【深掘り「鎌倉殿の13人」】北条義時は源仲章の威勢を恐れ、刺客の「トウ」を差し向けたのか
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、北条義時と源仲章がお互いを牽制していたが、義時は仲章を恐れていたのか、詳しく掘り下げてみよう。
■栄達を遂げた北条義時
北条義時は時政の子として誕生し、草創期の鎌倉幕府の時代から、源頼朝、頼家、実朝の3代の将軍に仕えた。頼朝の死後、北条一族内部や御家人間で激しい権力闘争が繰り広げられたが、義時は見事に生き抜いた。
実朝が3代将軍に就任後、義時はライバルの和田義盛を倒し、執権として確固たる地位を築いた。とはいえ、子のなかった実朝の後継者問題など、課題は山積みだったといえよう。決して安泰ではなかったのだ。
このとき実朝の侍読(じどく:貴人に仕えて学問を教授する学者)として、京都から鎌倉にやって来たのが源仲章である。仲章は朝廷と幕府に仕え、実朝と後鳥羽上皇を繋ぐ役割を果たしていた。当時、幕府と朝廷は対立する関係ではなかったのだ。
一説によると、義時は仲章を二重スパイではないかと疑っていたという。義時は仲章を不穏分子とみなしていたことになろう。しかし、仲章の二重スパイ説については十分な確証がなく、慎重に検討する必要があろう。
■義時は仲章を殺そうとしたのか
ドラマの中では、義時が「トウ」に命じて仲章を殺害しようとしたが、仲章は事前に察知しており、未然に凶行を防ぐことができた。いうまでもないが、「トウ」はドラマ上の架空のキャラクターで実在しない人物だが、すぐに捕まってしまったのは不甲斐ない。
では、仲章に義時が恐れるほどの脅威があったのかといえば、決してそうとはいえないだろう。仲章は政所別当を務めていたが、自らは武人として一族、郎党を引き連れていたわけではなく、武力を誇っていたわけではない。また、東国の御家人から絶大な支持を得ていたわけではない。
■まとめ
義時がリスクを冒してまで、仲章を殺すメリットがあったのかといえば、決してそうとはいえないだろう。仲章を殺したことが露見すれば、かえって立場がまずくなるのではないだろうか。
義時が仲章に刺客を差し向けたのは、あくまでドラマ上の創作であり、その可能性はゼロに等しいと考えられる。