「どうする家康」豊臣秀吉は、ムロツヨシさんが演じるような人間だったのか
大河ドラマ「どうする家康」では、豊臣秀吉が注目される。秀吉はムロツヨシさんが演じるような人間だったのか、いろいろと考えてみよう。
これまでの時代劇において、豊臣秀吉は明るい人物として描かれてきた。しかも頭の回転が速いアイデアマンで、織田信長から大変気に入られた。そして、あっという間に大出世を遂げ、信長の死後は天下人の道を歩んだのである。
これまでの大河ドラマにおいても、秀吉は明るい人物として描かれてきた。中でも、平成8年(1996)に放映された『秀吉』では、竹中直人さんが秀吉を演じ、これまでの小説に描かれたような、明るく陽気な秀吉像を定着させた。
その点、今回のムロツヨシさんが演じる秀吉は、いささか奇矯な印象を受け、明るく陽気とはまた違うのである。どう考えても、普通の人間ではない。私自身も何と表現してよいのか、まったく言葉が思い浮かばないのである。
現実の秀吉は農民の出身であるといわれているが、はっきりしたことはわからない。武士身分でないことはたしかである。後年の秀吉は、自ら極貧だったことを告白している。それゆえ、秀吉は信長の配下に加わったとはいえ、気苦労があったと考えられる。それは、身分上のコンプレックスだった。
後年の秀吉は「人たらし」だったといわれている。秀吉の書状を見ると、黒田官兵衛に非常に丁寧な言葉遣いをしている。その理由は、当時の秀吉が播磨を制圧する際、官兵衛の力が必要だった。それゆえ、機嫌を損ねないようにしたのだろう。
一方、天下人の道を歩んだ後の秀吉は、態度を一変させる。自分より弱そうな大名に対しては、非常に高圧的な書状を送りつけて服従を迫る。もし、拒否しようものならば、即座に攻め込んだのは言うまでもない。冷酷といっても過言ではない。
ここで、ムロツヨシさんが演じる秀吉に目を移すと、おそらく秀吉はこういう人物ではなかっただろうし、普通の人間のキャラクター、人物像としてあり得ないと思う。もし修正がきくようなら、ご一考をお願いしたいところである。