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【インタビュー後編】エリック・マーティン、4月来日。Mr.BIGとミュージシャン達との秘話を語る

山崎智之音楽ライター
Eric Martin

2017年4月下旬に新バンド“USAポップ・ブリゲイド”を率いてジャパン・ツアーを行うエリック・マーティンへの来日直前インタビュー。前編では日本公演に向けての抱負を語ってもらったが今回、後編ではMr. BIGの待望のニュー・アルバムについて、そして数々のミュージシャンとの秘話を語ってくれた。

<Mr.BIGの新作は最高でなければならない>

●Mr. BIGのニュー・アルバムは近々聴くことが出来るでしょうか?

もう収録曲はすべて完成して、あとは僕がヴォーカルを入れるだけだよ(2017年4月時点)。そうしたらアルバムは完成だ。まだタイトルはない。いつも名付けるのは最後なんだ(その後『Defying Gravity』と発表された)。 2017年の遅くならないうちに出せると思うけど、レコード会社のビジネスプランや流通の関係もあるから、発売がいつになるかはまだ判らないんだ。アルバムを出したらツアーもやるだろうし、USAポップ・ブリゲイドとしてライヴをやれるのは4月の日本公演の後、しばらく先になるかも知れない。Mr. BIGとしてこれが最後のアルバムになる可能性もあるから、最高の作品にしなければならないと気合いが入っているよ。

●えっ、最後とはどういうことですか?

僕たちの年齢のこともあるし、それぞれのキャリアのことを考えると、あと何枚アルバムを作れるか判らない...ってことだよ。現在バンドはとてもポジティヴな状態だし、仲が悪いわけじゃないから、安心してくれ(笑)。僕自身にとっても、今は人生の重要なターニングポイントなんだ。プライベートで困難な決断が必要だったり、考えることが多いんだよ。

●パット・トーピーの体調はいかがですか?

以前より体力が落ちている感じはあるけど、気力は満ちているし、元気そうだよ。パーキンソン病が完治することはないけれど、薬で震えも抑えているし、病気には見えない。外見も昔と同じで、背格好も同じだ。ちょっと歳を取ったぐらいだ。アルバムではマット・スターがすべてのドラムスをプレイしたけど、パットは曲作りにも参加しているし、スタジオでクリエイティヴなアイディアを出してくれた。パーカッションも数カ所で叩いているよ。アルバムのプロデューサーは、最初の4作を手がけたケヴィン・エルソンなんだ。彼ともパットに2、3曲でプレイしてもらったらどうかと相談した。でもパットは「そう言ってくれて有り難う。でも、どうしても出来ないんだ」と言ってきた。辛かった。胸が張り裂けそうだったよ。新作にはポールが書いた「ビー・カインド」というブルージーな曲があって、パットが叩くために書かれたような曲なんだ。アルバムではマットが叩いたけど、Mr.BIGのライヴでは体調さえ良ければ、パットが叩いてくれるかも知れない。

<AC/DCは最高だった>

●ブラジル音楽の大物ミュージシャン、セルジオ・メンデスの前座を務めたことがあるそうですが、そのことについて教えて下さい。

僕の父はドラマーで、僕にドラムスを教えてくれたのも父だった。ただ、音楽だけで生活するのは難しくて、米軍に入隊したんだ。士官学校に行って、出世していった。イタリアのヴィチェンツァに駐屯していた頃、僕はTHE BUZZZZZZ....というバンドでドラマーをやっていた。このバンドの最初のショーのひとつがセルジオ・メンデス&ブラジル'66sの前座だったんだ。彼らはサイモン&ガーファンクルのカヴァー「スカボロー・フェア」をラテン・スタイルでヒットさせていた1969年か1970年のことだよ。雪が降っていたけど、お客さんで満員だった。セルジオのバンドには17人ぐらいメンバーがいるんで、フロアには彼らのペダルや機材が置いてあって、僕は自分の香港製の赤いスパークル模様のドラムキットを組み立てるスペースがなかったんだ。それでブラジル'66のドラマーのキットを使った。本物のシマウマの皮を張ったドラム・キットだったのを覚えているよ。現代だったら動物愛護団体から強硬なクレームが来るようなもので、正直僕もこれはマズいよな...と思っていた。父は僕のライヴを見てすごく喜んで、「お前はきっとドラマーとして成功するぞ!」と言ってくれた。まあ、実際に成功したのはそれから25年後、しかもシンガーとしてだったけどね(笑)。そのときセルジオと会話することはなかったんだ。今になって彼と再会して、「イタリアのヴィチェンツァであなたの前座をやりました!」と言っても、絶対に覚えていないだろうな。「あー、覚えてないな」と言われるか、お愛想で「もちろん覚えているよ!きっと良いドラマーになると思っていた!」と言ってくれるか、どっちかだろうし、あまり期待はしていないよ。

