカの音楽をよく知らないし、ライヴで手荒く扱わないで欲しいけどね。あのレスポールは何十年、いや何百年も受け継がれるべき、まさに名器だよ。

●ウィッシュボーン・アッシュの現時点での最新アルバム『Blue Horizon』(2014)は1960年代末のブリティッシュ・ブルース・ブームを代表する名門レーベル“ブルー・ホライズン”と同じ名前ですが、それは偶然でしょうか?

ハハハ、偶然だよ(笑)。君に言われるまで、まったく気付かなかった。でも“ブルー・ホライズン”はフリートウッド・マックやチキン・シャックなどの名作を出しているし、無意識的にあの時代のアルバムが頭の中にあったのかもね。

●『Blue Horizon』にはパット・マクマナスがフィドルとブズーキで参加していましたが、あなたと同様に、彼もフライングVのギターを弾いていましたね。

うん、彼はかつてママズ・ボーイズというバンドでやっていたんだ。彼はアイルランド出身で、ギターだけでなくフィドルの腕前も素晴らしい。ウィッシュボーン・アッシュの音楽にはケルティック・フォークからの影響もあるから、パットが参加してくれたことは良い効果をもたらした。パットは大のゲイリー・ムーア・ファンでもあるんだ。いつか機会があれば、彼にはギターでも参加して欲しいね。

●最後に、あなたにとってのフリートウッド・マックのベスト3曲を挙げて下さい。

たった3曲というのは不可能だな...最大のヒット曲でよく知られているのは「アルバトロス」だけど、それよりもブルース・ナンバーの「ストップ・メッシン・アラウンド」が好きなんだ。ちょっと本流を外れたところでは、ダニー・カーワンが中心の「ジグゾー・パズル・ブルース」でジャンゴ・ラインハルトからの影響を聴くことが出来て良い。アルバムは『ミスター・ワンダフル』(1968)、それから『聖なる鳥』(1969)...ピーターが脱退した後の『枯木』(1972)も素晴らしいよ。フリートウッド・マックというと『噂』(1977)みたいなヒット・アルバムを思い出す人も多いだろうけど、私にとっては初期がベストなんだ。『ビフォー・ザ・ビギニング 1968-1970 ~ライヴ&デモ・セッションズ~』はそんな想いを再認識させてくれるアルバムだよ。

【アルバム紹介】

フリートウッド・マック

『ビフォー・ザ・ビギニング 1968-1970 〜ライヴ&デモ・セッションズ〜』

ソニーミュージック SICP-6118 ~ SICP-6120

現在発売中

https://www.sonymusic.co.jp/artist/FleetwoodMac/discography/SICP-6118

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ヤマハWeb音遊人『フリートウッド・マックの初期未発表音源集『ビフォー・ザ・ビギニング 1968-1970 〜ライヴ&デモ・セッションズ〜』が発表』

https://jp.yamaha.com/sp/myujin/29880.html

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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