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【光る君へ】藤原道長のライバルの秋山竜次さんが演じる藤原実資とは、良識人だった

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
藤原実資を演じる秋山竜次さん。(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 大河ドラマ「光る君へ」では、藤原道長のライバルとして、秋山竜次さんが演じる藤原実資が登場した。実資は摂政や関白にはならなかったが、右大臣になった良識ある人物として知られている。実資とはいかなる人物なのか、その経歴を追うことにしよう。

 天徳元年(957)、実資は斉敏(実頼の三男)の子として誕生した。その後、祖父である実頼の養子に迎えられた。実頼は藤原北家嫡流の小野宮流の祖であり、有職故実に精通していた。摂政や関白を歴任したものの、ついに天皇の外戚になることができず、その子孫は藤原師輔の九条流の後塵を拝することになった。

 しかし、養子となった実資は小野宮流の莫大な家領を継承し、また有職故実の家説を継承した。実資は最終的に従一位・右大臣まで昇進したが、よく言えば良識人、悪く言えば融通が利かない面があった。

 長保元年(999)に道長の娘の彰子が入内する際、調度品として屏風を作らせた。その屏風には公卿からの和歌を募り、書くことになった。選者は歌人として知られる藤原公任が務め、能書家の藤原行成が屏風に和歌を認めた。

 ところが、実資は「大臣(道長は左大臣)の命により、屏風のために歌を作るなど前例がない」と言って歌を献じることを拒否したという。道長は何度も和歌を作るよう懇請したが、いっさい応じることがなかったと伝わっている。

 寛仁3年(1019)、藤原隆家は刀伊の入寇を撃退したので、配下の者に対する恩賞を朝廷に願い出た。藤原公任や藤原行成は、「隆家らの軍勢は命令の前に刀伊と戦ったのだから、それは私闘である。だから、恩賞を与える必要はない」と突っぱねた。

 隆家は、道長が敵対する藤原伊周の弟だった事情もあったに違いない。その事情を知っていた公任と行成は、忖度して発言したと考えられる。

 しかし、実資は命令を下す前に戦ったことは問題であるとしながらも、刀伊は多くの人々を殺したのだから、隆家の行動は賞賛に値するとし、恩賞を与えるべきだと主張した。正論である。

 実資の発言を受けて、列席した公卿は全員が隆家に恩賞を与えることに賛意を示したという。実資は道長を恐れることなく、堂々と自らの信念を貫いたのである。

 実資の大きな功績としては、日記『小右記』を残したことにある。『小右記』は当時の政治情勢を知るうえで、非常に貴重な史料である。

 藤原道長の「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」という和歌は、『小右記』に記録されたので、現代まで伝わった。今の人が『小右記』を漢文で読むのは大変だが、現代語訳も刊行されている。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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