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【戦国こぼれ話】本能寺の変前夜、織田信長は上洛して何をしていたのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
現在の本能寺。(写真:イメージマート)

 今から440年前の天正10年(1582)6月2日、明智光秀は本能寺で織田信長を討った。ところで、織田信長は謀反が起こると知らず本能寺にやって来たが、何をしていたのか検証しよう。

■織田信長の上洛

 天正10年(1582)5月29日早朝、信長は中国出陣に備え、激しい雨が降るなか、安土城(滋賀県近江八幡市)を出発して上洛した。安土城は、蒲生賢秀らの家臣が留守を預かった。

 信長に随行したのは、わずか2・30人ほどの馬廻衆・小姓衆だったという(『信長公記』)。なぜわずかな人数なのかは不明であるが、途中で敵対勢力から襲撃されることを考えなかったのだろうか。

 5月21日に信忠が上洛した際、すでに多くの馬廻衆が付き従っていた。それゆえに、信長のお供の数が少なかった可能性がある。おそらく信長は、この時点において明らかに光秀が謀叛を起こすなどと思っていなかったに違いない。そうでなければ、少人数で上洛しなかったはずである。

 この点は、信長に油断や隙があったといえば、そう言えるだろう。信長は信忠とともに、三男・信孝の四国攻めを監視・指揮する予定だったと考えられる(「寺尾菊子氏所蔵文書」)。

■運命の本能寺へ

 信長上洛が上洛すると、大いに歓待を受け、京都の公家たちや吉田神社(京都市左京区)の神官・吉田兼見は、山科(京都市山科区)まで出迎えに参上した(『兼見卿記』)。

 しかし、森蘭丸の使者の「お迎えは無用」との言葉を聞くと、公家衆らは出迎えることなく引き返した。このあと、信長が本能寺に入ったのは、午後4時頃のことである。ここで、本能寺のことについて触れておこう。

 現在、法華宗本門流の大本山・本能寺は、京都市中京区下本能寺町に所在する。もともと本能寺は応永22年(1415)に日隆により五条坊門(京都市下京区)に創建され、当初は「本応寺」と号していた。

 永享5年(1433)、六角大宮(京都市中京区)へ移転し、名称を本能寺に改めたが、天文5年(1536)の天文・法華の乱(京都の町衆を中心とする法華宗徒によって起こされた一揆)ですべてを焼失した。

 本能寺が四条西洞院一帯に敷地を与えられ、再建されたのは天文14年(1545)のことである。

 信長の本来の京都屋敷である二条御新造は、3年前の天正7年(1579)に誠仁親王(正親町天皇の子)に提供していた。そこで、翌年2月、信長は新しい宿所を本能寺とし、住んでいた寺僧らを退去させた。

 そして、京都所司代・村井貞勝に命じて、御殿などを造営させたのである。その際、堀・土居・石垣・厩を築くなど、防御面にも優れていたという。これが運命の分かれ道になったのかもしれない。

■精力的だった信長

 上洛後における信長は、精力的に活動した。翌日の5月30日になると、本能寺に滞在する信長を多くの公家たちに加え、町人や僧侶たちが数多く表敬訪問した(『言経卿記』)。

 ところが、信長は彼らからの進物は事前に断っており、山科言経は信長に贈った進物を返却された(『言経卿記』)。公家衆の出迎えの件もそうであるが、信長が彼らと一定の距離置いていたのは興味深いが、理由はよくわからない。

 信長は実に上機嫌で公家衆らと歓談し、3月の武田氏討伐の一件や、これから行われる中国計略のことを話したという。特に、中国計略の出陣日は6月4日に定めており、まもなく毛利氏が制圧されることを得意満面に語った(『天正十年夏記』)。

 信長の中国計略を成功させようとする強い遺志が感じられ、よもや光秀から襲撃されるであろうことは、微塵も思わなかったであろう。

■むすび

 本能寺の変の前日、信長はゆっくりくつろいでいた。明智光秀の謀反を予想していならば、警固を強化したはずである。つまり、信長は油断しており、光秀は本能寺の軍勢が少ないことを知っていた。亀岡から京都は近い。本能寺の変は、光秀の情報戦の勝利だった。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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