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織田信長の妻は「濃姫」とすべきか、それとも「帰蝶」と呼ぶべきか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
織田信長。(提供:アフロ)

 東映70周年を記念し、織田信長と濃姫を主人公にした映画『レジェンド&バタフライ』が公開されている。今回は、織田信長の妻は「濃姫」とすべきか、それとも「帰蝶」と呼ぶべきなのか考えてみよう。

 濃姫は斎藤道三の娘で、のちに織田信長の妻となった。とはいえ、生没年すら明らかではなく、その生涯は確実な史料にあらわれることがほとんどないので、わからないことが多い。その名も「濃姫」あるいは「帰蝶」などと呼ばれており、定かではない。

 ところで、戦国時代の女性の名前は、記録上に正確に出てくることは滅多にない。系図などで確認しても、単に「女」と書いているだけで、名前をきちんと記していない。したがって、非常に困るのである。

 天下人の豊臣秀吉の妻でさえ、「ね」、「ねね」、「おね」などの諸説があり、どの呼称が正しいのか論争が繰り広げられたほどである。大河ドラマでは女性について、独自のネーミングをしているようである。

 ところで、「濃姫」と記している史料は、『絵本太閤記』、『武将感状記』といった後世に成った書物である。それらは歴史史料というよりも、創作物と言ったほうが良いだろう。濃姫とは、「美濃からやって来た姫」くらいの意味で、俗称に過ぎない。

 『武功夜話』には、「胡蝶」と書かれている。胡蝶とは、文字どおり蝶のことであり、『源氏物語』第24帖の巻のことでもある。なぜ胡蝶なのか不明であるが、『武功夜話』は偽書といわれているので、非常に信憑性が低い説である。

 「帰蝶」と記すのは、『美濃国諸旧記』である。『美濃国諸旧記』とは、美濃国内の歴史を扱った史書である。同書は17世紀半ばに成立したものだが、残念ながら原本の所在は不明である。おもしろい史料であるが、誤りも多いと指摘されている。

 先述した胡蝶の「胡」と帰蝶の「帰」は、崩し字がよく似ているとの指摘もある。しかし、ともに史料の性質が劣る『武功夜話』や『美濃国諸旧記』に書かれていることなので、胡蝶か?帰蝶か?と問うことには、あまり意味がないようにも思える。

 いずれにしても、濃姫が正しいのか、帰蝶、胡蝶が正しいのか、決め手に欠けるというのが現状ではないだろうか。この問題を解決するには、良質な史料による裏付けが必要である。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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