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「どうする家康」実は、薬・健康マニアだった徳川家康の意外な一面

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
薬。(写真:アフロ)

 大河ドラマ「どうする家康」では、徳川家康が薬を調合する場面が描かれていた。今回は、家康が薬・健康マニアだったことについて考えることにしよう。

 徳川家康(1543~1616)は、75歳という長寿を保ったことで知られている。その秘訣は、日頃の鍛錬や食事、そして自ら調合した薬にあったといわれている。

 家康は質素倹約を旨とし、常に粗食を心掛けていた。家康が好んで食べたのは、魚、野菜、納豆など健康に良いものばかりだった。家康は八丁味噌を焼き味噌にして、麦飯を掻き込んでいたといわれている。

 当時、麦飯には下痢を予防したり、胃腸の調子を整えたりするなどの効能があるといわれていた。特に、暑い夏場は体力の消耗が激しかったので、家康は麦飯が消化が良かったことを知っていて、常食したのである。

 あるとき家臣が家康のあまりの粗食を見かねて、白飯に少しだけ麦飯を上に乗せて、家康に供することがあった。家康はたちまち激昂し、贅沢が不要であることを説いたという。実際は贅沢というよりも、健康を考えてのことだろう。

 家康は、将兵の健康にも気を遣っていた。慶長19年(1614)にはじまった大坂の陣において、家康は出陣する将兵に白米三升、鰹節十、塩鯛一枚と漬け物少々を支給しただけだった。家康は、高カロリーに腹八分目が最適と考えていたといわれている。

 家康は、薬マニアとしても名を馳せていた。薬学書の『本草綱目』、『和剤局方』を読みこなし、慶長12年(1607)頃から本草の研究に打ち込んでいた。その際に用いた青磁鉢、乳棒などは今も残っており、その知識は専門家も認めるレベルだったという。

 慶長15・17年(1610・12)には、松前藩の松前慶広からオットセイを献上され、それを薬として調合した。たしかに、オットセイの陰茎や睾丸は、漢方の精力剤などとして用いられていた。

 とはいえ、家康が若い頃から健康に気遣っていたのは事実であるが、薬の調合を行ったのは晩年だった。その点は、ドラマの内容とやや齟齬があるようだが、若い頃から薬に関心を持っていたかもしれない。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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