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本当に医者が死なせたのか?「人工透析中止」問題で続く“偽善報道”への大いなる疑問

山田順作家、ジャーナリスト
人工透析は延命治療であり最終的な治療法ではない(ペイレスイメージズ/アフロ)

「人工透析中止」により患者が死亡した問題が、大きな波紋を呼んでいる。この報道を始めた毎日新聞は、3月20日付の記事で「『再開要請』聞き入れず、都が認定 病院を指導へ」としている。 

 私は、3年前に腎臓を悪くして大きな手術をした経験があるので、この問題を注視してきたが、当初から報道がおかしいと感じてきた。

 それは、ほとんどのメディアが、ともかく命はなによりも大切、医者は患者の命をどうしても助けるべきだという思いにとらわれすぎているからだ。もっと、「死」という現実を直視し、医療とはなにかと真剣に考えなければならない。

 ところが、これまでの報道を見ていると、ほぼどのメディアも医療側に問題があったという視点でしか報道していない。舞台は、東京都・公立福生病院。ここで、昨年、人工透析治療の中止を希望した女性患者(44)が死亡したことが問題の発端だが、その患者さんは死の前日、透析再開を希望したという。しかし、透析中止(見合わせる)に際しては、すでに意思確認書を書いていて、夫もその意思に同意していたという。

 となると、再開を希望した死の直前の状態がどうだったかは別として、中止の意思は明確だったと考えざるをえない。透析の中止は、即「死」を意味する。それをわからずにサインする人間はいない。

 したがって、この患者さんは「死にたい」と願ったと思うほかない。その願いを、医療側は透析の中止で叶えたのだから、このどこに問題があるのだろうか?

 日本では、「安楽死」は認められていない。ただ、終末期医療の停止による「尊厳死」は認められている。したがって、今回、医師は患者の意思を尊重して、尊厳死を受け入れたことになる。

 ところが、毎日新聞が告発報道したため、その後の報道はすべてそれに引っ張られてしまった。以下、ざっと挙げると、ほぼどのメディアも医療側を非難している。

「人工透析中止、死への誘導ではないのか」(神戸新聞)、「自殺幇助に近い」(テレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』コメンテーター玉川徹)、「医師の判断で透析患者を殺してもいいのか」(プレジデントオンライン、沙鴎一歩)、「茂木健一郎氏『看過できない』透析中止問題で持論述べる」(日刊スポーツ)、「透析患者の僕だから言える『透析中止事件』の罪」(ダイヤモンドオンライン、竹井善昭)、「人工透析中止 徹底検証が求められる」(北海道新聞)----etc.

 これらの報道は、私に言わせると、いずれも“偽善報道”だ。“エセヒューマニズム”である。なぜなら、患者の意思が「死にたい」にあるとすれば、医者はそれを無視して、最期まで生かさなければいけないと言っているのと同じだからだ。

 もちろん、いまとなれば患者の意思を確かめる方法はない。しかし、死の前日、痛みと苦しみのなかで再開を訴えたと想像すると、それ以前の意思のほうを尊重すべきだろう。それとも、意思確認書はただの紙きれに過ぎないのか?

 意思確認書は、いまではどこの病院でも用意されていて、終末期医療に関してどこまで延命治療をするか、患者の意思を尊重するようにつくられている。患者は、悩み抜いた末に最終的な結論として、これにサインする。したがって、医者がそれを逸脱した医療をすることはありえない。

 もちろん、医者の使命は最善を尽くして患者を救うことである。しかし、「救うこと=生かすこと」ではない。どんなに治療しても救うことができない病気がある。それが、腎機能の慢性的な低下で、最終的な救命方法は腎移植である。

 これまでの報道を見ると、病院側に説明不足があったり、担当外科医の透析技術に問題があったりしたことも指摘されている。また、日本透析医学会が示したガイドライン(これは高齢の終末期患者に対してのもの)に沿っていなかったこともあるかもしれない。

 しかし、これらはいずれも、この問題の本質ではない。この問題の本質は、患者の意思が明確かどうかの一点にある。前記したように、透析中止は、死を意味する。患者も夫も、透析を中止することが死を意味することを知らなかったはずがない。それでも、それを望んだのは、苦しみに耐えてどうしても助からない命を生きるより、死を選んだほうがいいと考えたからだろう。その意思は尊重しなければならない。

 欧州諸国が、尊厳死ばかりか安楽死まで認めるようになったのには紆余曲折がある。安楽死先進国とされるオランダの場合、安楽死を拒否された寝たきり患者が、それなら絶食をして餓死すると宣言、苦しみぬいて死んだことが、全面解禁の引き金になった。人には自分の人生を自分で決める権利がある。死を選ぶのもその権利の一つというのが、安楽死合法化の背景にあった考え方だ。

 つまり、オランダでは死にたいという意思を持った患者を無理に生かし続けたことが問題視されたのである。

 ところが、日本ではメディアが尊厳死すら認めようとしない。人間が人間らしく死ぬことを許さず、心も体もボロボロになるまで、医療側に治療を続けろと強制する。メディアは、本当に人間を尊重しているのだろうか?

 日本の人工透析には、大きな問題点がある。それは、これが腎移植の「つなぎ治療」であるにもかかわらず、最終的な延命治療になっていることだ。言い方は悪いが、日本は「透析天国」(透析患者数が諸外国に比べて圧倒的に多い国)である。しかも、透析患者数は年々増加していて、2016年には全国で32万9609人にも上っている。

 その原因は、腎移植がほとんど行われていないこと、また透析に保険が効くこと、透析が病院と製薬メーカーの利権になっていることにある。

 それを考えると、透析でしか生きるための選択肢が与えられていない日本の腎臓病治療のあり方を問題にするほうが、メディアの本来の役割ではないかと思う。

「透析天国」が解消され、腎移植が普及すれば、今回の患者さんも助かった可能性がある。

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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