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白鵬、稀勢の里休場。このままガチンコが続けば休場者続出で国技も伝統も崩壊。それでいいのか?

山田順作家、ジャーナリスト
ガチンコ横綱をまた悲劇が。再起は可能なのか?(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 日馬富士暴行事件の影響は絶大だ。今場所は、注射、談合が消えてしまい、土俵は毎日がほぼガチンコだ。モンゴル互助会も、幕内談合連合もなくなった。全力士が激しくぶつかりあっている。

 これは、見ていては面白いが、やっているほうはたまらない。

 その結果、2連敗した照ノ富士が早々と弱音をはいて、“もういやだ休場”し、白鵬が2連敗後に“ふてくされ休場”してしまった。そして、稀勢の里が4敗を喫して、とうとう毎度おなじみの“仕方ない休場”してしまった。さらに、最年長の安美錦も右膝故障で“無念休場”となった。

 このまま、ガチンコによる壮絶な星の潰し合いが続けば、もっと、ケガ人、休場者が出るのは間違いないだろう。誰もが、豪風のように、力を抜くのが上手いわけではない。

 それなのに、メディアは根本問題にふれない。テレビに出ているコメンテーターの方々も、核心を突くことは言わない。ここまでの流れで形成された「横暴横綱・白鵬VS正義を貫く改革者・貴乃花親方」の図式にのって、やれ「やはりかち上げ、張り手を封じられた白鵬は弱いですね」「稀勢の里はケガを直して万全の状態に戻して戻ってきてほしいですね」などと言っている。要するに「ざまあみろ白鵬、かわいそう稀勢の里」という感情論を正当化して、ただ、頭を抱えているだけだ。

 いまの白鵬はかち上げ、張り手なしのガチンコでやれば、10番がせいいっぱい。稀勢の里にいたっては、休場中に体がぶよぶよになってしまったので、10番ももたいないだろう。

 注射と談合が行われていたときの相撲は、それなりに秩序があった。この秩序形成が、長年にわたって、「国技」を表向き持続させ、相撲を「伝統文化」にしてきた。大鵬、千代の富士、北の湖、モンゴル互助会などは、それなりに“努力”してきたのだ。

 しかし、それが崩れてしまったらどうなるのだろうか? 2011年の八百長事件のときは、なんとか取り繕って持ち直したが、今回は先が見えない。

 

 ところがいまだに、相撲をスポーツとし、社会的公正を基に報道するという“間違い”をメディアは犯している。コメンテーターも同じで、偽物の正義だと気づきながら、それでコメントしなければいけないという縛りから逃れられない。

 しかし、こんなことを続けていると、相撲自体が成立しなくなってしまいかねない。ガチンコを1年間続けたら、全力士が潰れる。横綱、大関がいなくなってしまう事態も考えられる。そうなったら、国技、伝統文化のへったくれもない。いったい、どうするのだろうか?

「いやあ、琴錦は本当にうまいな」と、注射を楽しんでいた時代が、いまはなつかしい。

 全取組がガチンコになって、誰が優勝するのかわからない。完全なサバイバルゲームになれば、そのほうが面白いという見方もある。そうなれば、従来の相撲ではなくなるので、それではつまらないと思ってきたが、最近は、それでもいいのではと思い出した。貴乃花親方のメールを読んで、とことんあきれてしまったからだ。

 貴乃花親方が、 “偉大なる阿闍梨”池口恵観氏に送ったというメールが、『週刊朝日』の記事で公表されている。ウエブでも全文が読める。読むと、もはや終わっていると、頭がクラクラしてくる。

 https://dot.asahi.com/wa/2017121100028.html

 貴乃花親方は日本語を知らないのではないか?もっともらしいことが書かれているが、日本語としては通じていない。また、言っていることが大仰しく、しかも誤解がある。

 これは、『週刊文春』のコラムなどで、能町みね子さんが鋭く指摘している。また、能町さんは相撲愛好家として、貴乃花親方の「思想」について、繰り返し危惧している。

 以下は、能町さんも指摘していることだが、あえて、ここに記しておきたい。

 貴乃花親方は、自分を「大相撲の起源を取り戻すべくの現世への生まれ変わり」(原文ママ、以下同じ)とし、それが「私の天命」と言っている。相撲道を「角道の精華」と言い、相撲協会は「陛下のお言葉をこの胸に国体を担う団体」としている。そして、相撲教習所に掲げられている「角道の精華」の訓話を、「陛下からの賜りしの訓」とし、「陛下の御守護をいたすこと力士そこに天命あり」などと言っている。

 

 いったい、貴乃花親方はなにを勘違いしているのだろうか?

 これでは、相撲協会は極右団体にならねばならず、力士はその構成員にならなければならない。これは、保守の伝統文化ではないから、陛下もご迷惑だろう。

 だいたい、「角道の精華」の訓話は陛下が力士に下賜したものではない。相撲教習所に掲げられている「角道の精華」は、陛下の言葉ではない。「大井光陽 作」とちゃんと書かれている。

 貴乃花親方の頭の中がこれでは、負傷休場中の愛弟子のモンゴル力士・貴ノ岩が、相撲道など理解できるわけがない。モンゴル力士だけではない。いまの相撲取り全員が理解不能だろう。

 相撲道が、なぜ一つの思想で染らなければならいのか? 日本文化とはそんなものではないだろう。

 最後に記しておきたいのが、国技、伝統文化というのは、スポーツではなく、その国独特の秩序形成力学が働くからそう言うのだということだ。そうでないなら、相撲を全世界共通のスポーツにする以外、道はない。そうすると、パーフェクトな格闘技として、力士に身体が壊れるまで本気で闘わせる、じつに残酷極まりない競技になるが、それでいいのだろうか?

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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