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止めておけばよかったのに、豊臣秀吉に逆らって消えた3人の戦国大名

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
豊臣秀吉。(提供:アフロ)

 今年の大河ドラマ「どうする家康」では、ムロツヨシさんが演じる豊臣秀吉が、少しばかり奇矯な演技で話題になった。実際の秀吉は意外にコミカルな性格ではなく、天下人に上り詰める過程で、多くの戦国大名を葬り去った。そのうち、代表的な3人の戦国大名を取り上げることにしよう。

◎柴田勝家(1522?~1583)

 勝家は織田信長の重臣だったが、信長の死後は秀吉と対立し、ついに対決姿勢が鮮明になった。天正11年(1583)4月20日から翌21日にかけて、柴田勝家と羽柴秀吉は賤ヶ岳(滋賀県長浜市)で雌雄を決した。

 結局、勝家は秀吉の巧みな戦略、盟友だった前田利家の裏切りもあって敗北した。戦後、勝家は北庄城(福井市)に逃亡したが、秀吉は決して追撃の手を緩めなかった。同年4月23日、秀吉は数万の軍勢を率いて北庄城に押し寄せた。籠城側は3千余の兵が入っていたが、すでに勝家の敗勢は濃かった。

 勝家は天守に入ると、股肱の臣など上下を問わず、酒宴遊興に及んだといわれている。死を覚悟した勝家は、最後の宴を催したのである。その後、勝家と妻のお市は辞世を詠むと、自害にして果てた。まず勝家は妻らを刺し殺すと、自らも十文字に腹を切って五臓六腑を掻き出し、家臣によって介錯された。

 北庄城が落ちたのは、同年4月24日申の刻(午後4時の前後2時間)だった。有名な浅井三姉妹(茶々、初、江)は焼け落ちる北庄城から脱出し、秀吉(あるいは信雄)に保護されたという。三姉妹を保護した人物については、諸説ある。

◎佐々成政(1536?~1588)

 佐々成政は織田信長の家臣だったが、その没後は豊臣秀吉に従っていた。天正15年(1587)の九州征伐後、成政は軍功を評価され、秀吉から肥後国を与えられた。成政は肥後国に入ると、領国支配を展開すべく国内の検地を行ったのである。

 秀吉は成政に肥後国を与えた際、①国人らに従来どおり知行を許すこと、②検地を3年間実施しないこと、を求めた。肥後国をスムーズに支配するためだった。しかし、成政は何を焦ったのか検地を強行した。このことが原因になって、肥後国一揆が勃発したのである。

 一揆を主導したのは、肥後の有力国人の隈部親永・親泰父子だった。成政が攻略に苦戦すると、肥後国人が結束して反抗し、予想外の大苦戦となった。やがて、小早川隆景らの援軍が駆けつけ、一揆が収束した。成政は危機を逃れたが、秀吉から失態を追及された。

 翌天正16年(1588)閏5月、秀吉から切腹を命じられた成政は、摂津尼崎(兵庫県尼崎市)で自刃した。成政は秀吉に謝罪し、安国寺恵瓊も助命を願ったが、秀吉は聞き入れなかったという。成政の墓は、尼崎の法園寺にある。

◎織田信雄(1558~1630)

 天正10年(1582)6月に織田信長が本能寺の変で横死すると、次男の信雄は紆余曲折を経て秀吉に従った。天正18年(1590)の小田原征伐後、信雄は大いに軍功を挙げたので、家康が関東に移封となったあとの三河国など東海地方の5ヵ国を与えられた。

 ところが、信雄は秀吉の国替えの命令を断ってしまった。その結果、信雄は改易という重い処罰を科され、下野国那須(栃木県那須烏山市)に流されたのである。なぜ、信雄は秀吉の命令に従わなかったのだろうか。

 これまでの見解によると、信雄は秀吉の主家である織田家の人間だったので、断わっても大丈夫だろうという状況判断の甘さがあったといわれてきた。つまり、信雄は凡庸だったというのだ。近年の有力な見解によると、信雄の国替えは秀吉の意思でもあり、豊臣政権の政治構想の一環でもあったという。

 政治構想とは、「関東・奥両国惣無事」である。命を受けた織田家中では、国替えの命令による混乱が生じており、それゆえ信雄は秀吉の命令を断った。しかし、秀吉の政権構想としての要求に堪えられない以上、改易は避けられなかったのである。

主要参考文献

柴裕之「織田信雄の改易と出家」(『日本歴史』859号、2019年)

花ケ前盛明『佐々成政のすべて』(新人物往来社、2002年)

和田裕弘『柴田勝家』(中公新書、2023年)

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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