斎藤道三が織田信長と面会したとき、「うつけ者」と思わなかった理由
東映70周年を記念して、織田信長と濃姫を主人公にした映画『レジェンド&バタフライ』が近く公開される。信長は「うつけ者(大バカ者)」と称されていたが、面会した斎藤道三はそう思わなかったという。その辺りを詳しく取り上げてみよう。
天文17年(あるいは同17年)頃、織田信長の父・信秀は内外の戦いで苦境に立たされたため、敵対していた美濃の斎藤道三と同盟を結ぶことにした。
その証として、信長は道三の娘・濃姫(帰蝶とも)を妻として迎えることにしたのである。同盟を結ぶための政略結婚だ。なお、濃姫の生涯には謎が多く、関連する史料も実に乏しい。
当時、すでに信長の「大うつけ」ぶりは、各地に広まっていたようだ。道三はその姿を実際に確認してやろうと考え、場所に富田聖徳寺(岐阜市)を指定して面会を申し込んだ。
道三は富田聖徳寺の近くの家に潜んで、じっと信長がやって来るのを見ていた。蝮と称された、道三らしい魂胆である。姿をあらわした信長は、噂どおりの異様な姿でやってきた。
しかし、いざ道三が富田聖徳寺に行くと、信長は髪を整え長袴を着用していた。実は、信長の家臣たちでさえ、これまで「大うつけのふりをしていたのか!」と驚愕したと伝わる。つまり、これまでの異様な風体や所作は、すべて信長のお芝居だったということになろう。
二人は酒を飲みながら歓談したが、道三は信長の非凡な才能を見抜き、「わが息子(義龍)は信長の軍門に降るであろう」と感想を漏らしたという(『信長公記』)。
のちに道三は、信長に一国を譲ろうとしたというが、この面会が影響していたのだろうか。この辺りのエピソードも、信長の将来を予見させる意味で、あえて挿入したのかもしれない。
普段は汚らしい不良のような服装をした信長は、フォーマルな場では華麗にドレスアップしてきた。このような信長のギャップは、きっと後世の人々を魅了したに違いない。
なお、この逸話は、『信長公記』首巻に収録されたものであることに注意したい。本編が史実を尊重して、客観的な態度で執筆されているのに対し、首巻は様相を異にしており、ユニークな逸話が多い。
このエピソードはおもしろい話だが、かなり創作臭がするのも事実である。