都議会ヤジでいくら“お祭り”騒ぎをしても「女性が輝く日本」はやって来ない

■いまや日本中が「正義」を振りかざしている

都議会での女性差別ヤジで、マスコミもネットも“お祭り騒ぎ”になっている。W杯で日本代表が惨敗したので、その憂さを晴らしているようだ。まさに。左村河内問題、小保方晴子問題に続く、今年3番目の超A級ネタだ。いまや、日本中が「正義」を振りかざし、「女性差別はいけない」と叫んでいる。

しかし、これで、本当に女性差別がなくなるだろうか?なくなるわけがないと、私は思う。なぜなら、今回のお祭りの標的はじつは「女性差別」ではなく、ヤジの犯人、旧世代オヤジたちだからだ。さらに範囲を広げても、“こんなもんでなんとかなる幕引き”を計った都議会ぐらいだろう。 

つまり、この問題の本質、「日本は先進国では考えられない女性差別国家」そのものは、またもウヤムヤに成るに決まっている。

なんでそう思うか?って、それは、過去にも同じようなことがあり、それをキッカケにして、女性の地位が向上したことはなかったからだ。

■思い出される過去の政治家の女性侮蔑発言

たとえば、2009年5月、衆院予算委員会で、日本で少子化が進んでいることについて民主党の西村智奈美議員が「社会全体が子育てに優しくないからでは」と質問した。これを受けて、当時の麻生太郎首相は、“素直”にこう答えた。

「私は43歳で結婚し、子どもは2人いる。最低限の義務は果たしたことになるのかもしれない」

まさに、「麻生失言語録」のトップ10に入る名失言だが、このときはさすがの麻生氏も、「子供を生むことが(日本国民の)義務」であるかような言い方はまずいと思ったのだろう。失言はすぐに撤回された。そして、そのまま幕引きとなった。

さらにもう一つ例がある。それは、2007年の柳沢伯夫厚生労働相(当時)の「女性は子どもを産む機械」発言だ。柳沢氏といえば金融・経済の専門家。だから、数字で考える傾向がある。それで、少子化問題に関して「15-50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」と言ってしまったのである。

■若い小生意気な女はちゃかせばいい

これは、やはりたとえがまずかった。外国メディアにも批判され、当時は第一次安倍内閣だったから、安倍首相自らが陳謝して、なんとか幕引きとなった。

しかし、この2回とも、その後なにも変らなかった。日本では、だいたいのことは謝ればすむのだ。だから、今回も、ウソをついたにもかかわらず、そのことを棚に上げ、鈴木議員はヤジのみを謝った。以前の事例をよく学び、その通り行動している。

つまり、「ヤバくなったら、ともかく謝れ。そのうち、騒ぎは収まる」というパターン認識通りだ。

しかし、いくら謝罪・陳謝しようと、こうしたヤジや失言が出るのは、やはり、ご本人がじつは本気でそう思っているからだろう。つまり、女性を見下しているのだ。今回のヤジ批判に「議会は飲み屋ではない」というのがあったが、飲み屋では本音が露骨に出る。とすれば、あのヤジはオヤジたちの本音ではないか。

若い小生意気な女はちゃかす。そうするのが、彼らの憂さ晴らしなのだ。

■政府の「女性が輝く日本」は本気なのか?

ところで、こんな女性差別ヤジが飛び出したとき、政府はなにをしていただろうか?

安倍内閣は、6月24日、成長戦略(骨太の方針)を発表し、その目玉の一つとして「女性が輝く日本の実現」政策を掲げたのである。具体的には、保育所を増設して小学生の子どもを受け入れる「放課後児童クラブ」などをつくり、育児と仕事の両立を支援する。また、「2020年に指導的地位に占める女性の割合を30%」に引き上げる、なんていう内容だった。

しかし、私には、この政策が女性差別を助長しているようにしか思えない。女性に向かって、「さっさと結婚して、子どもをもっと産め、そしてもっと働け」と言っているように聞こえるからだ。

というのは、女性活用の目的が、2048年ごろには人口が1億人を切るという「人口減」を防ぐためだからだ。人口が減れば経済が衰退する。それでは困るから、子どもを産み、さらに足りない労働力を女性が補う。

つまり、女性差別撤廃や女性の地位向上が目的ではなく、経済成長のコマとして女性を捉えているだけなのだ。だから、扶養控除の撤廃も打ち出されている。

■女性を実力通りに評価すればいいだけの話

政府は本当に、女性にもっと社会で活躍してほしいと思っているのだろうか? それなら、別に「女性が輝く日本の実現」政策など掲げなくとも、そんなことは可能だ。女性を労働基準法に基づき、また男女雇用均等法の主旨通り、ちゃんと企業に女性を雇わせればすむからだ。

現在、日本の女性労働者の賃金は男性の6割程度という「とんでもない差別」がまかり通っている。しかも、いくら能力があっても、多くの女性には派遣かパートぐらいしか働き口がない。それで、OECDから国連まで、「日本は女性差別がひどい」と批判している。

で、これを是正するのは、法案ではなく、単に女性の実力を実力通り評価すればいいだけの話だ。それだけで、日本の女性はもっと輝く。どういうことか?

■実力採用すれば会社は女性だらけになる

いまや大学進学率は、女性のほうが高い。試験をやれば、女性のほうが男性より圧倒的に上にくる。ところが、就職試験となると、なぜか男性ばかりが採用される。これは、じつは、男性にゲタを履かせているからだ。もし試験の成績通りに採用すれば、その会社はほぼ女性新入社員だけになってしまうだろう。

私もかつて、採用試験官と面接官をやったことがあるが、情けないほど男子学生の実力は劣っていた。つまり、実力採用をすれば、採用者は女子学生ばかりになる。

このことは、政界、官界にだって言える。本当に実力勝負になれば、いまなら日本の男性はことごとく女性に負けるだろう。

■次回は女性が男性に向かってヤジを飛ばせ

クオータ制といって、一定数を女性に割当て、社会進出を促進するという考え方がある。政府の「2020年に指導的地位に占める女性の割合を30%」という案も、この考え方に基づいている。

しかし、そんなことをする必要はない。すでに負け組になっている男を採用しない、あるいは降格、リストラすればいいだけだ。社会の発展には、公正さが不可欠だ。日本が女性差別社会になっているのは、この公正さを著しく欠いているからとしか私には思えない。

というわけで、結論を書こうと思うが、結局、この先も女性差別が続くとしか言いようがない。ちょっとしたことでは、化石オヤジはこの世からいなくならない。彼らは居酒屋やキャバクラなどで増殖を続けるだろう。

そこで、今度ヤジるなら、女性議員から男性議員にやってほしい。今回のことで「ヤジをなくせ」という意見があるが、とんでもない。今後は、男性議員が少子化や人口減を問題にしたら、「そんなに少子化が悔しいなら、オヤジ、お前が自分で産んでみろよ」ぐらいのヤジを飛ばしてほしいものだ。そうしないと、毎回、お決まりの“幕引き”が待っているだけだろう。