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【深掘り「どうする家康」】織田信長の妹・お市の方は、美しい女性だったのだろうか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
お市の方を演じる北川景子さん。(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

 大河ドラマ「どうする家康」では、織田信長の妹・お市の方が登場した。お市の方は美しい女性だったといわれているが、その点について深掘りすることにしよう。

 天文16年(1547)、お市の方は織田信秀の土田御前の5女として誕生した。信長の妹でもあったが、年は13歳も離れていた。ただ、子だくさんの当時としては、さして珍しいわけではない。もう少しお市の方の生涯をたどってみよう。

 永禄10年(1567)頃(時期は諸説ある)、信長は近江の浅井長政と同盟を結ぶため、妹のお市を嫁がせた。信長が浅井氏と同盟を結んだのは、来るべき上洛に備えて、北近江の通路を確保するためだった。

 当時、お市の方は21歳で、長政は23歳だった。しかし、長政は朝倉氏と昵懇な関係だったので、この結婚に乗り気ではなく、浅井氏の家中も同じ意見だったといわれている。

 そこで、信長は長政に対して、朝倉氏を攻撃するときは、事前に報告するとの誓紙を交わしたという。そして、信長は結婚資金をすべて準備し、2人の門出を祝ったと伝わっている。

 ところで、高野山(和歌山県高野町)の持明院には、「浅井長政夫人(お市の方)像」が所蔵されている。これは、お市の方を描いた、唯一にして貴重な肖像画として知られている。

 この肖像画は、お市の方の娘の淀殿(豊臣秀吉の妻)が父・長政の17回忌、母・お市の方の7回忌に際して、その菩提を弔うべく絵師に書かせたものである。当時としては、肖像画のとおり非常に美しい女性だったのだろう。

 一説によると、お市の方は37歳という年齢になっても、22・23歳の若さに見える美貌を誇っていたという(『溪心院文』)。それゆえ、お市の方は、聡明な「戦国一の美女」と称されるようになった。

 しかし、お市の方が美人だったのかといわれても、躊躇するところである。そもそも美人といっても、人それぞれによって好みがあるので、一概には言えないということがある。

 『溪心院文』も後世に成った史料で、美人が主観によって左右される以上、鵜呑みにするわけにはいかない。肖像画についても、依頼主の淀殿がお金を払うのだから、絵師に美しく書いてもらうよう依頼することもありうる。絵師は、実物のお市の方を見たことがないと思われる。

 したがって、当時のお市の方の顔写真が残っているわけでもなく、あっても主観に左右されるのだから、美人なのか否か非常に判断が難しいといえる。個人的には、お市の方を演じる北川景子さんのような美人だと信じたい。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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