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家康が大好きだった「八丁味噌」のルーツは、三河武士の兵糧だったのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
八丁味噌の醸造風景。(写真:イメージマート)

 大河ドラマ「どうする家康」の主人公・徳川家康は、「八丁味噌」が大好物だったという。今回は、「八丁味噌」のルーツについて、考えることにしよう。

 愛知県といえば、味噌を使用した名物料理が有名である。「味噌カツ」や「味噌煮込みうどん」などは、誰しも知っているだろう。そもそも八丁味噌とは、どのような起源を持つのだろうか。

 八丁味噌は大豆、食塩、水を原料とする豆味噌で、米麹を使用していない。熟成には二冬二夏の長い期間を要し、色は赤褐色で甘味が少なく、独特の渋みがあり、旨味が多いのも大きな特徴である。

 愛知県では、八丁味噌を用いた赤い味噌汁を食する人が多い。同時に、八丁味噌を利用した料理も発達した。この八丁味噌は、質素倹約を旨とした徳川家康の大好物であったといわれている。

 家康は八丁味噌を丸めてこんがりと焼き目を付け、その焼き味噌とともにご飯をかき込んだという。健康に気を使い、粗食を好んだ家康らしいエピソードである。では、なぜ八丁味噌と呼ばれたのであろうか。

 八丁味噌は、岡崎城にほど近い八町村(愛知県岡崎市八帖町)で盛んに作られたのが起源である。八町村は岡崎城から西へ八丁(約840m)離れていたので、製造された味噌は八丁味噌と名付けられた。

 この八丁味噌は、戦争時の兵糧としても珍重された。家康に仕えていた三河武士は、兵糧として八丁味噌を携行し、戦争時に食べていたのである。味噌は保存食だったので、兵糧として用いられたのだ。

 彼らは芋づるに八丁味噌を染み込ませ、戦場では兜を鍋の代わりにして、その芋づるを戻した糒(ほしいい:干した米)とともに湯漬けにして食べたのである。現在のインスタント食品に近かったのだ。

 大豆には貴重なタンパク質が含まれており、三河武士たちのエネルギー源になった。家康が数々の合戦で勝利したのは、まさしく八丁味噌のおかげといっても過言ではないだろう。

 今のところ、大河ドラマに八丁味噌は出てきていないようである。そのうち、八丁味噌で飯を掻き込む家康が登場することを期待しよう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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