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徳川家康は、なぜ諌言する家臣を重用したのだろうか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
徳川家康(提供:アフロ)

 昨年の大河ドラマ「どうする家康」は不評だったとのこと。こちら。そのことはさておき、徳川家康は諌言する家臣を重用したといわれている。なぜ、家康はそうした家臣を重んじたのか、考えることにしよう。

 徳川家康と言えば、有能な家臣団が有名である。中でも配下の三河武士は、幼少時の家康が今川氏のもとで人質生活を送っていた際も支え続けた。

 彼らはたび重なる今川氏の出陣命令にも従い、貧しい生活を送りつつも蓄財に励み、来るべき日に備えたという。ゆえに、家康は家臣を大事にした。

 戦国時代の家臣は、現代でいえば会社の社員である。社員なくして、会社は成り立たない。家康はどんな家臣を厚遇したのか、考えることにしよう。

 あるとき家康は、どんな家臣を評価するのか尋ねられ、「主人の悪事を見て諌言する家臣は、戦場で一番槍を突いた者よりも、はるかに立派なことである」と答えた。むろん、それには理由があった。

 続けて家康は、「敵と戦うことは、命を惜しんではできないことだ。しかし、勝負は時の運次第であるから、人を討つこともあれば、討たれることもある。たとえ討ち死にしても、名誉は子孫に残り、主人にも惜しまれる。もし、幸運にも敵を討ち取ったら、孫まで繁盛するに違いない。それゆえ戦場での働きは、生き残っても死んでも損をすることはないのだ」と述べた。

 では、なぜ家康は、主人に諫言した者を評価したのだろうか。以下、家康の言葉を取り上げよう。

 主人の悪事を諌言することは、かなり危ない勝負である。その理由は、主人に分別がなく、悪事を好んでいれば、「金言耳に逆らう」の言葉通り、その家臣を遠ざけてしまうからだ。

 そのとき主人に媚びへつらう者があらわれ、その者に追従する者が出てきた場合、諌言した家臣を主人に讒言することもあるだろう。主人が讒言を信じた場合、諌言した家臣をさらに遠ざけてしまう。

 そうなってしまうと、ほかの家臣が主人を恐れるようになり、意見することを止めてしまう。それどころか、やがて家臣は不満を持つようになり、仮病を使って隠居を申し出ることだろう。その結果、主人に取って都合の良い(甘いことだけしか言わない)、ダメな家臣しか残らなくなるのだ。

 仮に、主人のためを思い、機嫌が悪くなるのを承知の上で諌言する家臣がいた場合、結局は手打ちにされるか、出仕を止められることになろう。

 そうなると、諌言した家臣だけでなく、その妻子にまで悪影響を及ぼす。戦場での戦いは敵を討っても、討ち死にしても名誉になるが、主人に諌言することはリスクが大きく、ときに悲惨な運命が待ち構えていたのである。

 現代においてもコンプライアンスが重視され、たとえそれが会社のトップであっても、不正を追及されることがある。長期的に見れば、トップの不正を正すことが大きなメリットになる。しかし、トップから睨まれることを恐れ、不正に目をつぶった場合は、将来的に最悪な事態を招きかねない。

 すでに戦国時代において、家康は諌言する家臣を評価し、それが組織を守ることを知っていたのである。むろん、一連の話は後世の編纂物に書かれたものであるが、非常に参考になる話である。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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