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【深読み「鎌倉殿の13人」】曽我兄弟の仇討ちは、北条時政が黒幕だったのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
北条時政を演じる坂東彌十郎さん。(写真:築田純/アフロ)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の23回目では、ついに曽我兄弟による仇討ちが決行された。その黒幕は北条時政だったといわれているが、事実なのか詳しく掘り下げてみよう。

■烏帽子親だった北条時政

 北条時政と源頼朝が強い関係で結ばれていたのは、もはや言うまでもないだろう。時政が娘の政子と流人だった頼朝との結婚を認め、以後は打倒平家でともに戦ったのは、その証左ともいえる。

 大河ドラマの23回目では、ついに曽我兄弟(曽我祐成、時致兄弟)が仇討ちを決行した。ところが、本来の目的は頼朝の殺害であり、工藤祐経が討たれたのは、頼朝の身代わりになった不運だったとして描いていた。もちろん、これはフィクションである。

 一方で、曽我兄弟の仇討ちを背後で操っていたのは、北条時政だったとの説が昔からある。三浦周行「曾我兄弟と北条時政」(『歴史と人物』岩波文庫)がそれである。この説に追随する研究者も多い。

 曽我兄弟は工藤祐経を討った後、頼朝までも討とうとした(『吾妻鏡』ほか)。これは曽我兄弟の判断ではなく、時政の指示によるものだろうとされている。

 その有力な根拠の一つとして、時致の烏帽子親が時政だったことが挙げられている。烏帽子親とは、元服の際に親に代わって烏帽子をかぶらせ、烏帽子名を与える儀式である。烏帽子名とは烏帽子親が自身の名の一字を授けることで、時致は時政の「時」を与えられた。

 むろん、烏帽子親は誰でもいいというものではない。それは将来を託せるような有力者でなければならず、その人物が時致にとっては時政だった。これは、2人の関係が強固だったことを示している。

■時政は本当に加担したのか

 しかし、時政が烏帽子親だっただけでは、論拠として弱い。そこで、仇討ち前の時政の動きを見ると、時政はあらかじめ巻狩りの準備のため、駿河に入っていたことが判明する。つまり、時政は曽我兄弟に頼朝を討たせるべく、事前に準備をしていたというのだ。

 とはいえ、決定的な証拠がなく、いささか説得力に欠ける。時政が頼朝を討って、どういうメリットがあるのか不明である(頼朝に成り代わるということだろうが)。失敗すれば、逆に討たれる可能性もあるのだから、相当な覚悟と相当な準備が必要である。

 結論を言えば、時政が烏帽子親になったのは、謀反を起こさせるためというのは短絡すぎる。事前に駿河に向かったというのも同様で、安易に頼朝暗殺計画に結び付けている印象が強い。説得力に欠けるのだ。

 往々にして黒幕説は決定的な根拠がなく、憶測に過ぎないことが多い。北条時政が黒幕だったという説も、その一つに過ぎないだろう。

■まとめ

 曽我兄弟の仇討ちは、祐経を討ったことで本懐を遂げることができた、しかし、兄の祐成は仁田忠常に討たれ、弟の時致は生き残ったが、処刑されたのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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