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英語を話すグローバルエリートより、英語を話すグローバルヤンキーを養成せよ!

山田順作家、ジャーナリスト

■どこに言ってもマイルドヤンキーの話で持ち切り

最近、マスコミ業界や広告業界、マーケティング業界では、「マイルドヤンキー」の話題で持ち切りだ。マスコミ関係者と広告業界関係者が酒場に集まると、決まってこの話になる。そうして、マイルドヤンキーがどんな若者たちなのか? ひとつひとつその例を挙げて、「まさか」「へえー」といった言葉が飛び交う。

マスコミ関係者は、こうした例を「面白いネタ」と考え、広告関係者は新しい消費世代の鉱脈発見と捉えている。つまり、この問題が、じつは日本の貧困化、経済衰退を大きく反映していることまで深堀りはしない。

“ヤンキー経済”が広がっているので、それにどう乗っていくかというような話ばかりになる。それは、マイルドヤンキー論の震源地となったネタ本、博報堂の原田曜平氏の『ヤンキー経済消費の主役・新保守層の正体』という本のタイトルに象徴されている。つまり、マイルドヤンキーは、これからの「消費の主役」であり「新保守層」というのだ。

しかし、本当にそうなのだろうか?

■マイルドヤンキーは「新貧困層」ではないのか?

例えば、マイルドヤンキーの特徴として、次のような点が挙げられている。

・地元志向(遠出を嫌い、生活も遊びも地元で済ませたい)

・付き合いは地元の中学校仲間が中心

・できちゃった婚比率が高い

・子供にキラキラネームをつける

・近所のイオンモールは彼らの天国(半径5キロが生活圏)

・内向的で、上昇指向が低い(新保守層)

などなどだ。彼らが昔のヤンキーと違うのは、暴走族や不良などではないこと。昔のヤンキーならあった「アメリカ志向」すらない。つまり、マイルドヤンキーとはネーミングの妙で、昔のヤンキーとは全然違う若者たちだ。

ただ、共通項はある。それは、「低学歴で低収入」ということ。

こうなると、彼らは「ワーキングプア」「新下流層」ではないだろうか? ちょっと前は、たしか「ジモティ」とも呼んでいた。マイルドヤンキーと言えば聞こえはいいが、その実態からは、深刻な社会問題が垣間見える。

しかし、ワーキングプアは社会問題になったが、マイルドヤンキーはそうなっていない。前記したように、いま、マスコミや広告業界は面白がっているだけだからだ。その原因は、この層がいつの間にかあまりに多くなり、いまや若者の主流になったからかもしれない。原田氏も「いまの若者の3分の1ぐらいはマイルドヤンキーでは」と言っている。

■アメリカはマイルドヤンキー先進国

そこで、私が思い出すのは、ヤンキー先進国(もちろんアメリカ)の新下流層のことだ。バーバラ・エーレンライクの『ニッケル・アンド・ダイムド』が出版されたのは、2005年のこと。これは、時給7~8ドルで生活する人々の実態を描いて、アメリカ社会に大きな衝撃をもたらした。

当時、アメリカに行くと、地方都市の、例えばウォルマートなどがあるモールの近辺では、昼間からぶらぶらしている若者たちがいっぱいいた。これは、地方都市が日本と同じようにシャッター通りばかりになり、オフショアリングや産業のIT化で職がなくなってしまったからだ。

いま、イオンモールでぶらぶらしている日本の若者たちと同じ光景が、そこにはあった。ただ、アメリカと日本が違うのは、そういう若者たちを、軍がやってきてリクルートしていったことだ。

■「バカしかいない国」になるというB級映画

もう一つ、私が思い出すのが、『ニッケル・アンド・ダイムド』が出た翌年、2006年に公開され、わずか数週間で上映が打ち切られたB級映画『イディオクラシー』だ。これは日本では公開されず、いまDVDで『26世紀青年 ばかたち』というタイトルで売られている。

なぜ、私がこの映画を思い出すかというと、ここにマイルドヤンキー社会が行き着く未来が描かれていると思うからだ。

この映画はB級と言うぐらいだから、単なる未来のホラ話に過ぎない。だから、見ると笑える。しかし、よくよく考えると、まったく笑えない。ストーリーは奇想天外だが、それが単なるホラ話になっていないからだ。

簡単に紹介すると、“人工冬眠の実験台にされた平凡な男が500年後に目覚めると、アメリカは知能指数50以下のバカしかい国になっていた”――というお話。

■500年間冬眠して目覚めてみると

主人公のジョー・バウアーズは、軍に勤務する平凡な兵士。アメリカ人の典型で、本など読まず、ジャンクフードばかり食べ、スポーツ好きで女好き。つまり、あまりにも平凡だったので、そこに目をつけられて軍の秘密プロジェクトの実験台にさせられてしまう。

このプロジェクトというのは、冷凍カプセルで1年間の冬眠をし、その後の変化を見ようというものだった。しかし、責任者が売春容疑で逮捕されたことからプロジェクトは忘れられ、なんと彼は、500年間も冬眠してしまう。

彼と一緒に一般人のリタという女性(じつは売春婦)も冷凍カプセルに入れられたが、2人は目覚めてびっくり仰天する。なんと、彼らが目覚めた500年後の社会は、あらゆる人々の知的水準が著しく低下した世界だったからだ。

