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【戦国こぼれ話】荒木村重が織田信長に謀反を起こした納得の理由

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
なぜ荒木村重は、織田信長に謀反を起こしたのだろうか。(提供:アフロ)

 6月2日、新作能「村重」の奉納の会が有岡城跡(兵庫県伊丹市)で行われた。こちら。誠に喜ばしいことである。ところで、なぜ荒木村重は、織田信長に謀反を起こしたのだろうか。その点を深掘りしよう。

■荒木村重と織田信長との関係

 荒木村重はもと摂津池田氏の配下にあったが、のちに織田信長に登用され摂津国を支配した。その居城が有岡城(兵庫県伊丹市)だ。ところが、天正6年(1578)10月、村重は突如として信長に謀反を起こした。

 村重が謀反に踏み切った理由は、信長に従うよりも毛利氏に与したほうが自分を生かせると判断し、一か八かの賭けに出たという見解が有力視されている。

 本願寺光佐が村重・村次父子に宛てた起請文には、村重の新たな知行について、毛利氏に庇護された将軍・足利義昭に従うよう書かれている(「京都大学所蔵文書」)。村重は早くから謀反を念頭に置いて、織田氏・毛利氏との間で二股を掛けていた。

 その後、村重は大坂方面指令官の地位を佐久間信盛に奪われ、同じく中国方面指令官の地位も羽柴(豊臣)秀吉に奪われた。村重は自らの将来に悲観して、謀反に踏み切ったのが真相ではないかと指摘されている。

 一方で、摂津下郡で支配を展開する村重にとって、村重に反した牢人衆(村重に没落させられた国人・土豪)などは脅威の存在だったとの指摘がある。同時に、各地で一向一揆が頻発する中で、百姓が本願寺と結び付き、一揆を起こすことが懸念材料となった。

 追い詰められた村重は信長と袂を分かち、本願寺や百姓らと連携する道を選択したというのである。それは当然、毛利氏や足利義昭と結ぶことを意味した。

 村重の与力大名である高槻城主(大阪府高槻市)の高山右近、茨木城主(大阪府茨木市)の中川清秀らは、当初は村重に従う意向を示していた。本願寺・毛利氏・足利に将軍家に加えて、摂津国内の助力を得られることから、村重は謀反を決意したと考えられる。

■謀反の経過をたどる

 同年10月21日、村重の謀反が発覚した。しかし、実際には9月下旬から10月中旬にかけて、福富秀勝、佐久間信盛、堀秀政、矢部兼定が説得のために村重を訪れたが、応じることがなかったという(『立入左京亮入道隆佐記』)。

 同年10月21日、村重の逆心が信長の耳に入った(『信長公記』)。信長は「不足があるならば申してみよ。村重に考えがあるならばそのように申し付けよう」と述べ、松井友閑らを村重のもとに遣わせた。

 村重が「野心などございません」と返答したので、信長は人質として村重の母を差し出すこと条件にして、これまでどおりの出仕を認めたが、村重の謀反の気持ちは変わらなかった。

 信長が村重の謀反を止めさせようとしたのは、敵対する本願寺、毛利氏、足利義昭の勢力に弾みを付けさせないためだった。三木城主・別所長治との戦いもはじまったばかりだったので、村重の謀反は畿内から中国方面の勢力図を大きく塗り替えることになった。

 しかし、高山右近、中川清秀が信長に帰順したので、情勢は信長有利に傾いた。同年11月6日の木津川沖海戦で、織田方が本願寺、毛利氏を撃破したので、信長は村重を引き留めず、徹底した殲滅を決意した。

■大敗北した村重

 同年11月中旬頃から、総大将・織田信忠の有岡城への攻撃はが激化し、村重ら城兵の籠城は約10ヵ月に及んだ。翌天正7年(1578)9月、村重は密かに有岡城を脱出して尼崎城(兵庫県尼崎市)に逃れた。

 有岡城は同年11月に落城し、村重の妻子ら3十余人が信長に捕らえられた。村重は降伏勧告に応じなかったので、信長は京都で妻子3十余人を斬殺し、家臣およびその妻女6百人余を磔刑、火刑に処した。

 その後、村重は尼崎城を離れ、花隅城(神戸市中央区)へ逃亡した。ところが、天正8年(1579)7月に花隈城が落城すると、毛利氏のもとに逃げ込んだ。本能寺の変の終結後、村重は堺で千利休から茶を学び、のちに、秀吉に茶の宗匠として起用される皮肉な運命をたどった。

■むすび

 村重は信長に勝てると思って謀反に踏み切ったが、読みが甘かったといえよう。大誤算だったのは信長による徹底した殲滅戦で、村重は家族や家臣を失った。それでも村重は生き続けたのだから、相当なメンタルの持ち主だったのだろう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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