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織田信長は大艦隊で中国〈明〉に侵攻し、占領しようとしたのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
中国大陸と日本。(写真:イメージマート)

 東映創立70周年を記念し、織田信長と濃姫を主人公にした映画『レジェンド&バタフライ』が上映中である。今回は、織田信長が中国〈明〉に攻め込むため、大艦隊を準備させていたのか考えてみよう。

 織田信長の「唐入り(中国〈明〉侵攻)」については、肯定的な説と疑問視する説がある。近年における信長の「唐入り」に関しては、疑問視する見解も少なくない(荒木:2016)。フロイスの『日本通信年報』(1582年11月5日付)には、次のとおり書かれている。

「(信長が)毛利氏を征服し終えて日本の全六十六ヵ国の絶対領主となったならば、シナ(中国〈明〉)に渡って武力でこれを奪うため一大艦隊を準備させる」

 次に荒木氏は「(信長は)まず全日本を征服してこれをキリシタンとし、それからシナ(中国〈明〉)を征服しよう」と発言した、フロイスがイエズス会の総長に送った書簡を重視する。

 フロイスは、信長の全国統一を全日本人のキリスト教徒化に結び付けた。その先に中国〈明〉の征服を位置付ける一方で、これが信長の真意を記録したとは考え難いと指摘する。

 ザビエル以来の懸案事項だった、明への布教に活路を見出したい宣教師たちのバイアスが混入しているというのだ。そのために、信長を利用したというのである。

 つまり、フロイスは信長の力で全国統一を成し遂げて、日本人すべてをキリシタンにしようとした。さらに、同じく信長の力を借りて中国〈明〉へ侵攻し、布教活動を行うという思いを託したのである。

 フロイスには日本・中国〈明〉での布教保護の言質を得たことを強調し、また信長が亡くなることで、中国〈明〉での布教が遅れている事情を弁明しようとする意図があった。そうしたレトリックのなかで、信長の発言を「中国〈明〉征服」と誇大した可能性も否定できないと指摘される。

 一方で当時、スペインによる中国〈明〉征服が計画されていた。そうした事情を考慮するならば、信長の「中国〈明〉征服」はあながち否定できないとも指摘する。

 1580年にスペインはポルトガルを併合したが、フロイスらは反スペインの姿勢を取り続けた。フロイスはスペインに対抗すべく、信長に軍事的な役割を期待したとも考えられるという。

 当時、信長は各地の大名(上杉氏、長宗我部氏など)と交戦中であり、すぐに中国〈明〉を征服したり、スペイン対策の余力があったのか疑問が残る。実現は何年先のつもりだったのか、まったく見当すらつかない。

【主要参考文献】

荒木和憲「信長は「明征服」を実行しようとしていたのか?」(洋泉社編集部『ここまでわかった 本能寺の変と明智光秀』洋泉社歴史新書y、洋泉社、2016年)。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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