■「バカによるバカのためのアメリカ」が完成

人々は、誰ひとり本を読まず、朝から晩までトイレ付きの椅子に座ってジャンクフードを食べながらすごしている。男はスポーツ、女はファッションにしか興味がなく、テレビではお笑いバラエティ番組とスポーツ番組しかやっていない。しかも、ニュースといえば、FOXニュースしか放送してない。

さらに、医者や弁護士もとんでもないバカばかりで、裁判は完全な見世物ショーになっていた。死刑になると、スタジアムでモンスター・トラックと戦わされるという有様だった。

つまり、「バカによるバカのためのアメリカ」が完全にできあがった「超おバカ社会」だったのである。

ここでジョーは、社会の異常さに目覚めて病院に行く。すると、自己証明用の刺青がなかったことで、警察に逮捕され、刑務所に送られる。しかし、刑務所で知能テストを受けると、なんと彼がこの世界では最高の知性を持っていることが判明する。

これを知った元プロレスラーでポルノ男優上がりのカマーチョ大統領は、彼に世界の問題(食料危機、経済停滞、ゴミ問題)を解決するように頼んでくる。

■衆愚政治が行き着く果ての「イディオクラシー」

ざっとこんなストーリーだが、ここから、あなたはなにを読み取るだろうか? 

おバカが増えたのは、エリートが子供をつくらなくなったからだ。低学歴、低収入のおバカほど、将来を考えずに子供をつくったため、最終的にアメリカ社会はおバカに占領されてしまったのである。

映画のタイトル「イディオクラシー」は、「イディオ」(idiot:おバカ)と「クラシー」(cracy)の造語だ。

クラシーというのは、デモクラシー(民主主義)でわかるように、政治形態のこと。「デモ」(demo)は大衆だから、合わせると「民主主義」となる。

だから、「イディオ」+「クラシー」というのは、「おバカによる政治形態」(衆愚政治)となるわけで、この映画はじつは民主主義の行き着く果てを暗示しているとも言えるのだ。

これは、若者がマイルドヤンキー化する日本社会の未来とも重なるのではないだろうか?

■男は肉体労働、女はフーゾクという実態

マイルドヤンキーがこのまま増えていくと、日本の大問題、少子高齢化は解消される。そして、地方はキラキラネームの人間ばかりになる。

最近はマイルドヤンキー社会に対する懸念も、表明されている。例えば、マイルドヤンキーの人生のその後だ。彼らは、ジモティ同士でできちゃった婚をするが、夫婦とも定職はない。だから、2人目、3人目の子が生まれると家計を支えきれなくなってしまう。そうして年を取ると、夫はヤケになってギャンブルに溺れ、困った妻子は家を出て生活保護を頼る。

また、こんな話もおおっぴらに語られている。

「地元で成績の悪かった奴は、たいていバイトか派遣、肉体労働をやっている。女の子は? そうですね、かわいい子から順にフーゾク嬢か家事手伝いをやっていますね」

アメリカでも、低学歴低収入のポヴァティライン(貧困ライン)以下の層が増加しており、政府財政を圧迫している。日本はまだ親世代が彼らを支えているが、この先、親世代が次々とこの世を去れば、マイルドヤンキーはさらに困窮するだろう。

■安倍政権のグローバルエリート教育は間違い

では、どうしたらいいのか?

安倍政権は、第三の矢、成長戦略で教育改革を実行していくという。グロ−バル人材を養成し、そのため、大学入試にTOEFLを導入したり、英語教育の低学年化を実施したりする。しかし、それはもともとできる子に英語を話させ、グローバルエリートにするだけだ。

私は、英語教育に関してこれまでけっこうメディアや自著に書いてきたが、いまの日本で英語を必要としているのはエリート層ではない。じつは、マイルドヤンキー層だ。

頭のいい子は黙っていたって、自分で英語を話す努力はする。いまの政府の政策では、そういう子をグローバルエリートにするだけで、マイルドヤンキーはますます落ちこぼれる。これでは、英語教育、グローバル教育の意味がない。そもそも、英語が学校の教科という考えが間違いだ。

なぜなら、アメリカでもどこでも英語国民は、学校に行かなくても英語を話す。

■英語を話すグローバルヤンキーを早急に養成せよ!

つまり、英語教育を強化し、グローバル人材をつくりたいなら、マイルドヤンキーこそがそのメインターゲットだ。彼らがバイリンガルになれば、アメリカの貧乏ヤンキーよりはるかにグローバル化し、生活力を持つだろう。なぜなら、本物のヤンキーは英語のモノリンガルだからだ。

いまやネットによる教育革命「MOOC」もどんどん普及している。これらを駆使して、マイルドヤンキーの子供たちを、英語を話すようにさせるべきだ。日本人のポテンシャルからいって、英語を話すなんて簡単にできるだろう。

そうすれば、たとえばネットで世界とつながり、半径5キロ圏を脱出できる。英語圏のワーホリにだってどんどん出かけていける。世界中で仕事を探せる。頑張れば、グローバルエリートにだってなれる。

日本は、いまさら英語を話すグローバルエリートを養成する必要はない。それより、英語を話すグローバルヤンキーを早急に養成すべきだ。(最後にひと言:これは冗談で言っているわけではありません)

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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