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豊臣秀吉が本当に恐れた武将はいったい誰だったのか!? 衝撃の真実とは

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
豊臣秀吉像。(写真:イメージマート)

 今回の大河ドラマ「どうする家康」では、織田信長が佐久間信盛や羽柴(豊臣)秀吉に対して、今後脅威となる武将を聞いていた。今回は、秀吉がもっとも恐れていた武将について考えてみよう。

 秀吉がもっとも恐れていた武将は、黒田官兵衛孝高だったと言われている。以下、その豊富なエピソードを取り上げることにしよう。

 最初は、江村専斎の『老人雑話』のエピソードである。本能寺の変で信長が横死した一報が秀吉のもとに伝わると、官兵衛は「これで殿(秀吉)のご運が開けましたな」と耳元で囁いたという。官兵衛があまりに先を読み過ぎたので、秀吉は「油断ならない奴」と思ったのだろう。

 次は、湯浅常山の『常山紀談』のエピソードである。ある日、秀吉は官兵衛に対して、「次に天下を取る者が誰か」と問うた。官兵衛は毛利輝元の名前を挙げた。しかし、秀吉は「目の前の者(=官兵衛)」であると言ったという。

 『故郷物語』にも似た逸話を載せる。あるとき官兵衛は、秀吉の御伽衆の山名禅高から、秀吉が「自分の死後、天下を狙う者は官兵衛である」と言ったことを聞かされたという。官兵衛は、秀吉から警戒されていたようである。

 最後に岡谷繁実の『名将言行録』のエピソードを挙げておこう。あるとき、秀吉が「私に代わって、次に天下を治めるのは誰か」と家臣に尋ねたところ、家臣たちは徳川家康や前田利家の名前を挙げた。

 ところが、秀吉は官兵衛の名を挙げ、「官兵衛がその気になれば、私が生きている間に天下を取るだろう」と述べた。家臣たちは官兵衛が小身の大名に過ぎないと反論したが、秀吉は「官兵衛に百万石を与えたらすぐにでも天下を奪うだろう」と答えた。

 官兵衛はこの話を伝え聞くと「我家の禍なり」と述べ、すぐに剃髪して如水と号した。『名将言行録』には、「秀吉が言うには、常に恐ろしいのは家康と官兵衛である。しかし、家康は温和な人物である。黒田の瘡天窓(おできの頭)は何とも心を許し難い男である」と記されている。

 いずれのエピソードも後世の編纂物になったもので、とても信を置くことができない。家臣たちが言うように、官兵衛は小身の大名なので、天下取りには程遠い。近年の研究によると、秀吉がもっとも恐れたのは家康であると言われている。当然だろう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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