●AC/DCとのエピソードについて教えて下さい。

1977年、彼らの初めてのUSツアーだった。サンフランシスコの『オールド・ウォルドーフ』ってクラブで、2日連続のショーだった。金土か木金か、すっかり忘れたけどね。当時僕は、オーストラリアという国は学校の授業でしか聞いたことがなかった。ロック・バンドがいるなんて想像もしなかったんだ。僕はキッド・カレッジというバンドで歌っていた。ローリング・ストーンズとチューブスを合体させたようなサウンドで、全員が長髪でスーツを着ていた。マイケル・デ・バレがいたディテクティヴってバンドか、KISSの『地獄への接吻 Dressed To Kill』か...とにかく変なバンドだったな。『オールド・ウォルドーフ』の楽屋は元レストランで、でかかった。真ん中にビリヤード台を置いていたのを覚えている。その頃、僕はザ・ローリング・ストーンズやポール・ロジャース、エアロスミスのファンだったんだ。少しばかりソウルフルでユーモアがあって、アティチュードとクールな歌詞を兼ね備えたシンガーが好きなんだ。AC/DCのボン・スコットにもそんな要素があったけど、鼻にかかったような歌い方はまったくユニークなものだった。ほとんどパンクっぽさがあって、最高だったよ。まず僕たちがプレイして、彼らの出番が来るまでのせっとチェンジの時間、ボンと一緒にビリヤードをやった。「さあ出番だ、行かなきゃ!」ってTシャツを脱いで、上半身裸でステージに上がっていったのを覚えているよ。アンガスも楽屋の片隅で学校の制服に着替えていた。「こんなコスチュームで人前に出るなんて、とんでもない度胸のある奴だな!」と思ったね。AC/DCのショーは最高だった。最後に「ザ・ジャック」を10分ぐらいプレイしたのを覚えている。次の日、彼らのアルバムを買いに行ったよ。『ハイ・ヴォルテージ』だったかな。それから間もなく、僕はキッド・カレッジからクビになったんだ。キーボード奏者の妹と付き合っていて、それから人間関係がおかしくなったからね!

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<ロニー・モントローズは長電話だった>

●ところでロニー・モントローズの未発表アルバムに参加しているそうですが、ロニーとの思い出を教えて下さい。

初期モントローズのライヴはサンフランシスコの『ウィンターランド』とかで何度も見たことがある。彼らは“アメリカ版レッド・ツェッペリン”と呼ばれることがあったけど、どちらかといえば“アメリカ版フリー”だと思ったね。ロニーのギターはもちろん、サミー・ヘイガーのヴォーカルも最高だった。その後、僕がプロのシンガーになってから何度か顔を会わせて、電話番号も交換していた。それでもう10年ぐらい前かな、彼から突然電話があったんだ。『10 of 10』というプロジェクトを始めて、10人の異なったシンガーと全10曲をレコーディングするという話だった。サミー・ヘイガーやデイヴ・パティスン、マーク・ファーナー、エドガー・ウィンター...僕は最初「誰の電話番号を知りたいの?」って言ったんだ。まさか自分を誘ってくれるとは思わなかったからね。彼は「いや、君に歌って欲しいんだよ!」と笑っていた。

●ロニーとのレコーディングはどのような作業でしたか?

ロニーはサクラメントに住んでいたから彼の自宅に行って、ホーム・スタジオでヴォーカル録りをした。彼がベーシストのリッキー・フィリップスと共作した曲で僕が歌詞を加えて、「ヘヴィ・トラフィック」というタイトルにしたんだ。レコーディング前に僕のことをハグして、「大丈夫だから!」って言っていたのを覚えている。まるで僕が緊張しているかのようにね。いや、もちろん敬愛するロニーとやるんだから、そりゃ緊張してたけどね!スタジオの窓を開けて「ほら、空を見なよ。庭にはキジもいる」とか言い出して、とにかくテンションの高い人だったよ。一緒にレコーディングしてから打ち解けて、一時期は毎週電話してきて、3時間ぐらい話していたよ。ロニーはシャベリ屋だった。すごい長電話なんだ。まるで歳を取ったママが電話してきたみたいに、いつになっても電話を切ろうとしない。僕はロニーのファンだったし、それを光栄にも思っているけどね。パット・トーピーもロニーと1990年代、2回ぐらいツアーをやったことがあって、何度も電話がかかってきたそうだ(笑)。

●『10 of 10』はロニーが2012年に亡くなったことで、お蔵入りになってしまったのですか?

いや、奥さんのリサが彼の遺産を管理していて、リッキー・フィリップスと『10 of 10』を出すプロジェクトは続いている。僕も2ヶ月ぐらい前、自分が歌ったトラック用のハーモニー・ヴォーカルを新たに録ったばかりだよ。1970年代スタイルのロック・アルバムで、他のシンガーが歌ったトラックもすごくクールなんだ。実はロニーとは映画用に1曲レコーディングしている。『ギター・マン』というドキュメンタリー映画で、ロニーと僕、リッキー・フィリップスとデニー・カーマッシでカヴァー曲をレコーディングしたんだ。マイケル・インデリカートという人物を題材にしている。彼はギターのコレクターだけど、盗まれたりしたギターを見つけ出して取り戻したりするプロフェッショナルでもあるんだ。誰のどの曲をカヴァーしたかは、まだ言えない。映画が公開されていないからね。早く公開して欲しいよ。そうしたら、そのカヴァー曲をライヴでもプレイ出来るからね!

ERIC MARTIN USA Pop Brigade

Featuring Steve Brown and PJ Farley of Trixter

【 東 京 公 演 】

4月24日(月)渋谷クラブクアトロ

4月25日(火)渋谷クラブクアトロ

開場18:00/開演19:00

【 大 阪 公 演 】

4月26日(水)梅田クラブクアトロ

開場18:00/開演19:00

【 北 海 道 公 演 】

4月28日(金)ZEPP SAPPORO

開場18:00/開演19:00

問い合わせ:M &Iカンパニーhttp://www.mandicompany.co.jp

公演特設サイト:http://www.mandicompany.co.jp/EricMartin.html

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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