【深掘り「鎌倉殿の13人」】誰も知らなかった。北条義時の後妻「のえ」の意外な正体
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、北条義時の妻となる「のえ」が登場した。「のえ」という女性について、詳しく掘り下げてみよう。
■北条義時と比奈
建久3年(1192)9月25日、北条義時は比奈(比企朝宗の娘)を妻として迎えた。義時は比企氏と姻戚関係を結ぶことで、幕府内における立場を強化しようと考えたのだろう。
建仁3年(1203)に比企の乱が勃発すると、事態が激変した。比企能員ら比企一族は事実上滅亡し、比奈の立場も危うくなった。その後、2人はほどなくして離婚したのである。
比企の乱後、比奈の行方は『吾妻鏡』などの記録にあらわれない。ところが、のちに比奈は源具親と再婚し、2人の子供(輔通、輔時)を授かったことが判明する。
■「のえ」とは
今回、登場した義時の妻となる「のえ」は、生没年不詳である。一般的には、「伊賀の方」と称される女性だ(以下、ドラマで使われる「のえ」で統一する)。
「のえ」の父は、伊賀朝光である。兄弟には、光季、光宗などがいた。もともと伊賀氏は蔵人所に仕えていたが、朝光は伊賀守に任じられたので、伊賀氏を称するようになった。
源頼朝が挙兵すると、ただちに参陣して活躍した。建仁3年(1203)の比企の乱でも、北条方に味方して大いに軍功を挙げた。朝光は比較的地味な御家人だったかもしれないが、着実に地歩を固めたのだ。
そして、娘を義時の妻にすることで、幕府での存在感を示したのである。子の光季、光宗も、義時の外戚として重用されることになった。
■まとめ
とはいえ、「のえ」自身の生涯はほとんどわかっていない。貞応3年(1224)6月に伊賀氏の変が勃発し、「のえ」も首謀者の1人となった。その辺りは、改めて取り上げることにしよう。