戦国時代の有名な事件で「陰謀説」や「黒幕説」は成立するのか
過日、「「普通の日本人」ほど信じやすい…?「陰謀論」は誰でも危険。最新研究でわかった傾向と対策は」を拝読し、実に面白いと思った。歴史の勉強をしていると、無視して通ることができなのが「陰謀説」、「黒幕説」である。特に、戦国時代に即して考えてみよう。
戦国時代において、最大のミステリーと呼ばれるのは天正10年(1582)6月に勃発した「本能寺の変」である。明智光秀は主君の織田信長を討つことに成功したが、その背後には「陰謀」が渦巻き、「黒幕」が存在したといわれている。
「黒幕」は朝廷、羽柴(豊臣)秀吉など星の数ほどの候補がいるが、結論を端的に言えば、たしかな史料で「黒幕」の存在を確認できないのである。それらの説は、おおむね質の劣る二次史料に拠るか、論理の飛躍によるもので、とうてい受け入れられない代物だ。
「陰謀説」、「黒幕説」を支持する人のなかには、頭の良い人も少なくない。おそらく物事を合理的に考えるには、「陰謀」や「黒幕」がいないと辻褄が合わないということになるのだろう。たとえば、「秀吉が本能寺の変を事前に知っていなければ、中国大返しはできなかったはず」などだ。
あるいは、歴史にロマンを求めて、「陰謀」や「黒幕」の存在を信じて疑わない人も多い。それこそが歴史のおもしろさ、醍醐味だと信じているのだ。完全に「陰謀」や「黒幕」を信じてしまうと、いくらこちらが説明しても翻意させるのは困難である。
「歴史にはいろいろな説があり、想像の翼を広げるのがおもしろい」という人もいるが、正しいようで間違いだといわざるを得ない。歴史研究は良質な史料に基づき組み立てられるもので、結論がいかにつまらなくても受け入れざるを得ないのだ。
また、デタラメな史料を用いるのは論外として、仮に良質な史料を用いても、自分の都合いいように解釈したり、おもしろおかしく結論付けるのはご法度である。実際にプロの研究者であっても、史料の誤読と論理の飛躍を積み重ねて、あられもない説を提唱する人は珍しくない。
とはいえ、歴史的な事件で「陰謀説」、「黒幕説」を唱えると面白いのは事実である。しかし、おもしろおかしい「陰謀説」、「黒幕説」ほど、良質な史料に基づき突き詰めていくと、根拠のないデタラメであることが多いことに注意しておきたい。